みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

パッション

2012-04-06 10:01:21 | 日記

昨日、名古屋は雨だったが、東京・丸の内は晴れていた。

久しぶりの東京駅外観。原点は銅板色に輝いている。

金の眩しさでもなく、銀のしぶみがかった光具合でもない。

建物が重厚感とオシャレに輝く銅板色。東京駅の原点の格好良さが蘇った。

さて、

みんなの僧は僧侶たるもの寺への執着を棄てるのが良いと思っています。
原点は遊行だからです。

妻をめとることや、親子の縁をつくることや、住居に住まうことや、檀家を持つことが、全ての「ズレ」や「間違い」の源です。これらを経験をする事によって「こころに寄り添う同調心」を育てるのは大事なことだと思いますが、現実は反対ではないでしょうか?

僧侶の場合は 例え一般の人と同じ事をするにしても、常に「釈迦」はどうだったか?「宗祖」はどうしていたか?という、「原点意識」を顧みる必要があります。

度が過ぎると「悟り」に遠くなる「小乗仏教」的に成りますし、逆に自分に甘くなると一般的な人より強欲になります。

遠くはない所にある、とある寺院は夫婦で「檀家を1500件にする!」と言い、新興住宅地での檀家開発に血眼になっています。

ハッキリ言って馬鹿です。
こうなると宗教ではなく、仏教をかたった「詐欺商法」ですね。

仏教的に言うと、一番罪の重い罪人が落ちる「無間地獄」が相応しい人種です。
誰も何も言わないからと、タカをくくっている詐欺僧侶たち。

無間地獄だけじゃなく、新聞社や週刊誌も あんたたちを狙っていることも忘れずに。

我々僧侶が目指すのは、僧侶が要らなくなるぐらいに、「釈迦」の教えを広めることにつきます。広げるというよりかは「広がる」

その「広げ方」「広がり方」に個性が出てくるのが「宗派」と呼ばれるもので、優劣でもブランドでもありません。

「釈迦の真理」を「信ずる者」よ「広がれ!」と念じながら、ひたすらに経験を積み、反省し、真理を悟り、積み重ねて 面白く、分かり易く、より広がるように努めるのが、「僧侶の本懐」です。
寺が僧侶に取っての「煩悩」や「罪悪」の始まりなら、そこから離れるべきですね。
きれいごとではなく、この世の不安に応え、寄り添っていくには 今更ながら「執着」のもとになるものから出来る限り「離れる」ことが大事だと思っています。
メル・ギブソンが製作したキリストの映画「パッション」

「パッション!」とは「情熱!」

この思い、この悟りを伝えたい!と言うパッションこそが、伝道の原点です。
実のところ、キリストも釈迦も胆力があり、大声で、その声も朗々としたエネルギッシュで情熱的な人間であったはずです。

そんな原点に近づきたいと 先ず思うことが 僧侶の原点と思って 生きています。

でも、何時も財布が小学生なみに軽いのは 悲しくなることしばしばですが (´д`) ふぇ~
こんな煩悩に苛まれる、凡人のみんなの僧ですが、ご容赦頂きながら コレからも 宜しくお願いします<(_ _)>