goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

サンバー君は大忙し、懲りずに北へ

2013-01-21 16:59:46 | やんばる
平成8年生まれのうちのサンバークラッシク君、一年も経ないうちに走行距離13万キロを越しました。この調子だと年間1万8千キロペース、はたしてあと何年もつのやら。

そんなことも、前日ひとが集中するメジャーイベントを見そこなったことも、すっ飛ばし、ポカポカ天気の日曜日、沖縄じゅうの車が北へ北へと向かう流れに、我が家のサンバー君ものっていったのでした。
「本部八重岳桜祭り」満開のピークであります。近くには、今帰仁グスク桜祭りと、翌週名護さくら祭りも控えております。
左に美しすぎるエメラルドグリーンの海を見ながらの最高のドライブルート、恩納村の58号はそこそこ込んでたけど、さすがに許田インターの出口付近で渋滞。さして遅れはしませんでしたが、名護市内にて昼飯タイム。宮里そばへ初挑戦。

ここのメニューは、
ソーキそば500円
三枚肉そば500円
そば(小)300円
カレーライス400円
スパゲティー(トースト付き)400円
ごはん100円
トースト100円

と、優柔不断な私にはありがたいメニュー。
そばもカレーも中々のボリュームでした。庶民の活気あふれる広く明るい店内は、とってもハッピーな気分にさせられます。

さて、本部に入って交差点からまちぐぁーを覗くと、丁度「手作り市」をやっていたのでちょいと寄り、八重岳へ。84号は渋滞してたので、山へ登る一本前の道から入ったらガラガラで一気に上まで行けました。頂上に近いほど、桜は満開に。
帰り道、山の上のパン屋さん「八重岳ベーカリー」の元気の良いおばさんから黒パン(全粒粉)と、りんごジャムパンを購入、
帰り道はあらま!見事な夕焼け。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太古ギターって何??

2012-10-30 20:05:20 | やんばる
泊りがけで、本部半島あたりの空家物件を見るついでに、「今帰仁村総合祭り」を覗いてきました。

人口およそ9千人の村にしては、会場にはかなり大勢の観客が集まっていました。しかも、子供もいっぱい。祭りということで、多くが那覇などの街から実家に帰ってきているのではないでしょうか、久々に再会のようなシーンを見かけました。
広い斜面の芝生は絶好の見物場所。沖縄の人はとにかく外で集まって飲んだり食べたりするのが大好き、まつりはそんな沖縄式ピクニックの絶好の機会です。

地元出演者のほのぼのした芸能の出し物が終わって、いよいよお目当ての花火。芝生に寝っ転がって見上げると、距離が近いせいか火の粉が落ちてきそうな大迫力!最高でした。

しかし、花火はフィナーレではなく最後に世界の何とか大会で優勝した創作エイサー「レキオス」。大迫力体育会系の踊りです。


そして、プロデューサーでもある日出克という人が途中で登場、まずはソロギター演奏。


その音色の何とも心地よい事。
一気に、興味がその演奏でも踊りでもなく、その音色の楽器の事のみにいってしまいました。
妙な形のギターでしたが、後で調べるとプロフィールに「新しい音楽を求めて上京した際、アジア的音色を持つ太古ギターとの出会いが、再びルーツに着目した音楽を創るきっかけとなる」とあり、さらに興味は募るばかり。
太古ギター??
日本製ビザールギターか?
手作りギターか?


翌日は、村役場から車ですぐのところで、生まれて初めての闘牛大会を観戦。


現在闘牛大会は、ほとんどが新しく出来た多目的石川ドーム(近所だけど)で開催されているようなので、屋外の太陽の下で見られるのは貴重です。しかも普段は、2500~3000円は掛かる入場料が無料!
そりゃ見ない訳にはいきません。
台風のせいか、日陰が少なく日差しがキツイ時もありましたが、会場は久々の闘牛観戦で熱気むんむんな雰囲気。
注目を集めた結びの一番は、好守ところを替える激戦、対戦時間6分余で「与那嶺花形篤希號」が「かめくらパンダ」を下しました。

(以下闘牛速報より)
対戦開始と同時にパンダが突っかけ、その後両牛は激しく押し合い、一進一退の攻防となった。対戦経過4分過ぎまでは互角の形勢だったが、パンダが先に疲れた。6分過ぎ、スタミナ切れでパンダの動きや鈍るや否やここを勝機とばかり篤希號がパンダを柵際に押し込んだ。何とか窮地を脱しようとするパンダだったが、篤希號は間髪を入れず腹取りを決めた。この直後、必死に留めの腹取りを逃れたパンダだったが、もはや戦意なく脱兎のごとく敗走。


今回は、土産にひかげへごの新芽(やんばるならどこでも採れる)を源河川付近でボキッとお持ち帰り。アンチョビとあえて食せば、ネバネバして非常に美味、滋養強壮にもよし、生死をかけた闘牛のように粘り強くならねば、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

差別と偏見を失くす為には、、、

2012-08-08 07:10:38 | やんばる
まず、正しい知識が必要です。

無知、学習をしないことは、差別や偏見を生み出します。

ハンセン病の残酷な扱われ方も、無知から始まる差別と偏見でした。


沖縄は本土の僻地や離島以上に、汚いもの(と思われてるもの)や危険なものなどを中央から押し付けられているところです。長年人を殺し続けている米軍基地もそうですが、ハンセン病(ライ病)の療養所も宮古や沖縄に作られました。

ハンセン病の患者は、昔から差別と偏見のなかで暮らしてきました。日本では1907年(明40)に「癩予防ニ関スル件(癩予防法)」が制定されて、患者は公立の療養所に隔離されることとなり、1931年(昭6)には在宅患者についてもこの療養所への収容が始まりました。戦争へと進むなかで弱者であるハンセン病患者はいっそう強圧的にかりだされ強制隔離されていきました。
 戦後1953年(昭28)、すでに特効薬の発見により、ハンセン病は隔離から外来通院治療へと世界的な流れが変わっているときに、日本では「らい予防法」が制定され、従来からの旧法にしたがった隔離政策がとられ続けることとなったのです。
 
世界にも例をみないこの酷い政策が、旧法成立から約90年後の1996年(平成8年)、ようやく廃止されることとなりました。
ついこの間まで、差別にさらされてきたわけです。


今やエメラルドグリーンの海を見下ろせる橋が架かって、沖縄旅行者がちゅら海水族館の次に目指すドライブスポット、屋我地島にある国立療養所愛楽園へ行ってきました。
ここでは、約200人、平均年齢80歳の行き場のない差別にさらされてきた人々が暮らしています。

今回は同じ読谷に豪邸を持つ、古謝美佐子さんにくっついての参上。古謝さんはその長髪もステキで、ステージに上がるとものすごく貫ろくがあります。
祭りのトリのステージで、急な豪雨に見舞われましたが、歌いながらも観客を屋根のあるステージに誘導し事なきを得ました。
暑がりの古謝さんは、常に冷房設定20度!控え室はキンキンに冷えています。そんな中で食べた差し入れの温室みかんの美味いこと。
「このみかん、ぬるいのよ~」とおっしゃってましたが。

灰野敬二さんが沖縄へ来たときは、是非とも古謝さんと長髪デュオをやって欲しいと望みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やんばるへ運転がんばるの巻

2012-05-06 12:23:33 | やんばる
北は盲目の旅芸人、津軽三味線弾きの高橋竹山。
南は奄美の路傍の石、盲目の竪琴弾きの里国隆。
そして、ここにもう一人、
沖縄の放浪親子(いつか車上生活者になるかも)の盲目のドライバー、ワ・タ・シ。

数日前から激しい目の痒みで、連日充血、目が開けられないんです。
目を閉じると砂が入ってるような違和感あるし、朝は目やにでべっとり、まぶたが開きません。毎年苦しんでいたスギ花粉症がなくってラッキーと思ってましたが、今頃何かの別の花粉アレルギーかも。

しかし黄金週刊、北部やんばるの村の雰囲気と宿調査の為に二泊でドライブ旅行に出掛けたのでありました。連休の混雑を避けるために、美ら海水族館へ至る西海岸路線を避け、地味な東海岸を北上。
一泊目は、辺野古にある「海と風の宿」。

車椅子で単身インドバナラシまで行くような宿主の前で、目が痒いなんて言ってられません。

二泊目は、沖縄本島最北端の村にある海の見える宿「朝日屋」。

ここは、東村の人気の森カフェ「山瓶」のオーナーが作っただけあって、自然に溶け合った手作りの建物が最高でした!


行きも帰りも寄ったが不在で入れなかった、沖縄最古の鉄筋コンクリート建築の大宜味村旧役場


沖縄最北の街に南米料理屋を発見。


さて、帰りのドライブのお供はスティービーワンダー。横揺れしながらスローに安全運転。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする