綉球花*八仙花

xiu qiu hua*ba xian hua 

   ・・・ 日々の生活の中で ・・・

夜明けの海辺

2009-09-30 | Weblog
 海から昇る朝日を見に行った。だが、生憎と雲が多く、すっきりした朝日を見ることは出来なかった。 まだ明け切らない夜明けの海に、漁師さんが船を出すと、どこからかたくさんの鳥たちがやってきて、驚くほどの鳴き声をたてながら、船を追っかけて行く。 遊んでいるのか、喧嘩をしているのか、奇妙な動きを見せる鳥たちの姿が面白い。 海から引き揚げられ、山のように積まれた てんぐさ の匂いが鼻をつく。強い匂いではあるが、決して嫌いな匂いではない。 夜明けの海辺 は空気が澄んで、人の心を素直にさせてくれる。不思議な力がある。

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里の秋

2009-09-23 | Weblog

又見炊煙

① 又見炊煙升起 暮色罩大地
  想問陣陣炊煙 你要去哪裏
  夕陽有詩情 黄昏有画意
  詩情画意雖然美麗 我心中只有你

② 又見炊煙升起 勾起我回憶
  願你変作彩霞 飛到我夢裡
  夕陽有詩情 黄昏有画意
  詩情画意雖然美麗 我心中只有你

  夕陽有詩情 黄昏有画意
  詩情画意雖然美麗 我心中只有你
  詩情画意雖然美麗 我心中只有你

        里 の 秋

  ① 静かな静かな 里の秋
    お背戸に木の実の 落ちる夜は
    ああ母さんと ただ二人
    栗の実煮てます いろりばた

  ② 明るい明るい 星の空
    鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
    ああ父さんの あの笑顔
    栗の実食べては 思い出す

  ③ さよならさよなら 椰子の島
    お舟にゆられて 帰られる
    ああ父さんよ 御無事でと
    今夜も 母さんと 祈ります


雨に咲く花

2009-09-22 | Weblog
 雨の降る中、写真撮影に出かけた。途中までの様子では、雨はなかなか止まず、到底撮影のできる状態ではなかったが、目的地に着くと、そこそこ小降りになって、雨に濡れた花たちを撮影することができた。  彼岸花 は彼岸のころに咲くのでこの名がついた。この花は、 曼珠沙華 とも呼ばれ、仏典によると 天上の花 という意味もあるそうだ。 根の部分や花に リコリン という毒が含まれるが、この毒は水で何回も洗うと毒性が無くなり、食糧危機の時には食用として用いられたという。 茎は 石蒜 (せきさん)という生薬として利用され、利尿や去痰作用がある。この花は、毒にも薬にもなるのである。美しいものには毒がある、とはよく言われることだが、まさにこの花のことなのかも知れない。

画像にマウスをオンして見てください。

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朝焼けの海

2009-09-21 | Weblog
 午前5時、集合場所の 道の駅 に向かって急ぐ。空は早くも白み始めた。はやる心を抑えて、車を停める。駐車場はいっぱいで、あちこち探し回った挙句、ようやく隅っこに停めることができた。 シルバーウィーク と呼ばれる大型連休中で、県外ナンバーの車がたくさんあった。肌寒い気温の中、水面はさまざまに色を変えて行く。5時55分、橋の向こうに、ようやく、まぁるいお日様の顔が浮かび上がった。神々しいほどの美しさに感激ひとしおだった。

写真は5枚です。クリックしてみてください。

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<朝焼けの海-1>

コスモス畑

2009-09-19 | Weblog
 パソコン教室の帰り、いつものメンバーと、いつものお店で昼食を食べた。 このお店に来るのも今日が最後だ。ここは刺身定食が安くて美味しいと評判の店だったが、諸事情により、もうすぐ店じまいをするからだ。生魚が好きでない私は、いつも無理を言って、海老フライ定食にしてもらっていたのだが、これからは、わがままを聴いてもらえるお店がなくなって、ちょっと寂しい。 お店の中は大分、片づいていて、本当に閉店なのだとしみじみ思う…。店の外に出ると、畑のコスモスが寂しげに風に揺れていた。…外はもうすっかり秋だ。

画像は3枚、クリックで2枚目→ダブルクリックで3枚目→釦で最初の画像

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水浴祭

2009-09-17 | Weblog
 年に一度のチベット族の 淋浴節 (リンユィチエ…水浴祭)が9日から始まった。淋浴節はチベット語で ガマニチ と呼ばれ、チベット暦の7月上旬(西暦8月~9月頃)に催され7日間続く。雨季が明け、太陽の光が暖かく差すこの時期にチベット族の人々は、老若男女を問わず一緒に川辺に行き、昼間は衣服を洗い、夕方になると川に入って1年間の埃を洗い落とす。女性は、足のほうからスカートをまくりあげ、徐々に上のほうに持って行き、肌を見せないように上手に洗うのだという。水の少ない地方では、水を存分に使えるのは極めて限られていて、水浴祭以外には、生まれた時と、婚礼の日、葬儀の日だけと言われている。 水の豊富な国に生まれ、自然の水はただで使えるものと思い込んでいる、私たち日本人には考えられないことである。水と言えども、大事な財産、大切に使わなくてはと思う。

  写真はチャイナネットより

秋桜

2009-09-12 | Weblog



(1) 薄紅のコスモスが 秋の日の
  何気ない陽だまりに 揺れている
  この頃 涙もろくなった母が
  庭先でひとつ 咳をする
  縁側でアルバムを 開いては
  私の幼い日の思い出を
  何度も同じ話 繰り返す
  独り言みたいに 小さな声で

  こんな小春日和の 穏やかな日は
  あなたの優しさが 沁みてくる
  明日嫁ぐ私に 苦労はしても
  笑い話に 時が変えるよ
  心配要らないと 笑った

(2) あれこれと思い出を たどったら
  いつの日も一人では なかったと
  今更ながら 我儘な私に
  唇噛んでいます
  明日への荷造りに 手を借りて
  しばらくは楽しげにいたけれど
  突然涙こぼし 元気でと
  何度も何度も 繰り返す母

  有難うの言葉を 噛み締めながら
  生きてみます 私なりに
  こんな小春日和の 穏やかな日は
  もう少し あなたの
  子供でいさせてください



重陽

2009-09-11 | Weblog
  重陽の節句 の起源は、古来中国にさかのぼる。中国では、 奇数 は縁起のよいの数とされ、 重なる 9月9日を、 重陽 として節句のひとつとしてきた。 中国語では、九は jiǔ (チョウ)と発音し、 永久 を意味すると同じ発音で縁起の良いものとされている。中国ではこの日、ぐみの実を袋に入れて丘や山に登ったり、菊の香りを移した 菊酒 を飲んだりして 邪気 を払い長命を願うという 風習 があったことから、重陽の節句は別名、 菊の節句 とも呼ばれる。中国では、菊の花は不老長寿の薬として 信仰 され、 薬用 として栽培されていた。これが日本に伝わり、平安時代には 重陽の節会 (ちょうようのせちえ) として宮中の行事となり、江戸時代には武家の祝日になった。その後 明治時代までは 庶民のあいだでもさまざまな行事が行われていたが、今ではあまり見られなくなった。