マニラにいる時には、真っ昼間からフェスティバルモールやスターモール、アラバンタウンセンターに人がたくさんいますので、はじめは驚くのですが、いつしかそれに慣れてしまいます。
多分、モールの中にあるスーパーのレジ待ちを見たらうんざりする事でしょう。相方はいきなりうんざりしていました。
小生は今でも時間をずらして買っています。
土日などは、比国の家族はそれこそ大量動員をかけて家族総出でモールに出撃してきますので、小生のような単独狙撃兵は、勢いゲリラ戦を展開するの止むなきに至っております。
こうして、人出の多い毎日を見続けて、いいほど慣れた頃に日本に帰国します。
故郷の岐阜に帰ると、、、街の中心街であるにもかかわらず、妙に閑散とした雰囲気なのです。
人が、、、いない、、、。
絶対的に少ないもの=人間の数
ちなみに昼間の中心街は、お年寄りが圧倒的に多いです。
この差に、圧倒的な差に、、、どうしてもネガティブになりがちです。
人の数の不等式は、、こんな感じです。↓
マニラ>>>>セントレア>>>>岐阜>>>>>>>>>>>>小生の居住区
9月15日は『敬老の日』。
市内の連合自治会単位(だと思いますが)で、それぞれが毎年昼食会を企画していまして、市内の一流ホテルや旅館で食事会をする連合自治会もあれば、近所の公民館でおこなうところもあったようです。
「落語とか、漫才とか呼ぶよりも、あたしゃ校区の中学生や高校生の合唱を聴いた方がうれしいんだけどねぇ」とは御母堂様。
なるほど、自分たちの後輩の歌う姿を見るのはなによりうれしいものでしょう。
もし自分が母と同じ年齢だったら、やはりそう思うでしょう。
付け加えなければなりませぬ。
昨日記した必殺の補聴器は、その威力をいかんなく発揮して、地獄耳に大変身。
「皆の話が実によく聴こえた」と意気揚々と帰宅したのでした。Vサイン!
ところで、ちょっと統計を見ましょう。
65歳以上が25.9%です。75歳以上が8人に一人の割合とか。帰国しますと、それは体感的に分かります。
(外国とくに人口の多い外国の大都市に行った事のない人には、なかなかわからないかもしれないです。)
日本は人口が減少しつつも、高齢者の人口が増加している国です。
労働人口は、今でさえ8,302万人と少ないのに、2030年になると6,740万人と今より20%減少すると予想されます。
総人口が減る。労働人口も大きく減る。65歳以上が増える。そうなると、労働者をどこからか(はっきり言えば外国です)呼んで不足を補う方法が必要となるでしょう。
あるいは、65歳以上の先輩方にも、今一度のがんばりをお願いすることになるでしょう。
聞くところによれば、まだまだ働きたい!という先輩方はたくさんおられるようです。
こういう人々を、活用すると言うと失礼な言い方かもしれませんが、ひとつお力をお借りして、なんとか皆で知恵をしぼって、困難を乗り越えようじゃありませんか。
さすれば、前人未到の超高齢社会のモデル国家として、日本が世界に先陣を切って「かくあるべし」と見せる事ができるでしょう。
それでも、労働人口はまだ不足するでしょう。
これについては長くなるのでここでやめておきましょう。
さて、100歳以上の高齢者は、今年100歳になる方々が29,357人で、合計58,820人です。
こちらの厚労省の資料に内訳があります。
小生思うのですが、長生きも良いのですが、どうせ長生きするなら「健康で長生き」が理想ですね。
しかし、いくら健康で長生きでも人間にはあらかじめ決められた寿命があります。
昔から「ピンコロ」とはよくいったものです。ピンピン生きて、コロッと死ぬ。
『ピンコロ』=『健康で長生き、静かな人生の閉幕』が理想です。
往生際悪く、ボケまくって、悪態をつきまくって、さんざんのたうち回って、家族に嫌われ、「おじい、早く死ね!」などと孫にまでいわれながら生きながらえるのは哀しすぎます。
なんとかそういうことは避けたいものですが、これとて自分が好きでそうなるわけではないのです。
ですから、「どうか神様お願いします」あるいは「どうか御仏様ご先祖様」と手を合わせて祈らざるを得ないのです。
それにしましても、とっくに人生の折り返し地点を過ぎていますからね。
残りは今まで走ってきたよりもはるかに短いわけですよ。
いつかわかりません。何が起きるか分かりませんから、明日かもしれません。
たとえ無事であっても、そう遠くない日にですよ、、人生の幕が閉じるんですね。
ため息、、、
高齢者向けの食事
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多分、モールの中にあるスーパーのレジ待ちを見たらうんざりする事でしょう。相方はいきなりうんざりしていました。
小生は今でも時間をずらして買っています。
土日などは、比国の家族はそれこそ大量動員をかけて家族総出でモールに出撃してきますので、小生のような単独狙撃兵は、勢いゲリラ戦を展開するの止むなきに至っております。
こうして、人出の多い毎日を見続けて、いいほど慣れた頃に日本に帰国します。
故郷の岐阜に帰ると、、、街の中心街であるにもかかわらず、妙に閑散とした雰囲気なのです。
人が、、、いない、、、。
絶対的に少ないもの=人間の数
ちなみに昼間の中心街は、お年寄りが圧倒的に多いです。
この差に、圧倒的な差に、、、どうしてもネガティブになりがちです。
人の数の不等式は、、こんな感じです。↓
マニラ>>>>セントレア>>>>岐阜>>>>>>>>>>>>小生の居住区
9月15日は『敬老の日』。
市内の連合自治会単位(だと思いますが)で、それぞれが毎年昼食会を企画していまして、市内の一流ホテルや旅館で食事会をする連合自治会もあれば、近所の公民館でおこなうところもあったようです。
「落語とか、漫才とか呼ぶよりも、あたしゃ校区の中学生や高校生の合唱を聴いた方がうれしいんだけどねぇ」とは御母堂様。
なるほど、自分たちの後輩の歌う姿を見るのはなによりうれしいものでしょう。
もし自分が母と同じ年齢だったら、やはりそう思うでしょう。
付け加えなければなりませぬ。
昨日記した必殺の補聴器は、その威力をいかんなく発揮して、地獄耳に大変身。
「皆の話が実によく聴こえた」と意気揚々と帰宅したのでした。Vサイン!
ところで、ちょっと統計を見ましょう。
65歳以上が25.9%です。75歳以上が8人に一人の割合とか。帰国しますと、それは体感的に分かります。
(外国とくに人口の多い外国の大都市に行った事のない人には、なかなかわからないかもしれないです。)
日本は人口が減少しつつも、高齢者の人口が増加している国です。
労働人口は、今でさえ8,302万人と少ないのに、2030年になると6,740万人と今より20%減少すると予想されます。
総人口が減る。労働人口も大きく減る。65歳以上が増える。そうなると、労働者をどこからか(はっきり言えば外国です)呼んで不足を補う方法が必要となるでしょう。
あるいは、65歳以上の先輩方にも、今一度のがんばりをお願いすることになるでしょう。
聞くところによれば、まだまだ働きたい!という先輩方はたくさんおられるようです。
こういう人々を、活用すると言うと失礼な言い方かもしれませんが、ひとつお力をお借りして、なんとか皆で知恵をしぼって、困難を乗り越えようじゃありませんか。
さすれば、前人未到の超高齢社会のモデル国家として、日本が世界に先陣を切って「かくあるべし」と見せる事ができるでしょう。
それでも、労働人口はまだ不足するでしょう。
これについては長くなるのでここでやめておきましょう。
さて、100歳以上の高齢者は、今年100歳になる方々が29,357人で、合計58,820人です。
こちらの厚労省の資料に内訳があります。
小生思うのですが、長生きも良いのですが、どうせ長生きするなら「健康で長生き」が理想ですね。
しかし、いくら健康で長生きでも人間にはあらかじめ決められた寿命があります。
昔から「ピンコロ」とはよくいったものです。ピンピン生きて、コロッと死ぬ。
『ピンコロ』=『健康で長生き、静かな人生の閉幕』が理想です。
往生際悪く、ボケまくって、悪態をつきまくって、さんざんのたうち回って、家族に嫌われ、「おじい、早く死ね!」などと孫にまでいわれながら生きながらえるのは哀しすぎます。
なんとかそういうことは避けたいものですが、これとて自分が好きでそうなるわけではないのです。
ですから、「どうか神様お願いします」あるいは「どうか御仏様ご先祖様」と手を合わせて祈らざるを得ないのです。
それにしましても、とっくに人生の折り返し地点を過ぎていますからね。
残りは今まで走ってきたよりもはるかに短いわけですよ。
いつかわかりません。何が起きるか分かりませんから、明日かもしれません。
たとえ無事であっても、そう遠くない日にですよ、、人生の幕が閉じるんですね。
ため息、、、
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還暦後気がついたのは「生」に対する考えが変わり執着心が希薄になりましたが肺癌になった時に女房のお百度参りを知り女房とその子供達が卒業するのが終点、愚息夫婦に子が小学入学するまで、喜寿まで仕事し後人を育てる覚悟ですが癌になった時に好きな事やって、食わせる事くらいすると言われた為か定期検査は転移再発症可能性ががゼロ、あと1年が正念場です。
年金頼り生活なんてクッソくらえ!長い人生で自活生活を考えなかったなんてアリとキリギリスの違いです。後者が増える事に、特に在比邦人にガックリしてます。
亡妻故祖父は死ねばその人が分かるが口癖でした。
こんな人が少なくなりました。比で知る邦人も旅発ってしまった人が多いです。
これから先人に負けないようひと仕事します。子供女房に背中を見せなくては。。。
餌が取れなくなったら後世の負担を最小限にするのが大事だと思います。