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言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

小沢一郎の「表舞台」復帰に恐れおののく朝日社説

2012-01-13 19:38:02 | 言いたいことは何だ
小沢一郎の「表舞台」復帰に恐れおののく朝日社説

朝日新聞は小沢一郎復権によほど恐怖を感じるらしい。
小沢一郎氏の被告人質問について書いた1月9日の社説は、わなわな震えるような筆致で、書き手に同情をおぼえるほどである

「私たちは小沢氏に対して繰り返し、国会で説明責任を果たすよう求めてきた。ところが、氏は国会に出ていくことも、記者会見での突っ込んだやり取りも拒み続けた」

まことにみごとな恨み節からはじまった。「私たち」という何者かが求めた通りにしない小沢氏はけしからん、というのである。

小沢氏はフリージャーナリスト、外国人記者らにも開放してたびたび記者会見を開き、説明してきたと思うが、何が不足なのだろう。記者クラブ員だけの特権的密室記者会見に応じないのに腹が立つのだろうか。続く記述に移ろう。

「土地取引の原資になった4億円は、どんな金なのか。支援者からの浄財だ、銀行融資だ、個人資産だと説明が二転三転したのは、なぜなのか」

4億円ものカネがどういう流れで小沢氏のもとにやってきたのかを一括りに語れという。おそらくその中には「支援者からの浄財」もあれば、「銀行融資」もあれば、「個人資産」も含まれているのだろう。
カネが口座に入金するたびに全額引き出して、これはどういうカネか色か印でもつけてタンス預金しておけば、区分けができ、どの種類のカネが残っていたかも確認できる。

しかし、それを使うさいに、どの色のついたお札を使ったか記録しておかねば、朝日新聞や検察当局のご要望に応えられないのではないか。そういう考え方をしない理由があるとすれば一つしかない。4億円全額が、どこか1か所からこっそり手渡されたはずだと邪推する場合である。

つまり、小沢氏が4億円の裏献金をもらったと思い込んでいるか、そう思いたいか、どちらかだ。
人の先入観とか希望的観測というのは脳内からちゃんと文章となって出てくるから面白い。…いやまてよ、そうではないかもしれない。ちと人が好すぎる解釈をしてしまったのかもしれぬ。

裁判で小沢氏が被告人質問を受けるのにさいして、その直前に、さんざんこれまで吹聴してきた小沢悪玉論をいまいちど蒸し返し、ぶち上げることで、裁判官に圧力をかける効果を狙ったのかもしれぬ。だとすれば、朝日新聞、おぬしも相当ワルじゃのう、ということになる。しかし、次の部分はあきらかに小沢復権恐怖症候群がみてとれる。

「このところ小沢氏には、4月に予定される判決の『その後』を見すえた動きが目立つ。本人の刑事責任の有無は裁判所の判断をまつほかないが、忘れてならないのは、元秘書3人がそろって有罪判決を受けているという重く厳しい事実である。 その政治責任、監督責任を棚上げにしたまま表舞台に立とうとしても、多くの有権者が納得するはずがない」 これは何を言わんとしているのだろうか。「4月に予定される判決の『その後』を見すえた動きが目立つ」「表舞台に立とうとしても、多くの有権者が納得するはずがない」。

どうやら朝日も、無罪判決が出ることを予想し、「だからといって復権できると思うなよ」とクギを刺しているようにみえる。

その理由として、証拠もなく裁判官の「推認」「推測」だけで小沢の元秘書3人を有罪にした判決を持ち出し、「重く厳しい事実」とその裁判史上の汚点ともいうべき出来事を賛美しているのである。

小沢氏への恨み節からはじまって、4億円一色論でなじり、金権政治家イメージをふりまいたうえ、奇怪な元秘書有罪判決をもって、小沢の「表舞台」復帰はまかりならぬと、上から目線で断じてはばからない。

この感情過多で空威張りの過ぎる論説に、再販制や記者クラブ制度などに守られた大商業新聞の特権が、小沢という危険な男にぶち壊されないかと恐れおののく守旧的新聞人や経営者らの姿が浮かび上がってくる。


小沢裁判と陶片追放

2012-01-13 18:00:35 | 言いたいことは何だ
以前にも書いたが、古代ギリシャのアテネに「陶片追放」という制度があった。これは排除したい政治家などの名前を陶器のカケラに記し、一定数に達するとその者は国外に追放されるという制度だ。
この「陶片追放」は紀元前508年から90年ぐらい続いたそうだが、完全に秘密投票だから、誰が誰の名前を書いたかは分からないシステムだ。ところが、この制度は“政争”に悪用され、民主政治が衆愚政治に陥ったので廃止になったと言われる。 例えば、有名なペルシャ戦争で、アテネを勝利に導いた英雄テミストクレスもこの制度によって追放された。ここで「陶片追放」のことを長々と説明する時間はないが、私はふと、これが民主党元代表の小沢一郎氏を強制起訴した「検察審査会」に極めてよく似ていると思ったのである。
ご承知のように、検察審査会もメンバーの名前がさっぱり分からず、完全に秘密裏に議決をしているのだ。いや、本当に審査会をやっているのかと疑う人もいるほどだ。 それはともかく、排除したい人間を秘密裏に強制起訴する点では、陶片追放と極めてよく似ている。だから私は、今回の小沢裁判を現代の「陶片追放」だと呼んでいるのだ。
 
さて、本題に入ろう。いわゆる「小沢事件」(政治資金規正法違反容疑)については一昨年2月4日、東京地検が小沢氏を「不起訴」処分にした。ところが、翌5日に東京第5検察審査会に、ある人から「審査申し立て」が行なわれた。 このある人とは、在特会こと「在日特権を許さない市民の会」代表の桜井誠氏である。
ちなみに、桜井氏は小沢氏から個人的に被害を受けたなどの関係は全くなく、一市民の立場で申し立てをしたわけだ。これは明らかに「検察審査会法第2条第2項」に違反するものだと厳しく指摘する人も大勢いるが、結局、第5審査会事務局はこの申し立てを受理したのである。 上記の検察審査会法では、告訴人や告発人、被害を受けた当事者らでなければ申し立てはできないことになっているのに、なぜか第5審査会はこれをすぐに受理したのだ。
おかしいとは思わないか。 2月4日に検察の不起訴処分が出たというのに、間髪を容れず翌5日には審査申し立てが行なわれたのである。 こんなに手際の良いことがあるのか! これでは、検察側と桜井氏の間で綿密な打ち合わせがあったと疑わざるを得ない。普通、審査申し立て書類を準備するだけでも、大変な手間がかかるのだ。
もう少し利口な人間(?)なら、疑われないように1週間から10日たって申し立てをするのが普通だろう。それが待ってましたとばかりに翌日に申し立てをしたのだ。まさに“出来レース”ではないか!
 
私は、桜井氏の申し立てが検察審査会法に違反していると思っているが、ここで法律論争をするつもりはない。とにかく、第5審査会事務局はあっさりと受理したのだ。また、桜井氏が代表を務める「在特会」が在日韓国人・朝鮮人に対して激しい抗議行動をしているのは知っているが、ここではそれを取り上げるつもりはない。
問題は、何の関係もない一市民の申し立てがこんなに簡単に受理され、それが一政治家の運命をも左右するということだ。果たしてこういうことが許されるのか。私は小沢一郎という人間は好きではない。むしろ嫌いなタイプだ。 しかし、こんな理不尽な法手続きで、ある人間が強制起訴されることは絶対に認められない。 これでは古代アテネの悪名高い「陶片追放」と同じではないか!
民主主義のアテネは、衆愚政治の果てにやがて衰退していった。民主主義は良いが、「市民」だ「国民」だという名の下に、完全秘密主義で強制起訴をしていったら亡国のアテネのようになる。民主主義社会を混乱させるだけだ。本日はここまでにしておくが、皆さんはどのように思われるか。
なお、末尾に参考資料をリンクしておきたい。(2012年1月13日)
 
検察審査会・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AF%A9%E6%9F%BB%E4%BC%9A#.E7.94.B3.E7.AB.8B
桜井誠氏のブログ・・・http://ameblo.jp/doronpa01/entry-10455665539.html
極めて参考になる記事・・・http://www.janjanblog.com/archives/11774

被災地常駐理事、河野からの報告と原発被災障害者支援のお知らせです。

2012-01-13 17:46:54 | 言いたいことは何だ
 
http://blog-imgs-46.fc2.com/y/u/m/yumekaze21/yumekaze.gif


NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-14-1/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com




 


2012.01.11 Wed ヒデの救援レポート、012年・1月10日




  • 河野秀忠発

    2011年・春先の豪雪被災、新燃岳の噴火、東日本大震災被災、原発事故の無限被災、2度の台風被災、海外での地震、洪水などにより、最悪の世界史的記憶にとどまる2011年が去り、不安と希望ない交ぜの、2012年が始まりました。
     またまたの非日常の日常の被災地支援の開始です!hideメール通信のハジマリでもあります!本年もありがとうです!hide拝

     昨年の12月20日のメディアは新聞各紙とも、17日に国内視察途中の列車の中で心筋梗塞で死去した朝鮮民主主義人民共和国の最高権力者、総書記、キム・ジョンイル氏のことを、1面トップで報じていた。
    世襲政治、独裁政治の権化のように語られてきた人物のあっけない死去に、hideの心が何がしか揺れた。もう、随分と昔のことになるが、日本障害者市民解放運動の先駆者で、関東身体障害者定期刊行物協会の代表、翻訳家だった、故二日市安さんが舌鋒鋭く、世襲政治は国家を腐らせ、差別を加速させると論じられていたことを思い出した。
     東日本大震災被災過程にある今、原発事故のことも重なる。奇しくも、でもないか。キム氏は69歳での死去。hideもまた、69歳。hideたちが生まれた1942年には世界で初めて原子力発電が開発され、以後、核爆弾、核開発の連続図を世界的に描き出し、今の大震災による福島原発事故につながっている。
     キム氏は、その核開発の一方の人物としてあった。キム氏の死去によって権力の動向や国際政治の枠組みがどのように動くのかは、hideの知力では計りようがないけれど、隣国の核のバランスのありようには無関心ではいられない。キム氏の後継者がどうあれ、戦後の核時代の巨大な1ページが静かにめくられたことは間違いない。その真っ只中に東日本大震災救援活動もあることを忘れてはいけないと、hideは愚考するのであります。

    読売福祉文化賞を、ゆめ風基金として受賞しました。
    主催・読売新聞社・読売光と愛の事業団
    後援・厚労省・日本福祉文化学会
    2011年12月6日、読売新聞記事より
     21世紀にふさわしい福祉活動に取り組む個人や団体を顕彰する読売福祉文化賞2011年の受賞者が決まった。一般部門は、オリジナルの建材づくりで障害者の自立を後押しする千葉県流山市の橋田隆明さんのほか2団体、高齢者福祉部門では、お年寄りの健康を守るため地産地消の食堂を運営する青森市の活き粋あさむしなど3団体が選ばれた。
     副賞活動支援金として各100万円が贈られる。東日本大震災を受け、絆の大切さが見直される中、地道な活動で地域に笑顔を広げている受賞者を紹介する。
     受賞式が12月5日、東京の読売新聞本社で行われ、橘高事務局長が参加し入賞の記念楯と副賞100万円を受け取りました。ゆめ風基金が組織として受賞したのは初めてのことです。帰り道、骨折で入院中の永六輔さん・権代表をお見舞いに行き、受賞のことを報告すると、涙を流して喜ばれましたとのことです。

     被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、12月22日までに、203275257円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月26日までに、118839050円です。
     このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
    息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

    東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
    JDF被災地障害者支援センターふくしま第1次避難所訪問調査報告・からの抜粋
    始めに
     2011年3月11日、観測史上最大の地震・津波の大災害をうけ、福島県さらに日本では経験したこともない原発事故による深刻な放射能問題が加わり、未曽有の危機的状況をむかえました。4月6日、全国の支援のもと、福島県の障害関係団体が集まり、福島県内の被災した障害者・関係者への支援を目的にJDF被災地障害者支援センターふくしまを設立しました。
     このセンターの最初の活動として、この大災害による被害状況やニーズをきちんとひろい上げていく事を目的に第1次避難所訪問調査活動を展開しました。200か所近くの避難所訪問調査を全国のJDFの応援ももらいながら、2週間の短期間で行いました。しかし、私たちが考えた以上に避難所で生活している障害者が少ない状況にありました。
     一方で、1か月経過した避難所での障害者の生活実態やニーズがいろんな内容でうかびあがりました。命に直接かかわる問題や様々な方の精神的な問題など様々な問題が浮かび上がってきています。また、すでに避難所は第2次避難所として、旅館・ホテルに移り住まわれ、避難所の継続的使用の問題や集団生活の問題など3次、4次の避難所を移らざるをえない人、避難所では生活が難しく、やむなく民間アパートを借りた人など新たな生活に移りつつも生活上の問題が見えづらくなりつつもあります。
     今回、第1次避難所訪問調査活動の内容をまとめ、今手をうつべきこと、時間の経過とともに手をうつべきこと、これから考えていくべきことなどを検討するにあたって、何らかの示唆を提供することを目的にこの報告書を作成しました。ただ、これは実態やニーズ把握の入り口であって、まだまだ多くの障害者の生活上の困難さやニーズは顕在化していない。様々な形で実態を明らかにニーズを拾い出していくことを私たちの取り組みの柱とします。

    福島県第1次避難所調査の目的
     福島県内の第1次避難所を直接訪問し、障害者の避難状況、そこでの生活状況をつかみ、実態を明らかにする。 さらに障害者・家族のニーズをつかみ、緊急かつ専門性がいるものは、支援センターにつなぎ、物資支援などセンターで対応できるものは、対応する。生活実態・ニーズを整理する中で市町村・県・国で対応すべき問題は、要望活動につなげていく。

    調査範囲
    第1次避難地域の学校・公民館などの公共施設調査期間・4月5日~18日
    調査方法
    1チーム2、3人で各避難所をまわり、責任者・行政関係者・障害当事者・家族などから直接話しを聞く。調査した内容・避難所に障害者がいるか。どういう状況の生活状況か。そこで困っていること、ニーズ 後略

    参考資料事務連絡・宮城県保健福祉部地域福祉総務課長宛て
    厚生労働省社会・援護局総務課・災害救助・救援対策室長補佐避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について
    留意事項
     東北地方太平洋沖地震においては、多数の者が避難して継続的に救助を必要としているところであり、1日も早く被災者の方々の生活環境を整えることが重要である。特に高齢者や障害者等の災害時援護者については十分な配慮が必要である。このため、避難所の生活環境の整備及び応急仮設住宅の設置等による避難所の早期解消について下記のことに留意の上、十分な配慮をお願いしたい。
    1・避難所の設置期間の長期化が見込まれる場合は、次の設備や備品等を整備し、被災者に対するプライバシーの確保、暑さ対策、入浴及び洗濯の機会確保等、生活環境の改善対策を講じること。
     畳・マット・カーペット等の整備
     間仕切り用パーティションの設置
     冷暖房機器の設置
     仮設洗濯場(洗濯機・乾燥機を含む)・簡易シャワー・仮設風呂場等の設置
     高齢者、障害者等の災害時要援護者が使いやすい洋式の仮設トイレの設置
     等、必要に応じて行うこと。
    2・炊き出しその他による食品の給与を実施する場合には、長期化に対応してメニューの多様化、適温食の提供、栄養バランスの確保、高齢者や病弱者に対する配慮等を必要に応じて行うこと。以上




障がい者のためのわかりやすい東電賠償学習会
皆さんの抱えている原発事故の問題、悩みなど、具体的事例について弁護士からわかりやすく説明する学習会です。
日時:2012年1月29日(日)午後1時~3時
場所:ホテルハマツ福寿の間(2F)
参加費:無料(原則事前申し込み)
主催:日本障害フォーラム(JDF)
   日本弁護士連合会・福島県弁護士会
お問い合わせ:NPO法人あいえるの会
TEL024-925-2428 宇田・橋本


<福島原発事故> と <ビキニ環礁水爆実験⇒被爆者を見捨てた日本>

2012-01-13 07:19:23 | 言いたいことは何だ
 
イメージ 1
チェルノブイリのこどもたち より拝借
 
 
 
<南相馬より>戦いのキーワード①
★被ばく限度は年、1ミリシーベルトが法の下の平等★
http://blogs.yahoo.co.jp/kawachikakekomian/7856141.html
 
 
 
わずかな量の体内セシウムであっても最初は心臓血管系
▼<体内のセシウム 137>被曝は低線量でも危険▼
元ゴメリ医大学長、バンダジェフスキー博士
チェルノブイリ事故後の
  ゴメリ州住民の突然死の99%に 心筋不調があった
http://blogs.yahoo.co.jp/kawachikakekomian/7527591.html
 
 
 
 
 

ずっとずうっと! 国民の命を軽視してきたのですか?!
半世紀以上も前のことですが
あまりにも 「命」かるがるしい
 
日本政府の対応は 
さらに醜くなっている。
 
 
 
 
http://blog.livedoor.jp/mark22003/archives/51694190.html
↑光をめざして さまより抜粋転載↓

福島後に何が起こり、私たちは何をなすべきかは「ビキニ事件」の教訓に学べ(米国との取り引きで被ばく者を見捨てた日本政府)




1954年に六回にわたって太平洋のビキニ環礁で
米国が水爆実験を繰り返していました。

そして、この大規模な核実験の最中に
太平洋沖で操業をおこなっていた日本のマグロ漁船が
深刻な被害を受けています。
 

実験当時、太平洋上で操業していたマグロ漁船の数は1200隻にのぼり、
そのなかでも死の灰を直接かぶって被災し、
死者1人を出した「第五福竜丸」は今でもその名をとどめています。

『足元からダーッと地鳴りがし、夕方のような空の色がしばらく消えなかった。
3月1日の夜明け前、20歳の漁師であった私は
仮眠中に光と轟音に飛び起きました。

米軍に見つかれば証拠隠滅のために沈められることを恐れた船長は
「船や飛行機が見えたらすぐに知らせろ」と、
甲板にいた船員たちに指示を出していました。

降ってくる白い灰が皮膚に付着すると水ぶくれになり、
髪の毛がボロボロと抜け落ちました。』
 
 

これは被災した「第五福竜丸」の元乗組員だった大石又七氏の証言ですが、
氏は被ばくの事実を知られたくないと東京に逃れ、
ひっそりと暮らしていたといいます。

だが、屈強な男ぞろいのマグロ漁船員の中からも
後になって、脱毛や鼻血、歯が抜けるといった
健康異変が次々と出はじめ、
子どもの死産や仲間の死に
 
「このまま事実を埋もれさせたくない」との思いを募らせた大石氏は
重い口を開き、この事件の証人として体験を語り始めたのでした。

さて、水爆実験はビキニ環礁から3000km離れた
ミッドウェー海域で操業していた漁船さえも放射能で汚染し、
放射能の混じった雨は日本本土にも降り注ぎました。

これをきっかけに日本全国各地で
「原水爆禁止署名」の運動がおこり、
1年間に3200万人の市民が署名をしています。
 

また、翌年の1955年には第一回の原水爆禁止世界大会が開かれ、
その翌年には広島、長崎の被爆者の手により日本被団協が結成されたのでした。
 
ところが、日本国民の間にひろがった真相究明と原水爆反対の世論にたいして、
当時の日本政府がまずおこなったことは
情報遮断でした。
 
国民を守るはずの日本政府は
被ばくした人々の放射能値の記録をサポタージュし、
マグロの放射線検査をわずか7ヶ月で打ち切ったのです。
 

また、1954年の5月に
政府は調査船を派遣して報告書を作成しながらも、
翌55年に米国政府が補償金200万ドルを払うことを決めると、
 
米国との間で“政治決着”をはかって
「ビキニ事件」の被ばく者を見捨ててしまったのです。

だが、ビキニ事件はそれでも忘れ去られることはなく、
科学者の調査や学生の聞き取りといった様々な形で語り継がれてきました。

また、1968年には
夢の島にうち捨てられていた「第五福竜丸」の船体が発見され、
保存の大きな運動がおこり、
同船体は現在、夢の島公園の「第五福竜丸展示館」に保管されています。
 
さて、これが半世紀前の「ビキニ事件」をめぐる歴史物語ですが、
3.11以降にこの事件の今を見つめることが、
 
 
福島の20年後、50年後の
状況を予測するのに大事なものになってきました。
「ビキニ事件」の事実を学ぶことは、
福島原発事故後の今、日本で何が起こっているのか、
私たちは何をなすべきなのかを知ることに繋がっています。

追伸
事件当時、魚のはらわたを食べた人が
健康被害に苦しんだと伝えられており、
これは放射性物質が内臓に蓄積されやすいことからおこったものと考えられます。

「プランクトンを小魚が食べて、その小魚を大型の魚が食べて
という食物連鎖で放射能が魚体内で濃縮される。
 
体内に入って蓄積がすすむと内臓から魚肉のほうへと汚染が移っていくので、
3・4月に取れた魚よりも、8月、9月、10月、11月に取れた魚のほうが危なかった。
だんだん食べるところに放射能がまわってくる」
 

これは漁民の被害の実態を長年にわたって調査してきた市民団体
「高知県太平洋核実験被災支援センター」事務局長の山下正寿氏の談話です。
 
 

第五福竜丸
http://www.youtube.com/watch?v=__vm9JrEWaE&feature=player_embedded