明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ショートショート(38)天下の秘宝「蘭奢待」

2023-11-24 14:47:00 | 今日の話題

1、蘭奢待
いままで正倉院に秘匿されているという蘭奢待の存在は知っていて、信長が無理やり強引に切り取らせたということも常識として頭に入っていた。そしてNHKの歴史探偵「天下の名香 蘭奢待」で画面に登場したレプリカを初めて見た時には、レプリカだから見やすいように「大きく作ってある」のだろうと思って余裕をかまして眺めていた訳である。だが改めて寸法が実物大だと知った時には、私は「そのデカさに驚倒した」のである!。思わず「マジかぁ〜!」と叫んでしまった。

信長が蘭奢待を切り取らせたと何かの本で読んだ時には「きっと何cmか」切ったんだと思っていた。それでも全体が20cm位の香木であるから「信長、何ちゅうことさらすねん!」と怒りを覚えたものである。いくら天下布武の権力者と言えども、あの正倉院の御物を自分勝手にして良い筈はない。一度切り取ったものは二度と戻らないことぐらい知ってるだろうに、無茶するよね信長・・・である。

ところが画面で見る蘭奢待は全長1m20cmという、テレビで良く見る「台風で倒されたでっかい樹木」のような巨大な姿だった。これが天下の名香「蘭奢待」なの?、って感じである。これなら数cm切り取ったぐらいでは全然ビクともしない。むしろ、もうちょっと切ってもバチは当たらないと思えるデカさである。いままで香木だから20cmくらい、と考えていた自分の「先入観の怖さ」を思い知ったのだった(武田鉄矢風に、このバカちょんがぁ!)。

香道というのは茶道や華道などと同じように昔からある作法の一つで、伽羅とか白檀とかの香りの高い木片を「火の付いた炭の上に乗せ」て、そこから立ち昇る香りを嗅いで楽しむ遊びである。だから香木というのは大体20cmくらいの「箸」のような形に切り揃えられた木が売られており、それを小さく切り取って使うのだと思っていた。全くの思い込みである。その整形した木を伐りだす元の材木はいわば「原材料」であり、「香木とは呼ばない」と勝手に決めつけていた。

勿論知識というのは大体こういうものであろう。我々の知識と言うのは「経験と、それからの類推」で出来上がっている。だが知っていることと「そうだろうと思い込んでいる」ことの間には、事実と空想ぐらいの雲泥の差があることを知っておかねばなるまい。前回ブログで水上勉のことを「ミズカミ」と読むことの驚きについて書いたが、今回それに勝るとも劣らない驚きが「蘭奢待の実物」だった。

何事も実際に本物に触れて「自分の経験とする」ことが大事だ、と痛感した次第です(ああ、後の祭りかも・・・)。思い込みは「厳に慎むべし」ですね。

なお、徳川家康以下の歴代将軍が「蘭奢待」を最も大切な宝と扱い、天皇もこの稀代の香木を「政治の道具」として臣下に褒賞を与えるのに利用したことが歴史に見える。でもその香木が「本物だという証拠」はあるのだろうか?

多分、本物の香を嗅いだ経験のある人間はそうそういないだろうから、その木片が「蘭奢待」だと断言できる者は徳川幕府には「いなかった」んじゃないかと想像できる。まあ、天皇が蘭奢待だと言って下賜する訳だから「これは信用するしかない」のであるが、それにしても考えてみれば「証拠は何もない」話である。まるで「何年物のワイン」とか言ってオークションで何億という落札価格がニュースになるのと似ているではないか。しかも、そのワインは飲まずに価値が上がるのを待つというから「何をか況や」である。

とにかく本物かどうかを自分で確かめることこそが、「知識の第一歩」であると知った次第でした。お粗末さまです。

2、宝くじの贈与税
宝くじは皆さんご存じの通り「無税」です。しかしその当選金を「誰かに分けよう」と思ったら、これが中々大変だというのはご存じでしょうか?。私お気に入りの SmartNews に書いてあったのですが、何をどうやっても「税金を山ほど取られる仕組み」になっているのだそうです。ふざけてますよね、全くぅ。税金とはいったい何なんでしょうか?

昔は税金(年貢と言ったそうですが)は、支配者が自分の持ち物(土地とか山林や海川)を使って民衆が利益を得るのを許す代わりに、その中から「何割かの使用料」を納めさせていた、と私は理解しています(課税の根拠)。つまり何でもお殿様の財産だった訳ですね。ところが近代になって支配被支配の関係も様変わりし、戦後は民主主義になって土地も山林・海川も全部「民衆または個人の財産」になりました。

じゃあ税金は何のために払うのかというと、これは私の考えですが「社会福祉=互助会の基金の積み立て」だと考えています。それで自分が得た収入の中から経費を引いた「所得」に対して、一定の率で税金と称して「政府に納付」するようにした訳です。それを選挙で選ばれた人間が任されて「市民の為になるように運用」してるのが政治なわけです。

所得と言うのは言い換えれば「付加価値」ですね。人間が何か働いて、その結果得られた収入から「所得の多寡に応じて互助会基金を収める」仕組みが出来たと言えます。では、そのような「所得に応じた税金」という範疇に入らない「相続と贈与」にまで税金と称してお金をふんだくるのは何なんでしょう?

所得はある意味「働いて新たに財産=価値を作りだした」から、その中から一定の割合で互助会に積み立てをするのは分かります。でも相続や贈与というのは「既に財産になっているもの」を動かすだけだからAさんからBさんに「移動するだけ」で、財産的にはイーブンつまり「何の価値も増えない」のです。ただ持ち主の名前が変わるだけ、それだけなのに「何故、再度税金を払わなければならない」のでしょう?。二度払いじゃああーりませんか?皆の衆!(もはや死語となった昔の古いギャグ)

これは現代税制の「根源的な、また最大の疑問」です。

話を宝くじに戻しましょう。宝くじを「無税」で分け合う為には、「共同購入者」である必要があります(SmartNews による)。そして受け取る時にその共同購入者は実際に窓口に行かなければならないそうです。バカにしてますよねぇ。宝くじなんだから取りあえず全額受け取っておいて、後から好きなタイミングで「好きな人に好きなだけ」分け与えればいいじゃないですか、当然無税です!

元々宝くじを全額使い切らずに残してしまった場合、国に相続税ということで「何十%」も持って行かれてしまいます。それで税金で取られるのを防ごうとして、生前に誰かに贈与しようとする「悪い輩」を一網打尽にしようというのが「贈与税」という悪法ですね(これ、消費が最大の経済活動だという事を全く分かっていない経済音痴の官僚が考えた「お上」意識のプンプン匂う悪法。最悪です)。これじゃ折角宝くじで消費を増やしているにも拘らず、逆に高額宝くじなど「使いきれなくて」意味なく無駄遣いする羽目に市民を追い込んでいる訳です。国は宝くじという仕組みを使って「市民の消費欲を活性化」させている筈なのに、結局「税金で回収」するというのは、いったいどういうつもりなんでしょうか?

今すぐ税法を改訂して、とりあえず宝くじは「誰に分配しても無税」にすべきです!(パチパチパチ!)

そうすれば当選者は安心して使い道を考えることが出来、また気の合った仲間や愛する子供たちに気前よく「おすそ分け」することが出来て、みんな「丸ごとハッピーになれる」というもんです。そう思いませんか?

私の提案:贈与税は「無し」とする、です。皆さん、それを実現してくれる政党に投票しましょう!!

・・・というか、誰か宝くじに当たる方法をおせーて?、お願い!



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