みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

おくりびと

2012-04-05 16:25:08 | 日記
「ウーッ 寒気がするー

処方された薬を服用してるが、午前中からの葬儀、火葬場勤行が終わったら 寒気がぶり返してきた。

四時頃から初七日。最近は初七日を葬儀の日にやるところが多い。しかし、なぁ~

手抜きならやれないことはないが、葬儀でエナジーと集中力を使い切ると、再充電に数時間はかかる。

6時なら、まぁ復活。5時でギリギリ。4時以前なら未充電。

本日は3時半から、若しくは4時。葬儀屋さんに聞くと「普通こんなんです」だと

よくもまぁ、みんなこんな調子でやってるもんだ。手抜きとは言わないまでも、なんかオカシイぞ。葬儀屋さんも受ける僧侶の方も。

祭壇の組み方にしても、仏教や宗派の真髄と骨の部分を軽視したものになりつつある。デザイン重視。
拙僧は古いタイプではないが、商業主義や筋違いの合理主義には 断固抗い、道理を通す「うっとうしい&ウルサい」僧侶である。
葬儀屋さんに聞けば、葬儀内容は大体 喪主・当家さんの判断、もしくは葬儀屋さんとの話し合いが主体だそうだ。

アカンやろ、それ。それだけでは。仏教葬儀なんやから。
「葬儀」と「お別れ式」とは違う。
故人が惜しまれて、遺徳を偲ぶだけなら、「生きていた期間」だけの讃歌と賛美である。

ソレだけではなく、あの世に旅立ち、旅立ちを見届けて 同時に「ゴメンね、ありがとう、いってらっしゃい、またね」と言う葬送の儀式なんである。天国や極楽浄土に必ず故人が往くと信じて、また、必ず自分も往かせてもらうと言う、故人と自分が「故人の死」を通じて「繋がる」大切な儀式であって、単なる「お別れ会」ではないし、ましてや義理を果たすセレモニーなんかじゃないのだ!

遺徳を称えるお別れ式なら 僧侶の読経もBGMになってしまうだろうがっ

チガウッ

読経は「波動」なんだ。

初めて書くが、「波動」が起こらないお経なんて、インスタントラーメンを湯で茹で戻さないで食ってるようなもんだ。

たまには 美味いが、基本的にダメだ(チキンラーメン・ベビースターラーメンを除く)

「心」と言う「お湯」を「信念や信心」と言う「炎」で沸騰させて、注いでこそ、お釈迦さんの説法が2000年以上の時空を超えて、現在に、「たった今」に蘇るのだ。

義理で参列する人たちの「焼香」のBGMとちゃうぞ

命をすり減らして、砂漠や中国や長年の経年変化でパサパサになってしまった「お釈迦さんの説法」を「この瞬間」に蘇らせるのだ。蘇った「お釈迦さんの説法」=「お経」だからこそ、功徳にみちみちるのだ。

だから、エナジーが要るし、集中力がいる。

葬儀が終わったら、背筋・腹筋・背骨・横隔膜・咽頭がヘロヘロになって普通だ。

そう、成らずに平気で 三時間後に初七日をお勤め出来るのは、もう「読経」ではなく「BGM発声代行」である。

こんなお経ばかり聴かされたら、喪主さんとか、参列者は口に出しては言わないけど、心の中で ホンマに葬儀に僧侶は必要なんかな?と思うだろうに。

拙僧、今回の ご葬儀は 体調不良(扁桃腺の炎症等)でベストな体調ではなかった。しかし、限られた体調の中でベストを尽くした。
「波動」を起こせたパートもあったし、BGM以下のパートもあった。

反省箇所も少なくない。しかし、間違った方向へ向かう「葬儀」のあり方は、僧侶が理屈ではなく、信念を持って考え直さないと、しまいに「ASIMOくん読経僧侶で構いません」となっちゃうわ」・葬儀屋さんと僧侶たちは真正面に話し合うべきだ。

みたいな事を葬儀と火葬場と初七日の重なった昨日は思わずには、考えずにはおられなかった。

運命や人生や神さまや仏さまの願いに 流れたり流されたりするのは「成るように成る」のだから、ケセラセラで構わない。

また、ソレこそ人生だし。
しかし、意味なく華美になったり、商業主義的要領や合理に流されるのだけは、まっぴらゴメンだ。

こんな事を本気でブログに書いてるようでは、成金には 到底なれないな みんなの僧は

只今、東京・丸の内であるミーティングに向けて移動中なう。名古屋は雨なり。
地元近くの名張駅から名古屋までの近鉄特急車中は風邪と疲れで大いびきをかいて爆睡した、自分の大いびきで七回ぐらい目を開けたが、睡魔には勝てず爆睡(-_-)zzz

今朝は9時から一時間半ほど、寺への還骨勤行で法話をさせて頂いた。

故人が亡くなられ、枕勤行をして、納棺→出棺→葬儀場→お通夜→ご葬儀→火葬場→収骨→初七日→自宅への還骨→寺への還骨勤行・報告→墓参りで 仕上げである。

その中心を貫くのは、不条理に満ちた「現世」という「無常」から「あの世・浄土」という「真理」への「到達」である。

ソレが貫かれていないセレモニーは何れデフレーションに呑み込まれ、「波動」を起こせないBGM読経はASIMOくん読経に取って変わられる。ユニクロが葬儀を担当し、和民が法事をマカナイし、ASIMOくん僧が読経をする(ユニクロや和民は堪忍やけど、ASIMOくん僧ええなぁえっ!?アカン!?)

拙僧は拙僧の葬儀について思っている。拙僧の長男は「喪主」としてではなく、この世からあの世へ拙僧を叩き出してくれる「導師」となってもらいたいと。

あー ウルサい、あーいちいち、 あー めんどうクサイ 坊さんやのぉ みんなの僧、釈 説樹はー!うーーん、ワイルドだろぉう

チガウえろう スンマヘン、ほな、サイナラーー

ところで、最近スギちゃん どうしてるやろ? 気になるぜぇい