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特定秘密保護法案、成立したら 市民生活こうなる 崩壊する知る権利
2013年11月11日 毎日新聞
国の安全保障にかかわる重要情報を漏らした者に重罰を科す「特定秘密保護法案」の衆院での審議が始まった。法案が成立すると、どんな影響があるのだろうか。必要な情報が市民に届かなくなる恐れはないのか。内部告発者は守られるのか。国会による行政機関のチェックはできるのか。三つのケースを想定し、弁護士の協力を得て考えてみた(各ケース末尾の弁護士以外の名前はすべて仮名...)。【日下部聡、青島顕、臺宏士】
◆ケース<1> 原発の津波対策を調べる住民
◇「そそのかし」で有罪
原子力発電所から3キロほど離れた集落で、自動車修理業を営む自治会長の加藤拓郎(57)は、住民のために原発事故対策を再確認したいと考えた。再稼働が迫っていたからだ。
福島では、地下の非常用ディーゼル発電機が津波で水没して大事故を招いた。「ここではどこにあるのだろう」。電力会社に問い合わせたが「セキュリティー上の理由」で教えてもらえず、県や市の担当者も「電力会社に聞いてほしい」と言うばかりだった。
話が進まない中、高校時代の剣道部の後輩で、地元警察署長に着任したばかりの佐川淳彦(55)の顔が浮かんだ。仕事上、警察との付き合いはある。あいさつに行った時、栄転に高揚した表情の佐川は「原発テロ対策が大変ですよ」と話していた。加藤は佐川の携帯電話を鳴らした。
「原発の非常用発電機は津波にやられない場所にあるのかな」
「……それね、言えないんですよ」
「どうして?」
「ほら、新しくできた法律がありますよね。特定秘密の。警備の関係で微妙なところもありまして……」
納得いかない加藤は、支援する市議や面識のあった地元紙の鈴木幸恵記者(38)に問い合わせ、市民団体の勉強会にも参加して情報収集に努めた。しかし、非常用発電機の位置については分からないまま。
一方、鈴木記者は加藤の奮闘を記事にして問題提起しようと考えた。だが、取材の壁も厚かった。旧知の市幹部は「それはほら、これになったから」と、口にチャックする仕草をしてみせた。
加藤は佐川署長を居酒屋に呼び出し、再び切り込んだ。
「どうして住民が知らされないんだ。真っ先に危なくなるのは俺たちだ。おかしいだろう。教えろ」
気持ちが高ぶった加藤は思わずバン、とテーブルをたたいた。ビールのコップが床に落ちて割れた。
「おっしゃる通りです。でも、私の立場も分かってください」。佐川はしばらく沈黙した後、こう付け加えた。「加藤さん、反原発の集会に出たりしてませんか。気をつけたほうがいいですよ」
加藤がテロ防止に関する特定秘密の漏えいを「そそのかした」として、特定秘密保護法違反(教唆)容疑で逮捕されたのは、その数日後だった。県警本部の公安部門が加藤の行動を監視していたのだった。家宅捜索で携帯電話やパソコンを押収され、送受信記録の残っていた市議、市民団体幹部らも軒並み事情聴取を受けた。佐川は不定期異動で署長を外され依願退職した。
鈴木記者も「念のため」と事情聴取され、捜査員に「加藤と共謀したのでは」と繰り返し尋ねられた。立件はされなかったが、夫と息子が心配する様子を見て、再び同じような取材をする気になれないでいる。
加藤は起訴され、無罪を主張した。地元弁護士会が弁護団を組んで地裁での公判に臨んだものの、冒頭から水掛け論になった。
検察官「被告人は特定秘密に指定されたテロリズムの防止に関する事項の入手を企図し、特定秘密取扱者に対し、先輩・後輩の関係を利用して威圧するなど、個人の人格を著しくじゅうりんする態様によってその漏えいを教唆したものである」
弁護人「被告人が入手しようとした事項とは何ですか」
検察官「特定秘密に指定されており、明らかにできません」
弁護人「中身が何か分からなければ、被告人の行為を罰すべきかどうか裁判所が判断できませんよ」
検察官「特定秘密に指定された情報であるから違法です」
かみ合わないやり取りのまま結審し、判決は懲役1年6月、執行猶予3年の有罪。裁判長は「当該情報は、外形立証により実質的な秘密であると推認できる」と述べた。
「外形立証」とは、情報の内容を明かさず、それが秘密として保護に値することを証明する手法だ。秘密指定の手続きが正当であることなどを立証すればいいとされる。
控訴はしたい。だが、逮捕で収入は激減、人間関係にもひびが入り、加藤は途方に暮れるしかなかった。
◇
◇畠田健治・大阪弁護士会秘密保全法制対策本部事務局長の話
特定秘密保護法案では、公務員が情報を漏らさなくても、そそのかしただけで罪に問われる。報道機関等の取材は「正当業務行為」とされたが、市民が同様のことをすれば教唆や共謀に問われる恐れがある。外形立証は検察側の言いっ放しになる。「大事なことが書いてあるから秘密だ」と。大事なことかどうか、最低限、裁判官が見られる仕組み(インカメラ審理)が必要。インカメラ審理を導入する情報公開法改正も不可欠だ。
◆ケース<2> オスプレイ計画を尋ねる議員
◇行政が裁量で情報秘匿
「その辺になるとお出しできないですね」
その答えに、野党のベテラン、田中善太郎衆院議員(63)は表情を硬くした。地元では、米軍の新型輸送機「オスプレイ」が上空を飛来する計画があるとうわさになっていた。そこで防衛省の担当課長、黒田一郎(45)に議員会館まで来てもらったのだ。
住民の不安を訴えても、黒田課長は「米軍から連絡が来ているようですが、警備の観点からお答えを差し控えさせていただきたい」と歯切れが悪い。「特定秘密に指定されているのか」と聞くと「そういう情報も含まれております。ご勘弁ください」。
田中議員は特定秘密保護法の成立後、以前にも増して役所の情報が取りにくくなったのを感じていた。
翌日、与党の同じ県選出議員、佐藤成一(55)に聞いてみた。
「先生は与党だから知っておられるのでしょう」
佐藤は即座に否定した。
「とんでもない。審議官を呼んだが『私の後ろ手にお縄がかかってしまいます』なんて言う。国防族の私も形無しだ」
数日後、田中議員は新聞記事に目がくぎ付けになった。オスプレイが選挙区をかすめて飛ぶ計画がルート図付きで載っている。慌てて記者に電話を入れると「防衛省や外務省に取材してもだめでしたが、米軍のホームページに概要があって、ワシントンで特派員が取材したら割と簡単に教えられたようです」。
憲法で保障された国会議員の「国政調査権」はなし崩しになっていくのか。田中議員は顔をゆがめた。
◇
◇元日本弁護士連合会副会長の江藤洋一弁護士の話
法案が成立したら、行政は国会の要請があっても秘密を提供するか拒否するかを決める裁量を持つ。提供する範囲も、内閣が定める「政令」で狭められる可能性がある。これでは国会の監視機能が働かず、民主的コントロールが機能しないことになる。
◆ケース<3> 自衛官が内部告発、米の盗聴
◇内容の違法性問われず
「米国情報機関からの情報が格段に増えた」
防衛省情報本部の自衛官、阿部進(30)はそう実感していた。任務は首相に報告が必要な情報の選別だ。特定秘密制度がスタートして以降、米国から大量の情報が寄せられ、情報の「質」も違ってきた。「これで日本に安心して情報が提供できる」と米国が判断したからだ。提供元は米国の国家安全保障局(NSA)。中国・北朝鮮、中国・ロシアの首脳間の電話協議内容はもちろん、首脳の朝食メニューにまで及ぶ。
特定秘密制度を導入した佐田一郎政権の支持率は下落。次の総選挙では石井千秋代表率いる民寿党が政権を奪い返す勢いだ。そのさなかに飛び込んできたのが石井の携帯電話の通話内容だった。日米同盟を重視する佐田政権を支える米側の配慮だった。日本の通信傍受法は、犯罪と無関係な通話の盗聴はできない。「いくら何でもやりすぎだ」。傍受した元の三沢基地は日本の領土。「違法行為は特定秘密の対象になり得ないから罰せられない」。阿部は確信して告発を決めた。旧知の弁護士に盗聴内容を記録した文書のコピーを手渡した。
弁護士が記者会見して発表すると、果たして大騒ぎになった。マスコミも大々的に報じた。しかし、誤算があった。三沢基地は日本の領土だが、米国の「公務」として傍受がなされているため、国内法は適用されない。「盗聴は違法行為ではない」というのが日本政府の公式見解。閲覧記録から、情報漏えいを突き止められた阿部は特定秘密保護法違反(特定秘密の漏えい)の罪で起訴された。拘置所に接見にきた国選弁護士は「罪を認めて反省の意思を示して、せめて執行猶予にしたい」。阿部は黙ってうなずくしかなかった。
◇
◇日弁連秘密保全法制対策本部事務局次長の山下幸夫弁護士の話
政府が特定秘密の違法性を認めることは考えられない。裁判所が違法性を仮に認定したとしても、実刑のリスクを抱える内部告発者の負担は心理面で大きく、重罰化で告発者が萎縮することは免れない。市民感覚が期待できる裁判員裁判も考えるべきだ。