今から30年前に そのカレーとの出会いが始まった。
東京の新宿区の信濃町にそのカレーはあった。
カレー屋さんの名前は「メーヤウ」
当時、信濃町にはCBS/SONYのスタジオがあった(今はもうない)。信濃町スタジオが出来る頃は山口百恵さんが絶頂期で、スタジオは百恵さんの売上で建てたのだとまことしやかに社員やアーティストには信じられていた。ミキサーの卓はニーブでモニタースピーカーはウェストレイク製だったはずだ。低温はガウス社、ミッドと高音域スピーカーはJBL社だった。パワーアンプとスピーカーをつなぐケーブルは日立製作所製だった。興味ない人にはどうでも良い事だけど、より良い音と爆音を追求していた当時の拙僧には とても大事な事だったのです。
信濃町スタジオは規模や作り、その内容も含めてアジア随一のスタジオであり、そこでレコーディング出来る事は一流の証であり、メジャーである事の証でもあった。
レコーディング中の食事には大体 出前を注文するが、レコーディングの期間が一週間も越えると出前に飽きて来て 近くに出歩くようになる。
しかし信濃町は創価学会の拠点で静かな住宅街だから、食べ物屋さんは殆どない。
何時も大将が修行中の男の子を叱り飛ばしてる寿司屋か キャベツの千切りがおかわり出来るトンカツ屋さんぐらいだった。
駅前まで歩くと中華料理屋があったり、ラーメン屋があった。
とある日、どうしてもカレーライスが食べたくて、ふらっと駅前にカレーライス屋を探しに出かけた。駅前の薄暗く小汚い所に タイカレー と書いたカレー屋があった。
ラーメン屋を改装したよな小さな店で、カウンターがメインだった。
拙僧に取ってはカレーと言えば、欧風カレーで、横浜の軍艦カレーがカレーライスと思っていたので、見たことも聞いた事もない タイカレーは怪しく、恐怖だったが どうしても カレーと呼ばれるものを食べたかったので 暖簾をくぐり入ってみた。
トンカツカレーとか野菜カレーとかは理解出来たが、メニューにはレッドカレー、グリーンカレーと書いてあった。
よう分からんので迷っていたが、躊躇してるとナメられると思い、グリーンカレーとやらを注文をした。
出てきたのは欧風カレーとは似ても似つかぬカレーが出てきた。
目が点 ・・
焦げ茶の こってりのルゥを期待してたのに、薄い茶色のしゃぶしゃぶなルゥだ。ビックリ。
おまけにジャガイモやニンジンじゃなく、筍が入っていた。更に驚いたのはビーフの代わりに鶏肉が入っていた。
アウト
あれだけカレーライスを食いたいと盛り上がっていた食欲が、ガタンと落ちていた。
注文して食べないわけには行かないので、恐る恐る口に しゃぶしゃぶなカレーを口に運んだ。
頭の堅い拙僧には、ダメだった。
舌と食欲が欧風カレーをもとめていたので、タイカレーの味や食感を拒絶した。
残念な気持ちと満足感を得られないまま信濃町スタジオに戻った。
そして思った。「タイカレーは二度と食わん!メイヤウには行かん!」 と頑なに思った。
レコーディングも終わり、関西に戻り、3ヶ月程経ったころ アレだけ拒絶したタイカレーがアタマをよぎった。 ふと。
ふと気になって 何時の間にか「今度信濃町スタジオでレコーディングがあったら、ホントに旨いのか?欧風カレーとどう違うのか?も一度確認の為、あのタイカレーを食すとしよう」と思うようになっていた。
で、次の信濃町スタジオでレコーディングがあった時メーヤウのタイカレーに再度チャレンジしたが、その旨さは理解出来なかった。
しかしまた気になってチャレンジした。でも理解出来なかった。の繰り返しを三度、四度してるうちに
結果 メーヤウの病みつきになり、タイ料理が好物となった。
拙僧、今は東京にいると 必ず食べに行く常連さんである
東京の新宿区の信濃町にそのカレーはあった。
カレー屋さんの名前は「メーヤウ」
当時、信濃町にはCBS/SONYのスタジオがあった(今はもうない)。信濃町スタジオが出来る頃は山口百恵さんが絶頂期で、スタジオは百恵さんの売上で建てたのだとまことしやかに社員やアーティストには信じられていた。ミキサーの卓はニーブでモニタースピーカーはウェストレイク製だったはずだ。低温はガウス社、ミッドと高音域スピーカーはJBL社だった。パワーアンプとスピーカーをつなぐケーブルは日立製作所製だった。興味ない人にはどうでも良い事だけど、より良い音と爆音を追求していた当時の拙僧には とても大事な事だったのです。
信濃町スタジオは規模や作り、その内容も含めてアジア随一のスタジオであり、そこでレコーディング出来る事は一流の証であり、メジャーである事の証でもあった。
レコーディング中の食事には大体 出前を注文するが、レコーディングの期間が一週間も越えると出前に飽きて来て 近くに出歩くようになる。
しかし信濃町は創価学会の拠点で静かな住宅街だから、食べ物屋さんは殆どない。
何時も大将が修行中の男の子を叱り飛ばしてる寿司屋か キャベツの千切りがおかわり出来るトンカツ屋さんぐらいだった。
駅前まで歩くと中華料理屋があったり、ラーメン屋があった。
とある日、どうしてもカレーライスが食べたくて、ふらっと駅前にカレーライス屋を探しに出かけた。駅前の薄暗く小汚い所に タイカレー と書いたカレー屋があった。
ラーメン屋を改装したよな小さな店で、カウンターがメインだった。
拙僧に取ってはカレーと言えば、欧風カレーで、横浜の軍艦カレーがカレーライスと思っていたので、見たことも聞いた事もない タイカレーは怪しく、恐怖だったが どうしても カレーと呼ばれるものを食べたかったので 暖簾をくぐり入ってみた。
トンカツカレーとか野菜カレーとかは理解出来たが、メニューにはレッドカレー、グリーンカレーと書いてあった。
よう分からんので迷っていたが、躊躇してるとナメられると思い、グリーンカレーとやらを注文をした。
出てきたのは欧風カレーとは似ても似つかぬカレーが出てきた。
目が点 ・・
焦げ茶の こってりのルゥを期待してたのに、薄い茶色のしゃぶしゃぶなルゥだ。ビックリ。
おまけにジャガイモやニンジンじゃなく、筍が入っていた。更に驚いたのはビーフの代わりに鶏肉が入っていた。
アウト
あれだけカレーライスを食いたいと盛り上がっていた食欲が、ガタンと落ちていた。
注文して食べないわけには行かないので、恐る恐る口に しゃぶしゃぶなカレーを口に運んだ。
頭の堅い拙僧には、ダメだった。
舌と食欲が欧風カレーをもとめていたので、タイカレーの味や食感を拒絶した。
残念な気持ちと満足感を得られないまま信濃町スタジオに戻った。
そして思った。「タイカレーは二度と食わん!メイヤウには行かん!」 と頑なに思った。
レコーディングも終わり、関西に戻り、3ヶ月程経ったころ アレだけ拒絶したタイカレーがアタマをよぎった。 ふと。
ふと気になって 何時の間にか「今度信濃町スタジオでレコーディングがあったら、ホントに旨いのか?欧風カレーとどう違うのか?も一度確認の為、あのタイカレーを食すとしよう」と思うようになっていた。
で、次の信濃町スタジオでレコーディングがあった時メーヤウのタイカレーに再度チャレンジしたが、その旨さは理解出来なかった。
しかしまた気になってチャレンジした。でも理解出来なかった。の繰り返しを三度、四度してるうちに
結果 メーヤウの病みつきになり、タイ料理が好物となった。
拙僧、今は東京にいると 必ず食べに行く常連さんである