いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

6月14日(日) :すいか 目覚める

2009-09-01 15:50:20 | 救命センター入院3週目
いつのまにか、多臓器不全
6月14日(日) :すいか 目覚める



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[Tの定期メール]

朝:安定していました。脈拍80前後、血圧は最高は170前半で最低は80位でした。尿量は若干増えてきています。

夕:16:03今、目覚めました。目も開いていて、手も握り返してくれました。
みんな知っていると思いますが、昼、まるで病院モノのドラマのように目を覚ましました。
夜に行った時も初めは寝てましたが名前を呼ぶとパチっと目を開けました。
音楽をかける??と聞いたら、しっかりうなずいていました。目はしっかり見えているみたいですが、もともと目が悪いですからぼやけているかもしれないです。あと目が少し黄色かったですが、時間が経てば黄疸もとれるらしいので心配ないです。
脈拍&血圧も異常なしで尿量も少しづつ増えてきています。
気管切開について、今後のことについては、また明日か明後日にO先生から話しがあると思います。
それと、今まで2㍉だけ入っていた昇圧剤(DOB)の投与が終わったようです。これで残すところ点滴は2つです。



[すいかの記録]

 この日、目覚める。ずっと周りの声がいろいろと聞こえてきていたので、それに応じるサイン(顔をしかめるとか首を振るとか)を試みて周りの反応を窺う。いきなり目を開けると死者がよみがえったような不気味な印象を与えるのではないかと心配したからだ。
 口の中に痰が溜まってきて、取って欲しかったのでそのような表情をする。
男の看護師さんが気づき、痰を吸い取ってくれる。
これで楽になったのでおもむろに目を開く。
すると

「目、開いた!よかった!目開いたで!」
と叫ぶ声。

「すいか、わかるか」
妻の声に、まばたきで返事する。
「ここはどこか判る?K大病院。ここで命助けてもらったのよ」

 えっ?と思う。てっきりN病院にいると思っていた。Kばあも全く同じことを言ってくれた。
 それはともかく、皆一様に「良かった」「目覚めて良かった」と言ってくれ、誰も気味悪がらないので、自分も本当に目覚めて良かったとしみじみ思う。

 但し、目覚めたと言っても意識、認識はきわめて朦朧としていた。

 あの感覚を何と言えばいいのだろうか、「そこに一人の肉体が横たわっている」とは思えなかったのだ。

 見えるものは、天井、人の顔、姿などで、自分の身体は全く見えない。
 呼吸器を咥えているので口は判るし、痰が引っ掛かるので喉から肺は判るが、何も食べていないので食道、胃腸の感覚がわからない。これらは自分の体とは別物と思っていた。

 この日以降、しばらく現実と夢の混在が続く。


 K大病院の病室は天井にドアのある不思議な部屋だと思った。
(後から思うに、ドアの窓に見えたのは蛍光灯であり、ドアの枠はカーテンリールであろう)

 看護師たちは実にせっせと仕事をしている。その中に娘の姿があった。看護師見習いとして働いているようだ。(これも妄想であった)

 スキンヘッドに黒縁の眼鏡を掛けたT先生がいた。
「大きくゆっくり呼吸するようにして下さい」これが難しいのだが、
以後何度かこの言葉を聞く。
また、顔合わせのため、リハビリの先生がやってきたと思う。
太極拳か少林寺拳法をやってそうな細身の先生だ。

夕方、点滴または透析用の端子を取り付けるとのことで、肩か腕か覚えていないが、動脈に管を通すという処置があった。
滅茶苦茶痛かったが我慢した。


[妻の記録]

 私の母は見舞いに来ると、毎回「手を握ると、握り返してくる、ほら、ほらね」というようになった。母による妄想が混じっている可能性大である。

 私はすいかの弟Jと話をしていた。どうか尿量が戻るように、と家族全員が祈るような気持ちだったが、それをJは持ち前のリズムで明るく言う。

「にいちゃん、ビールをグーっと飲めば、ジャーって出るんやー!」
「・・・飲めるわけないやん、もう~  なあ、・・・」

 その瞬間、夫の目が開いた。
 白眼が真っ黄になっていて、瞼がむくんでめくれあがっている。
 でも、しっかりと見開いて、見ている。

 Jは待合でまっている家族に言いに行った(面会は二人ずつしかできない)。

 まず、私のことがわかるかどうかを確認し、次にK病院に入院したことを覚えているかどうか、呼吸困難になったことまでを覚えているかも確認した。危篤状態になったこと、そのあとK大の救命救急センターにいることはまだ知らないだろうから、それを伝えた。

 私はそこらへんにいる看護師さんに
「目を開けたんです、夫が・・・」といい、
精一杯喜んだ。

 全てがもう大丈夫という確信をもった。

 私たち家族は全員、感動で言葉もなかった。
 あれだけ危機的状態になり、一時はもう助からないとまで言われたのが、今、目覚めたのだ。
 目を真っ黄色にしながら、粘膜がむくんでめくれ上がった状態になりながら、とにかく体は淡々と治ってきている。



[娘の記録]

 すいかが目覚めた。
 …と、そんな感動的なシーンに私は立ち会うことなく、夕飯のしたくをしにサッサと家に帰っていた。めざめた時間を聞くと、ちょうど私がきゅうりを輪切りにしていたころだ。
 皆は涙してドラマチックな場面にいたのに、私はきゅうりだった。
 スネた気持ちになるのも分かってほしい。
 でも
「もう起きてもエエんやで」という私の声がちゃんと聞こえていて、
「そうか、もう目覚めていいのかなって感じた」
と父が言うのでそれで良しとした。
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