みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

尾木ママと橋下徹

2012-02-26 08:59:33 | 日記
義務教育課程での留年をどうするのか?

と、尾木ママや橋下徹市長が珍しくハモっている。
留年を罰としてではなく、実際の習熟度を上げるためである。

拙僧は大賛成します。

拙僧自体、小学2年生を二回やっている。

つまり留年、

2歳頃から中学生あたりまで小児喘息・気管支喘息が酷く、発作で三度死ぬ目にもあった。叔父さんは喘息による発作で亡くなっている。
特に3歳から小学2年生までの発作は酷くて、気管支をナイフでえぐり出したい程 苦しかった。

発作が始まる夜更けが恐ろしく、発作が収まる朝が待ち遠しかった。

そんなんだから、学校は休みがちで 特に小学2年生は ほとんど登校しなかった。

喘息症状が転地療養を兼ねて宇陀市西谷小学校から京都の宇治市大久保小学校に転校した。

学校に行って無いためにいろいろ みんなから遅れをとった。中でもハーモニカが吹けないことと九九が出来なかったことは とても劣等感に繋がりコンプレックスを形成した。

転校先の大久保小学校で、面接があった。ひょろっとした銀髪の教頭先生がとても優しくて、初めて出逢う和らぐ顔の素晴らしいジェントルマンだった。

気品や優しさを男性から感じたのは初めてだった。田英雄さんや筑紫哲也さんぽかったかも知れない。

そんな教頭先生は小学2年生(年齢は三年生に達していた)の拙僧に聞いてきた。

「説樹くん、三年生から始めるかい?それとも二年生をもう一度やるかい?」

子ども心で拙僧は考えた。
「算数の九九が出来ないまま、三年生になるのはやめとこう」

人生初めての「選択」で「決断」だった。

留年、つまり落第は 落第と言う面では変なコンプレックスは出来た。しかし、留年して やるべき事をやれた学習には劣等感を持つ事はなかった。

しかし、相変わらずハーモニカは吹けずにいたし、未だに吹けない。だから 逆にハーモニカの音色は大好きで、トゥット シールマンの演奏と音色はシネほど好きだ。

劣等感も返せば 切なさだったり、陰影だったりして 拙僧は嫌いじゃない。

だから、論議されている「義務教育課程での留年は是か否か?」においては

留年も また よし!と思う。

普通であるとか、平均的であるとか、横並びとか
面白くないじゃん。

小学2年生でした「選択」と「決断」は終生の勝ち基準となり、留年した事は しっかりやり直したと言う自信になった。落第したと言う事実と感傷はコンプレックスな性格を形成したが、それはそれで陰ある少年として嫌いじゃなかった。
留年、なかなか いいっすよ! はい!

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2 コメント

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親のプライド (Mです)
2012-02-29 09:00:08
あんたの両親が偉かったと思う。18才で種々の判断力があるかないかと騒いでる昨今。大人の論理で決められたら困るのは子供だよな~。
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だよね ( みんなの僧)
2012-02-29 12:31:10

ホンマに そやね。両親に感謝。

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