『Welcomeのぶ・ろ・ぐ』A recluse in Manila

隠遁オヤジは今日もまた桜散る散る日本と陽はまた昇るマニラにて世の無常を嘆きつつ、後は野となれ山となれ。

甲子園の「怪物」

2005年10月10日 | 趣味(高校野球観戦)
小生が中学生のころ、高校野球で「怪物」といわれた男がいた。
作新学院の江川卓投手だ。当時はスピードガンというものがなかったので球速は計測できないが、おそらく140㌔後半はでていたか、あるいは今夏の大阪桐蔭の辻内の150キロを凌ぐものがあったに違いない。
当時は金属バットを使用していない時代なので単純な比較は出来ないが、奪三振の数を見れば圧倒的な存在だったということがわかる。とにかく三振の山、ヒットが出ないどころかバットにボールが当たらないのだ。
こういう剛球投手がいるチームは打てないと、昔から相場が決まっている。
江川が孤軍奮闘、投げても投げても見方が援護できずに延長戦突入なんて試合が2つくらいあったような気がする。小生の中では「甲子園の怪物」といえば江川だ。

もし江川に匹敵する投手ならば横浜の松坂しかいない。地獄の準々決勝でPLを下し、準決勝では奇跡的な逆転劇、そして決勝ではノーヒットノーラン達成という偉業を成し遂げた松坂は強運の持ち主といえる。

江川が「昭和の甲子園の怪物投手」なら松坂は「平成の甲子園怪物投手」だろうか。打者では清原が圧倒的な存在感があった。星稜の松井は当時は清原ほど本塁打を打っていないが、それでも完全に他を圧倒していた。

小生の中で「怪物」といえば、やはり投の江川、松坂打の清原、松井だろうか・・・。

そんな「怪物談義」を秋の夜長におひとつどうぞ。
怪物たちの世代―その時、甲子園が揺れた

竹書房

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2 コメント

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怪物江川 (春一番)
2005-10-10 20:00:30
江川をはじめてTVで見たときは、今すぐにでもプロ野球で通用すると思いましたよ。相手の柳川は全員がバスター戦法とりましたね。
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そうです (welcome)
2005-10-11 15:16:33
 夏初戦相手の柳川は「これはとても打てない」と見るや、すかさずバスター戦法をとりました。あの試合は延長戦になって作新としては危ない試合でした。

 

 打てそうにないと思ったら何か工夫をするという点では春の広島商業は徹底していました。

江川が投げにくいようにタイムをかけたり打席をわざとはずしたり、心理作戦で揺さぶって結局センバツ準決勝では広島商業が作新を破りました。

 こういう工夫を感じたのは最近では名電だけですね。
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