明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

目黒川の桜並木

2018-04-08 18:10:00 | 今日の話題
目黒川の桜がスゴイ人出で満杯だ。日曜の「噂の東京マガジン」で紹介されていたが、番組で取り上げたのは楽しそうに桜を見ている人混みではなく、近隣の住民が迷惑してる話の方だ。この季節には目黒川沿いの道路に「一日24万人」の花見客が押し寄せるという。数100mの川沿いの桜を見るためだけに24万人も人々が押し寄せるなんて「馬鹿げている」という感覚は、私だけなのかもしれない。だが町内会の人々の努力や商店街の対策も虚しく、押し寄せる観光客は「道一杯に溢れて」、身動き出来ないほどの混雑に打つ手がない状況である。大観衆の屈託ない笑い声をよそに、近隣住人の憂鬱は深まるばかりだ。どうしてこんなになっちゃったのか?

要は「お金」である。最初は単に「綺麗な桜並木」を作ろうとしただけ、であろうと想像する。だが花見が有名になりインスタ映えの影響でさらに人が集まってきて、屋台も出て「お金を生む」ことが分かったのだ。商店街の店主らも売上が伸びて大喜びである。だがこの手の大人数の群衆が撒き散らす「予想されているマナー違反」は、町内会や商店街の努力ぐらいではとても追いつくレベルではない。近隣住民の静かな生活を、騒音やゴミ処理で「ぶち壊している」のが現実である。住民は区役所にも苦情を言い、商店街へもライトアップ時間の制限などクレームをつけていて、双方の溝は深まるばかりである。たった二週間ばかりのことなんだから「我慢してくれ」と商店街の人が思うのも、「どうしようもない」ことに苛立っている証なのだ。

たとえマナーが守られたとしても、人出でごった返している状況は「とても快適な生活」とは言えない。区役所も「お手上げ」だと言って手をこまねいているようでは、「無能」だと罵られても返す言葉はみつからないだろう。役人は「こういう時こそ」アイディアを出して見事解決するべきである。中学生でも出来るような単純な事務処理をするために、高給払って雇っているわけではないのだ。だがテレビでみる「区役所の担当者」は愚鈍そのもので、「ゴミは持ち帰るように指導しています」と真顔で仰る。「そんなわけ、ないだろう!」って突っ込みが、近隣住民から即座に入るのは「当然」である。実際にゴミだらけなのだから、手を打つべきなのだ。では、どうすればいいのか?

この問題には私が答えよう。ズバリ、入場料を取って「テーマパーク」にするのだ。入場料は1万円ぐらい取る、てのが良いんじゃないのかな。トラブルの原因はお金にあるのだから、解決もお金でするのが筋道と言うものである。でもそんなに簡単にいくのだろうか。では、もう少し詳しく考えてみよう。

1 見て通過するだけ
お金は取らず屋台も出さず、ひたすら見せるだけの客寄せである。「近くの店」にお金が落ちる「花火大会」形式である。イベントとしては標準だが、見に来た客の「地域にお金を落とす歩留まり」が悪い。24万人も集める割に精々「シェイクやたこ焼き類」しか売れないのでは、商売にならないにではないか。しゃれた店でもあればいいが、そもそもが生活道路に毛の生えた並木だけに「大したプロモーション」もできず、期間も短くて投資効果も無いとくれば、誰でも二の足を踏みそうだ。屋台やジャンクフードの「お祭り業者」はそこそこ潤うだろうが、近隣住民への保障を適正に行えば利益は殆ど無いに等しいと思う。もし保障の額をケチったりゴミ箱を設置したりするのを怠れば、住民の怒りは到底収まらないであろう。これでばビジネスモデルたり得ないので却下である。

2 眺めてグルメも楽しめるデートスポット
いっそ割り切って目黒川一帯を「花見とグルメのイベント会場」として盛り上げるのである。それもただの会場ではなく「雰囲気のあるデートスポット」作りに智恵を絞り、屋台の代わりに「テーブル」をズラッと並べ、ローソクを点け飲み物を用意し、音楽を流して「夢幻的な夜」を演出するのだ。1、2kmの川べりの両側にテーブルが並んで、昼間は家族連れや友達同士が満開の花曇りの陽気を楽しみ、夜は若い男女がシャンパンを傾けながら夜空に艶かしく咲き乱れる桜を見ながら愛を語る、そんな「定番スポット」にしてガッポリお金を落として貰うのである。儲かるぞー。道では場所を決めて「演芸やバレーや歌」などのパフォーマンスも楽しめるとすれば、一人1万円ぐらい「安いもので」あろう。だが周りの環境が「生活感丸出し」の住宅街では、せっかくのアイディアも企画倒れになる。いまのままでは出来そうもないので却下である。

3テーマパークにする
そこで目黒川エリアを区が買い取って、一大テーマパークを目指すのである。勿論住民はエリアから出てもらって「マンションに移るか地方に転居」してもらうのだ。川沿いの家は全部イノベーションして「江戸時代風の茶店」にするか「パリ風のレストラン」にするか、それとも「博多中洲風の屋台村」にするのか、エリアを細かく区切り特徴を出して競い合ってみるのも面白いではないか。もちろんこの花見エリアに入る道路全てに「チケット売り場」が設置されて、ディズニーランドよろしく「入場料を取る」のである。花見に入場料なんて、と思う人は時代に置いてけぼりされる頭の弱い人である。人間は入場料を取られれば「元を取ろうと逆に必死になって、余計お金を使う」のだ。もちろん「お金を使うだけの価値」が無ければ次回は無いだろう。そこは工夫と智恵である。

目黒川の桜を「金を払っても見たい」と思わせるかどうかは、ひとえに「桜をどう演出するか」にかかっている。たとえ3千円5千円払っても桜の周りにあるレストランで満足のいく食事とサービスがあれば、人々は必ずやってくる筈である。ただ店が出ればいいというものではなく、全体を盛り上げる「レベルの高いものを提供」出来なければ出店をお断りする、位の気構えがなければこのプランは成功しないだろう。これは「区の一大都市構想」である。他の区や県からも人が押し寄せる「コアになるような魅力」を、桜という自然のものをキッカケとして作り上げるのである。その波及効果を考えれば、桜の養生・エリアの清掃・目黒川の整備・グルメの宣伝・桜以外の季節の魅力の発見・そして物語を見つけること、等などやることは多い。

全国に桜の名所と呼ばれるところは多いが、ただ見るだけでお金を取られるところは「ない」ようだ。見るだけでお金を取るなんて馬鹿げている、と思う人は来なくなるだろう。目黒川だって「他に桜はいくらでもある」のだから、上野でも京都でも河津でも、見るだけなら「ほとんどどこでも咲いている」のが日本である。だが何らかの価値があるのであれば、それに「お金を払うべき」ではないだろうか、と私はかんがえる。人の手を煩わせずに勝手に咲いている山桜などの自生植物は別として、少なくとも都会の桜については「手間がかかっている」のだ。美しさを保つためには「お金がかかっている」のである。

人は人間が作ったものには「著作権」を与えて料金を取れるように「保護」しているが、丹精込めて育てている桜や梅には「実を取る以外に」著作権で保護すると言う考えが及ばないようである。私個人としては目黒川なんぞにわざわざ見物に行こうとは「全く思わない」のだが、何かイベントがあると行きたくなるお祭り好きな人々が世の中にはいるようである。だからこの際、目黒川の桜を有料にして、そこで得た収益の一部を住民に還元したらどうだろう。お金を払うのなら見に行かないと人々が思うのであれば、それはそれで「平穏な暮らしと、美しい桜の季節を独り占め」する特権が住民に残るだけである。人々は目黒川のことなどすっかり忘れて、北の丸や新宿御苑に「相も変らず」群がっていることだろう。世間に取り残された目黒川を寂しいと思うか、はたまた「返ってよかった」と思うかは、自由である。

あるいは桜を見られるのは「目黒区在住の人が招待した人(8人まで)だけ」という案も、暫定案としてはアリだ。桜が見たくて引っ越してきました、という人は流石にいないだろうが、この季節ばかりは大いに「目黒区に住んでいることを自慢できる」であろう。そのぐらいの特権意識は、あってもいいんじゃないか、と私は考えている。

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