明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気付き(17)

2019-11-27 23:30:15 | 今日の話題
1、ワイヤレスイヤホンの充電ケース
昨日、柏の有賀園でデジタルクリニックを受講した帰りにイヤホンの充電ケースを置いて来てしまった。それに気が付いたのは、ビックカメラやイワキメガネやドトールなど回ってから家についてからである。3時間も経っていたし、もう疲れていたので放っておいて寝てしまった。余談だが、私の外出用メガネ2つとテレビ用メガネの3個のレンズを、遠近両用に入れ替えたのである。計11万4千円、だいぶ高かった。世の中にはもっと安く出来る店がごまんとあるのは知っているが、私はイワキメガネで作っている。それは母がイワキメガネの愛用者だったから、という理由も一つにはあった。何故か眼鏡屋はイワキになってしまう。まあ、どうでもいいことだが。

話を元に戻すと、私はヘッドフォンとネック式イヤホンの2つを持っているので、実はもうワイヤレス・イヤホンはいらないかなぁ、という気になりかかっていた。とにかく音楽を聞くのに、例えばヘッドフォンは帽子とかメガネとかが邪魔になるし、ネック式はメガネチェーンと絡まるので使いにくいとか、使う状況が限定されるのに対して、ワイヤレス・イヤホンは「全く関係なく」使えるので重宝していた。だが、一番の欠点は電源が3時間持たないことである。今は機械も進化しているので、5時間ぐらいは持つモデルもあるかもしれない。どちらにしても「まだ発展途上」の製品である。それで有賀園に取りに行くのを面倒がって、そのままオシャカにしようかとも思っていたが、今日思い直して有賀園まで取りに行くことにしたわけである。ケースは持ち主が取りに来るのを想定して、よく見えるレジの後ろにちんまり置いてあった。

「あっ、それです!」と言うと、店員はあっさり「どうぞ」と渡してくれた。やっぱり落とし物が出てくるってのは、気分が晴れやかになる。「さすが日本!」、落とし物が必ず出てくる素晴らしい国だ、と思いたかったが、この充電ケースはイヤホンとペアになっているので、本体がないと全然使い物にならないのである。だから出てきた、なんて斜に構えた皮肉っぽい意見を言うつもりは無いが、現金3万円が入った財布だったら「そう簡単には」出てこないだろう。世知辛い世の中になってきているのは仕方がないと思う。まあ、私の「うっかりミス」だから、出てくるも出てこないも、全部私の自業自得である。それにしても歳のせいだろうか、普段持ち歩かない充電ケースだけに、あっという間に紛失してしまったのは反省すべきである。

家を出るときには「何を持って出るか」一通り確認すること、場所を移動する時には「忘れ物がないか」確認すること、それと、とにかく毎回確認しながら何でも「ゆっくり慌てずに」行動すること、である。遅いのではない、ゆっくり「一つずつ確認」することが大事なのだ。イヤホンごときで大層な、とお叱りを頂きそうだが、「今日の気付き」である。で、失くしたイヤホンだが、これが出てきてみると案外と使い勝手が良く、以前にも増して愛聴するようになったのは皮肉である。こないだ行方不明の女児が警察に保護されて親元に戻って来たときにわんわん号泣した、とニュースに出ていたが、今日のイヤホンで「さもありなん」と感心した。失くした時にこそ、本当の愛情に目覚めるのである。怖い話だねぇ。

2、桜を見る会と菅官房長官の進退
こないだ奥さんの案里議員の公選法違反の疑いで法相を辞任したまま夫婦で国会を休んで行方がわからないでいる河井克行議員の問題で一悶着あったばかりの菅官房長官に、こんどは桜を見る会での反社会的人物とのツーショット写真が出てきて「またまた頭の痛い」話である。「令和」の発表で名前を売ったまでは順調で「次期首相は菅さんで決まり」と持ち上げられたあたりから暗雲が立ち込めて、ここに来て不祥事連発の議員ネタは全部「菅官房長官がらみ」の感さえ出てきているから只事ではない。まさか永田町で「菅封じ込め」の密約がこっそり進行しているのか、と疑いたくなるところだが「何があっても不思議ではない」のが政界の綱引きだそうだ。「二階幹事長」は桜を見る会の名簿に関して「廃棄なんてしなくていいのに」と言い放った。自民党の中にあって「正論を言える政治家」の面目躍如である。私は前から二階幹事長の「ケレン味のない発言」には拍手喝采を送っていたのだが、「少し年を取ってしまった」感が否めないのは残念である。信念のある政治家がいなくなった昨今では、二階幹事長みたいな「はっきり物を言う存在」は、もっと評価されてしかるべきだと思うけどどうでしょう。

それにしても安倍政権はズタボロの有様である。そもそもアベノミクスで一気に国民の支持を受け、それ以来「順調な経済」が売りだった安倍政権だが、その他の政策については「見るべきものが全く無い」状況で、本人が最も力を入れている「外交」にしたって、原発輸出が片っ端から頓挫していて東芝や日立は青息吐息、何かというと相変わらず「経済協力の名のもとでの金のバラマキ」しか策はないのだから、この人本当に日本の将来を任せられるんだろうか、というのが現実であろう。安倍首相が考える経済とは、畢竟「利益追求に徹する」ことに他ならない。この政権になってから上がそうだから「下々の世間の人に至っては、目先の利益のことしか考えなくなっている」状態で、ますます「1億総金儲け社会に拍車がかかっている」のが問題だ。もっと前は政治とは「人々の悩みを掬い取るもの」だった。それが今や「人々から金を吸い上げる」ことに汲々とする人種で永田町や経済界が溢れかえっている。

利益を追求するのは悪いことではないが、それより大事なことが「山ほどある」というのが人間社会では無いだろうか。その「利益と人間の折り合い」を上手につけるのが政治家の役目だと思うが、安倍首相では「荷が重すぎた」ようである。ここは安倍総理は「麻生副総理・菅官房長官共々」責任をとって総辞職したら良いんじゃないだろうか。まあ、選挙でまた自民党が圧勝するにしても、「少し中身を入れ替え」たほうが良いと思うけどね。それにしても反社会的人物と写真を撮っていたとなると「宮迫問題」との比較になって、流石の菅さんも引責辞任・議員辞職となるのは「避けられない」事態だが、どう切り抜けるのか。ここは官房長の「お手並み拝見」と行きたいところでしょう。

3、所ジョージの忠臣蔵
昨日久し振りに面白い番組を見た。題材は例の年末に必ずやってくる「忠臣蔵」の話だが、今回は今までの切り口を「大きく覆す大発見!」と大上段に構えたもんだから、大丈夫かな?と思って見ていた次第である。ところが忠臣蔵にまつわる古文書があるということで、取材チームが近松勘六の家来の近松甚三郎の子孫の家に突撃すると、歴史学者の「磯田道史」が出てきた古文書を見て「視聴者に分かるほどの、かなりテンパった」解説をしていたので、これは面白そうだと身を乗り出した。今までは大した分析力も独創的解釈もない歴史コメンテイターの磯田道史だったが、たまには真実を発掘することもあるんだな、と改めて歴史の面白さを再認識したのである。まあ、要するに大石内蔵助討ち入りの真の目的は、悪者吉良上野介を成敗することで「正義を通す」のではなく、主君浅野内匠頭の「無念を晴らす」ことが目的だった、ということが今回ハッキリしたわけである。いうなれば大石内蔵助に取っては「吉良が悪いかどうか」は興味がなく、ひとえに「浅野内匠頭が殺したいと思っていた人間だから殺した」、という単純明快な論理であった。

浅野内匠頭が何で吉良を殺したいと思ったのかについては、今まで色々と歴史家の間で論争があったようだが、本日結論が出たわけである。つまり、何も分からないままだということだ。吉良を殺せなかったことが「心残り」だと辞世の句で己の心情を吐露した浅野内匠頭の気持ちを胸に秘めて、長年宿願の討ち入りを見事やってのけた大石等のメンバーは、泉岳寺の浅野の墓前に吉良の首を据えて、亡き主君の「残された刀」で三度ずつ斬ってみせることで無念を晴らし、ようやく霊を弔うことが出来たわけである。正義もクソも無い、ただのヤクザの喧嘩なのだ。やられたらやり返す、そういう世界の出来事が今の現代にまで語り継がれたことに、日本人の感性がどう関係しているかは分からない。とにかく大石等47人の殺し屋集団はオヤジの遺志を実行したのである。凄まじいまでの主君と部下ではないか。私が思ったのは、世間の正義を物ともしない「命を懸けた鉄の結束」の凄さである。こういう人達と近づきにならなかっただけでも私の人生は良かったな、と正直思った(おお怖っ!)。これからの忠臣蔵ドラマは、正義も何もない「アウトローのダークな物語」に変わっていくのだろうか?、興味深いところである。

4、鈴木愛は賞金女王を取れるのか
エリエールでは惜しくも渋野日向子に優勝を譲ってしまったが、申ジエには賞金額で差を上積みできた。私は4連勝というプレッシャーから一旦開放されたので、鈴木愛にとっては良かったと思っている。もしエリエールで勝っていたら、前人未到の「5連勝」という壁が最終戦で重くのしかかって来たのは間違いない。勿論、渋野は賞金レースから圏外に去っていたとしても、申ジエがリコーカップの優勝賞金3000万円取れば「自力で賞金女王」という可能性も出てくるわけだ。鈴木愛としても「5連勝なんて凄い記録」も欲しいには違いないが、ここは念願の賞金女王奪還が「最重要命題」なので、そこに向けてもう一度リセットする機会を与えられたのは大きい、と私は見た。これで今週鈴木愛の7勝目と賞金女王戴冠が「現実味」を帯びてくる。彼女は、最大の敵はもはや「自分自身」だけ、と言えるほど完全な状態に仕上がっているはずである。鈴木愛、無人の荒野を行くがごとき圧勝を見せてくれ!

ところで私事で恐縮だが、昨日デジタルクリニックに行って画像分析をした結果、少し突込み癖の原因が分かったの書いておく。本来なら「ゴルフの真髄」という別のブログで書くべきなのだが、私はそういうタイトルを書くほどの技術も運動神経も持ち合わせていないことが先週「嫌というほど」分かったので、もう真髄なんていう言葉は2度と使ってはならない、と自戒を込めて、「今日の気付き」の方で書くことにした。それで今日の気付いた点は、右手で打ちに行くと「打点が思わぬ場所になる」という逆転現象だ。本来は器用なはずの右手を十分に使って強いインパクトを意識すると、何故かヘッドが早く落ちてダフったり、遠心力で外側にブレてシャンクしたり、インパクトで突っ込んで起き上がったりと、ロクな事がない。それで今日練習に行った折、試しに「右手の親指を離してスイング」してみた。右手が全く操作できないようにしてスイングするわけだから飛ぶはずがないと思うが豈図らんや、球は綺麗な弾道を描いて「いつもの飛距離」の地点へ落下したのである。「へぇーっ」と思ったが2球目も3球目も正確に飛んで行く。

これは私の右手がまだ完全に治っていないために起きた現象だとは思っているが、飛距離より「スイングが良くなった」ことに実はびっくりした。左手が綺麗に伸びていたのは当然だが(右手は使えないから)、前傾姿勢やハンドファーストなどの懸案事項も「見事に解決している」ではないか!。こりゃあ行ける、である。しばらく「右手の親指離し」グリップで打ってみたが、何も変な球は出なかった。それで今度ドライバー・ウッド・ユーティリティなどを試してみて上手く行ったら、ウェッジ以外は全部「これで行く」ことに決めたのである。何か私のゴルフは「おかしなこと」になってしまったが、もう「ゴルフの真髄」などという大それたタイトルは書かなくても良いので、少し肩の荷が下りて「こういうヘンテコリンなグリップも有り」となった。これからはゴルフの真髄を極めるのはもうやめて、ゴルフにまつわる気付き程度のおしゃべりをするつもりである。思えば左手だけでスイングするという練習方法は、あちこちの雑誌で良く見かけるが、結構真剣に取り組んでも良いかもね。

5、小藪晴豊の人生会議ポスター
人生会議という啓発活動のポスターに、小籔晴豊が起用されて全国自治体に配られる寸前で中止になった。なんでも中身が老人の不安を煽るから、というのが反対の大勢を占めているようだ。何でも反対するというのは近年の流行りのようでもあるが、役所もアイディアを検討する段階で「関連団体の意見」を聞くとかはしないのであろうか。すべて勝手に作って配布というんでは、余りにも「お役所仕事過ぎないか?」とも思うんである。考え方事態は「そこそこ良い」のだから、もう少し煮詰めてから発表すれば良かったのにね、という「お役所の真剣味の無さ」が出ちゃった例である。そこで私がこの問題に答えを書いてみた。

それは日本人全員が、還暦60歳になったら「人生設計書」をどこかの民間企業に提出することを義務付ける、という法案である。この書類の写しを国の年金課に必要書類として保管することで、全員が書くという保証が与えられ、その結果として年金が支払われる仕組みである。そして、人生設計書には国家として資産や残債などの死亡後処理上必要な「本人の意思確認」が記載され、漏れのないように質問形式の部分が付属する。今喫緊の課題である空き家問題や誰の所有かわからない土地とかの処分もスムーズになって、役所の方では随分助かるのではないだろうか。本人が嫌がって質問に答えなければ、「書類不備で年金が貰えない」ことになる。まあ、年金を人質に取っているようで批判もあるだろうが、困っているのは事実であるから役に立つことであれば、少々の不平不満も仕方ないであろう。

孤独老人で近所付き合いもないような場合に葬式はどうするのかとか、もっと言えば「孤独死になる状況」の対策としても活用できそうである。ようは「元気なうち」に色々話し合って置かなければいけないのに、きちんとしたフォーマットが無いので「そんなこと知らんがな」と相手にされずに放って置かれるのが実態だ。それを、還暦になったら「全員書く」という事で、「知らなかった」という不測の事態が解消される。これでいつ死んでも「少なくとも残された者」には、明確な死者の意思が伝わるわけである。これ、大事なことではないだろうか。

質問形式の他に本人の「死生観」や、やりたかった事や心残りなど、自由記述による本人の「生の言葉」も書けるようにしたらいいと思う。勿論、還暦を過ぎても人生はそれからだいぶ長いのだから、途中で書き直すことも充分有り得るわけで、死ぬまでは何回書き直しても良いとしておくのも、必須であろう。それらを一箇所でまとめるのは「コロコロ人が変わる政府」ではなく、国民の総意(選挙)で選ばれた100人くらいで構成する「民間の団体」が良いと思う。ちなみに名前は何でもいいが、「未来からの手紙基金」なんていうのも、洒落てていいかも。

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