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◇日々是、ジョイトイ。

   思うまま。 望むまま。 本能のまま。

■ 桑田真澄 凌いだ。。

2007-03-18 | 【桑田真澄】

> 友へ
> 元気ですか?
> 僕は、足首の状態が思わしくなく、ちょっと溜め息が出ています。
> 2,3日で、急激に良くなったので回復が早いと喜んでいたのですが、
> その後がピタッと停滞しています。
> 明日、登板予定なんだけど・・・


前日の日記で、足首への不安を吐露していた桑田。。

対ツインズ MIN 4 - 0 PIT の6回
三番手として、OP戦三度目の登板。

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6回。
・初球をヒット。 次打者時にワイルドピッチで 無死・2塁。

・四球。 無死・1,2塁。。

・シヨートゴロ。 1死・2,3塁。

・セカンドゴロ。 4-3-2 のゲッツー。
(セカンドゴロ-1塁送球OUT-2塁ランナー飛び出しで2塁送球-
 3塁ランナーも飛び出したので、送球をカットして、バックホームOUT)


Fu------。 寿命が縮む展開ながらも、無失点で抑えました。。

【1イニング】
打者4人・被安打1・与四球1・暴投1・無失点
OUT内容は、ショートゴロ&4-3-2のゲッツー。


MIA 7 - 3 PIT  (桑田に勝敗はつかず)

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ピンチを迎えながらも、ゲッツーで凌いで復帰登板をシメた桑田。
1イニングだけの登板だったのは、足首を考慮してのことでしょう。
投球終了後、通訳ナシで、笑顔のインタビューを受けていたそうなので
「故障」 ではなく 「予定通り」 の1イニング降板のようです。

さて、次も頑張れ!  次は、いつだ。。
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■ 桑田真澄 僕の野球

2007-03-15 | 【桑田真澄】


何が起こるかわからない。
だから、努力する。 準備する。
(スポーツ報知紙面・桑田真澄手記より)

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◇ 9日ブレーブス戦

世の中、何が起こるかわからないね。 「Anything can happen」。 オープン戦2度目の登板となった9日のブレーブス戦で、左足首をねん挫してしまった。 2回を投げることが決まっていたその1イニング目、2人目の打者(B・ペーニャ)の打球を処理しに行った時、スパイクが芝に引っかかって、ちょっと足首を内側にひねったんだ。

実はあの前日まで、両足にテーピングをしていた。 昔から 「自然体」 を目指してるから、できるだけテーピングとか、やりたくないタイプなんだけど、こちらの環境になれるようにするため、けがを予防するためにね。



◇ 怖かった肉離れ

こっちの土は硬くて、芝生は粘っこい。 マウンドは硬くて掘れないし、そういうところで練習してたら、1週間ぐらい経って異常に足が疲れたんだ。 それに(スパイクに芝が)引っかかるから、キュッと筋肉が引っ張られて肉離れするのが一番怖かった、というのもあって、テーピングをしていた。

でも、その状態でいろいろと練習しているうちに、足が強くなっているのを実感した。 「もう大丈夫だな。よし、きょうから自然体で行こう!」 と、テーピングを外して臨んだ初めての試合で、2番目の打者の時にやってしまった。

本当に、何が起こるかわからないから、努力する。 準備する。 「筋肉痛や万が一のけがに備えて」 と日本時代に愛用していた湿布剤を取り寄せたんだけど・・ それが手元に届いた翌日の出来事でもあった。 なんというタイミングだろうね。



◇ 常に自分らしく

あの打球は、別に僕が捕らなくても、二塁手がアウトにしてくれると思う。 それを捕りに行って、けがしたんだけど。 でもね、それが僕の野球。 あの瞬間に 「セカンド!」 って言うようになったら、もうユニホームは脱ぐだろうね。 僕の野球は止められない。 だから、けがはしょうがないよね。

これからは、投げる日はテーピングをした方がいいかもしれない。 大丈夫だと思える時が来るかもわからないから、そうしたらまた、自然体で行くけどね。 ねん挫してから4日目になるけど、状態もいいし、球の感覚もちゃんとまだ持ってる。 自分らしく、これからも頑張っていきます。

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故障後、初のプルペン入りをはたした桑田。
次回登板は、早ければ16日(日本時間17日)でしょうか?

「クワタにはデッドラインはない。焦らなくていい」

コルボーン投手コーチの言葉を信じましょう。
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■ 桑田真澄 残念。。

2007-03-10 | 【桑田真澄】


桑田。
対ブレーブス ATL 1 - 0 PIT の5回、
二番手として、OP戦二度目の登板。


5回は  ゴロ2 フライ1 で三者凡退。
自身の初打席は、三振。。   くそぅ。

6回は・・
1発含む5安打を集中され(1番のケリー・ジョンソンに2ラン被弾)、3失点。

う~ん。。 残念。。

【2イニング】
被安打5・1本塁打・3失点
OUT内容は ゴロ4 フライ2


ATL 8 - 5 PIT  (桑田に勝敗はつかず)

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多分ね・・
桑田にとっては 「想定内」 なんじゃないかと思う。
そんな簡単な世界じゃないことは、百も承知のチャレンジだから。

きっと、学ぶコトの多かった登板。
次への 「糧」 を、必ず掴み取ってくれているハズ。
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■ 桑田真澄 39歳の修行

2007-03-08 | 【桑田真澄】


メジャーのマウンドへ自分のペースで努力していく。
つらいことは何もない。
寂しいことも何もない。
(スポーツ報知紙面・桑田真澄手記より)

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◇ まさかの幸せ

夢に見た場所に、僕は立った。 4日にレッズ戦でのマウンド。 オープン戦とはいえども、まさかプレーヤーとしてこの場に立てるとは思っていなかったから、幸せだった。

そこで強く思ったね。 何事もあきらめちゃいけないんだな、って。 周りの人に、僕は英語で言ったんだ。  「It is hard to believe」 信じられない、ってね。 だって20歳のころに、18年前に抱いていた夢が実現しちゃったんだ。 そういうことも、起こりうるんだよね。



◇ 再び定説覆す

思い出すのは巨人に入団した時のこと。 体の小さい僕に、プロ野球のほとんどの人が 「野手ならまだしも、投手としては、絶対プロでは通用しない」 って言っていた。 絶対に無理、ってね。 でも僕は21年間、巨人で投げさせてもらったんだよ。

今回、僕がメジャーのマウンドに立つと夢見ていることにも 「140キロも出ない球しか投げられないヤツが、メジャーで投げられるわけがない」 って言ってた人がいたね。 でも、僕は自分の夢に向かって、誰と比較することも無く、自分のペースで努力していきたい。



◇ 神様が導いた

僕はPL学園に入って、プロ野球選手になる、という自分の夢はすべてかなえさせてもらった。 野球の神様が、これが僕にとってベストと判断してくれたんだね。 そして今、若い時に一度あきらめていて、もう指導者の勉強でしか来られないと思っていた場所に、選手として立っていられるんだ。 それだけでも、神様が導いてくれているのを感じる。 たとえ開幕がダメだったとしても、いつの日かメジャーのマウンドに立ちたい。 あきらめないよ。



◇ 心の友が支え

今回の渡米を 「修行」 と位置づけた。 でもね、決してこれは寂しかったり、つらいものじゃない。 僕には、いままで心のつながりを持ってきた 「心の友」 がたくさんいる。 家族、身内、弁護士さんやお医者さん。 常にそんな人たちに支えられている、という気持ちを持ちながらだから、つらいことは何もないし、寂しいことも何もない。



◇ 修行は「勉強」

僕にとっての 「修行」 は勉強なんだ。 見て、聞くだけじゃなくて、実際に自分が経験する、いいことも悪いことも、すべてプラスにはたらくと思っている。 日本からの出発を前に家族には言ったんだ。 「自分の夢のために迷惑かけるなあ。辛抱してくれ」 って。 でも人生やり残したくないことがやっぱりあるからね。 僕がこうだから、子供たちにはいつも言っている。 「パパはいつも、どんなことがあっても、おまえらの味方だから。何も心配することはないから、自分の好きなように人生をいきなさい」 と。 子供はかわいい。 会いたいね。



◇ 感謝を忘れず

初登板の夜、キャンプ地のブラデントンで見つけたお気に入りのレストランで、祝杯を挙げたよ。 ワイン2、3杯でいい気分になっちゃうから、安上がりだね。 あっ、そうでもないか。 1本の単価が高いもんな。 今年はマイナー契約スタートだから 「節約」 なのに、これはダメだね。 よし、頑張ろう。 僕を支えてくれるみなさんに、いつも感謝の心を忘れずに、一日一日を大事に頑張っていきます。

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レッズ戦の好投により、無事に1次カットをクリア。
開幕メジャー登録へのサバイバルを続けている桑田真澄。

次回登板は9日(日本時間10日)の予定。


彼の 「努力」。  「修行」。  「勉強」。
そして・・ 「夢」。

まだまだ。  終わらない。
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■ 桑田真澄 秘めた思い

2007-03-06 | 【桑田真澄】


1イニングをパーフェクトと好投した、対レッズOP戦デビューの前日。
桑田真澄が語った、メジャーへの思い。
そして、その先に彼が見つめているモノ。。
(日刊スポーツ紙面より)

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◇ 戦力外通告 今では感謝

  : 戦力外通告までもプラスに変えた。
  : プロ3年目の88年から考えていた大リーグへの挑戦は、
  : 本人も予想していない形で実現することになった。


■ 桑田
大リーグを最初に意識したのは、20歳でガリクソン会ってから。 野球はチームスポーツだし、言葉が分からない国に来ている人の力になってあげたいと思って。 いろんな話を聞いた。 彼は大リーグでも100勝以上しているし、今までの外国人の中では人間的にもNO,1ですね。

それから23歳ぐらいまで3年ほど球団に(大リーグ挑戦を)お願いしたんだけど、行かせてくれなかった。 行けるような状況でもなかったし。 そうこうしているうちに、いろいろ問題が出てきて。 巨人にできるだけ尽くそうということで。 必要とされる時までね。 だからもう(大リーグは)諦めてました。 巨人で現役を終わった後、個人的に渡米して野球を勉強しようと思っていた。

(巨人から)戦力外と言われるとは思わなかったんですよ。 昨年の9月の最後の登板の前ぐらいに 「来季の戦力として考えていない」 と。 でもそれでこうして現役で(挑戦)できるチャンスが貰えて。 「引退じゃないのか」 と言われたけど、自分の心が 「やりたい」 と思っているうちは続けたいと考えていた。

子どもの頃に原っぱの三角ベースでボールを追いかけている、あの気持ちを僕は今でも持っている。 「もういいよ桑田。十分やったよ。あとは後輩を指導しよう」 と自分の心が言ってくれたら、ユニホームを脱ぐと思う。



◇ パイレーツ 清原に相談

  : 85年の運命のドラフトで引き裂かれた 「KK」 の仲は、
  : 同僚となった巨人時代を経て、現在まで固い絆で結ばれている。
  : 今回の球団選択を最後に相談したのは、清原だった。


■ 桑田
キヨにはパイレーツに決断しようかという時、ちょっと迷っていたので電話しました。
「こうしようと思う」 と言ったら 「お前らしいな。やっぱりお前はお前やな」 と繰り返し言っていた。 みんなドジャースかレッドソックスの可能性が高いと思っていた。 でもキヨは 「分からんで」 と思っていたと思うんです。

確かにドジャースがどうしても頭から離れなかった。 ジョーブ先生がいるから。 レッドソックスは(松坂)大輔とオカジ(岡島)がいれば十分。 僕なんか必要ない。 でもドジャースは悩んだ。 でも修行の一環だから、あえてここを選んだ。 ロサンゼルスは日本人も沢山いるし英語も必要ないかもしれないし。

僕は高校時代からそうだけど、あまりキヨと一緒にはいない。 大事なときだけです。 よく話すから仲が良いというわけじゃない。 あまり会わなくても心から思ってくれている人はいる。 今はヒザが悪いようだけど、必ず復活してくれるでしょう。



◇ 日本と違う 明るい環境

  : 米国デビュー戦を控えて高まる思いはあるが、結果にはこだわりがない。
  : マイナー生活も覚悟の上。
  : グラウンド上だけでなく米国生活のすべてを吸収するつもりでいる。


■ 桑田
初登板でやりたいことは3つだけ。 マウンドの雰囲気を味わうこと。 本当の審判によるストライクゾーンの確認。 変化球に対する打者の対応。 これだけです。 全然せっぱ詰まったものはない。 最初からそんなうまくいくなんて思っていない。 とにかく1年間、メジャーだろうと3Aだろうがやるつもりでここに来ている。 メジャーに上がれなかったら帰ります、なんていうつもりは毛頭ない。

もちろん一番の目的は野球で結果を残すことです。 でも1日24時間、野球をしているわけじゃないし、野球以外の時間の方が長い。 いろんな人種、文化、宗教、経営学とか、メジャーの組織の構造とか。 そういうものを自分の目で見られるのは大きい。

日本の球団組織との違いは、雰囲気が重くないんですよ。 みんなフレンドリーだし。 日本のあの重い雰囲気は何なんだろうと思いますよ。 そういう雰囲気を、自分が上に立ったときに作っちゃいけない。 今の日本が良い悪いじゃなく、自分はいい雰囲気を作っていきたい。



◇ 率先垂範で 若手に刺激

  : 米国野球を知るために渡米した桑田だが、
  : ここまでのキャンプでは、自身がチームに持ち込んだものも多い。
  : 最大の 「功績」 は若手への刺激だった。


■ 桑田
僕は米国に来たからといって、新しいことをするつもりはない。 口では言わないけど、巨人でも態度で示してきた。 僕の練習を見て 「サボっている」 という人はいないと思う。

キャンプの最初の頃、バント練習で待っている選手はケージの裏でボーッと見ているだけだった。 僕が前に出てバントされた球を集めていたら、1人、2人と出てきた。 知らないうちに全員が出てきて、次の日からは当たり前のように全員で球拾いをした。

トスバッティングをやらない投手がいた。 でも僕が正確に打っているところを見て 「オレもやる」 と目の色を変えてきた。 最初は空振りばかりだったけど、どんどん上手くなっていった。

走塁練習もそう。 みんながダラダラしているところへあえて入ってやる。 僕がガッと動くと 「エッ」 と驚いて。 みんな勝負師だから負けたくない気持ちがある。 次の日からデューク(若手エース候補)なんか全然違った。 僕の番になると負けないぐらい走ってきた。

そういうことがベテランの仕事なんです。 1人でもそうやって一生懸命やってくれる選手が出たら、それで成功。 パイレーツは若いチームだから、それが大事なんです。



◇ 運営研究し 指導者準備

  : 巨人時代から投手陣のリーダーとして若手をまとめるなど、
  : 指導者としての資質を評価する声は多い。
  : 米国での 「修行」 でレベルアップすれば、国内での監督はもちろん、
  : 日本人初のメジャー監督となる可能性も秘めている。
  : 桑田の中にもそういう意識がある。


■ 桑田
指導者になった時のことは、常に頭にありますよ。 現役の時は野球に幸せを頂いたわけだから、後輩達には倍にして返したい。 下準備として自分の野球チームを持った。 オーナー、総監督として、子供の親、コーチとして、いろんな立場に立ってものを考えている。

こちらのやり方は勉強になります。 コルボーン投手コーチは現役でも成績を残しているし、コーチとして、スカウトとして自分の目でいろいろ見てきた人。 尊敬している。 トレーシー監督(元大洋)ミューレン(3A打撃コーチ=元ヤクルト)マント(打撃コーツ=元巨人)とかいるし。 そういう人たちがどうやって運営しているか見たい。

監督って自分がなりたくてなれるものじゃない。 でも野球からは離れられないと思うから、いつかはね。 それが高校になるか、大学になるか、プロになるかはわからない。

できたら教職も取りたいと思っている。 そしたら高校野球も教えられる。 人生長いから、まだ時間はある。 早大の願書は毎年、手に入れてますよ。 もしチャンスがあったら、早大でも他の大学でもいいから入りたい。 死ぬまで勉強ですよ、僕の人生。

将来は(夫人と)2人で米国でゆっくりしたいなと思ってます。 ここはおじいちゃん、おばあちゃんが多いから、そういうのを見ていると。 ゴルフしながらボーッとするのもいいなあと思う。 でも何年もいると、またつまらないんだろうね(笑)。

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OP戦登板後に、桑田が更新した日記のタイトルは 「満月」。

 > 今、こっちは夜で、見事な満月だよ!
 > 満月を見ると、なぜか真新しい野球のボールに見えるのは、僕くらいかな?
 > 子供の頃から、このボールに、どれだけの思いをこめて投げてきたのだろう?
 > ここアメリカでも、野球への思いを精一杯ボールに込めて投げていきたい。
 > この満月に、そう誓いたい。
 > 
 > ありがとうございます
 > 
 > おやすみ


本当に。。
今まで、どれだけの 「想い」 を、彼は 「この一球」 に捧げて来たのだろう。
そして尚、これからも、どれだけの 「想い」 を、彼は 「野球」 に捧げていくのだろう。

現役だけでは終わらない、桑田真澄の 【心の野球】
応援して。 見届けて。 元気と勇気を、彼の生き様から頂こう。
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■ 桑田真澄 2奪三振デビュー

2007-03-05 | 【桑田真澄】


パイレーツ・桑田真澄投手はレッズ戦で3-2の三回に2番手でオープン戦初登板、
1回を3者凡退に抑えた。 内容は 三球三振 を含む 全、14球。

【遊ゴロ・三振・三振】


■ 1番・クロスビー 【遊ゴロ】

(1)ボール-外低直球 (2)ストライク-外低直球 (3)ファウル-内中カット

(4)ボール-外低カーブ (5)遊ゴロ-外低直球

■ 2番・ハッテバーグ 【空振り三振】

(6)ボール-内低カーブ (7)ボール-外高直球 (8)ストライク-外低直球

(9)ボール-外高カーブ (10)ファウル-外高直球 (11)空振り-中高スライダー

■ 3・番フィリップス 【見逃し三振】

(12)空振り-中高スライダー (13)ファウル-外中スライダー (14)ストライク-内低直球


2裏のパイレーツの攻撃が長引き、3回から登板の桑田は2度肩をつくった。 しかし、笑みは絶えず、じれるそぶりはない。 交代を確認すると、さっそうとマウンドへ駆け上がった。
予定通りの1回は3者凡退。 あこがれの野球の本場で、上々の滑り出しだった。

レッズの先頭打者を迎えたとき、姿勢を正してひとつ息をついた。
「あのとき、マウンドに立たせてもらえてありがとうございます、と言ったんだ」
夢だった大リーグ挑戦を助けてくれた家族、関係者・・。 1球目を投げる前に、たくさんの人への感謝の気持ちを確かめた。

投球は文句なしだ。 初球のツーシームはこの日最速の138キロ。 先頭の1番打者を遊ゴロに仕留めると、次打者は高めスライダーで空振り三振。

3番・フィリップスには2―0から
「日本では1球外すけど、投手コーチから1度(3球勝負を)やってごらんと言われたのを思い出した」
真ん中低めの球威十分の直球で見逃し三振させた。

「きょうは十分エンジョイしました」
大リーグ入りを懸けた厳しい戦いは始まったばかり。 だが、記念すべき一歩を確かにしるした喜びを、背番号52の桑田は素直にかみしめていた。

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「3番打者を 見逃し三球三振」
を含む、パーフェクト投球。
フライではなく、ゴロでOUTを取れたことも
「計算どおり」
 に違いない。

なにはともあれ・・ 良かった!
ファンのみんなも、ホッとした~(笑)。

嬉しい! 元気出る!! 涙も・・ 出る!!

「一生懸命やるこコトは カッコ悪くなんてない」

桑田真澄は、そう、身をもって教えてくれている。
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■ 桑田真澄 ボール2つ甘めに投げてみた

2007-03-02 | 【桑田真澄】


「最初はきっちりいって、次にどれぐらい飛ぶか、最後は打ちとりにいった」

桑田真澄投手が28日、キャンプ2度目のフリー打撃に登板。
打者4人に対して45球を投げ、130メートル級の一発を初めて浴びた。

しかし、本人曰くこれは 【計画的被弾】
オープン戦登板の準備のためにあえて許した本塁打。

【桑田節】 の炸裂です。

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● 2度目のフリー打撃登板を終えて

「(投球が)コーナーに決まって、見逃しや空振りをたくさんとれたのが収穫。 内野ゴロが多かったのも自分の持ち味だからね。 前回と違い今回は2、3球滑ったぐらいで、あとは自分の思うところへ投げられた」


● コルボーン投手コーチに判定をしてもらっていたが

「あそこまでストライクなんだ、ここはボールか、という確認をさせてもらった。 最後の方は配球。 言われた通りに投げたら最後のカーブで本当に空振りがとれた。 ボク以上に経験を積まれている。 さすがですね」


● 本塁打も打たれたが

あそこはボール2つ甘めにいってみた。 飛んでたねえ・・。 1個分甘いとサードゴロ、きっちり(ストライクゾーンぎりぎりへ)いくと見送っていた。 カウントが不利になるとキッチリはいけないけど、1個ぐらい(コースが甘め)でも何とかゴロは打たせられるかな」


● 最後は勝負を挑んだ

「きょうは30-40球(の予定)だったけど、最後は大きいのを打たれた打者を打ち取る配球をしてみようということになった。 ボクは力いっぱいいって打ってみろという投手じゃない。 配球も勉強していきたい」


● カーブは使えるメドが立ったか

「当たっても内野ゴロやファウルばかりだった。 スライダーもきっちりいけば空振りをとれた。 試合になったらフォークも投げる。 徐々にやってます。 一歩ずつ前へ、前へ」


● オープン戦も間近だが

「あしたかあさってには決まると思うけど、年をとっているから疲れが2日目に出たりする。 筋肉痛が3日目に出たりすることがあるでしょ? ボクもそういう年齢になってきている」


◆ コルボーン投手コーチ

「調子を上げてやることはできないが、米国の打者に対する攻め方は助言できる。 きょうは、ああいうタイプの打者に対する配球の一例を伝えた。 最高の“生徒”だよ。 次は2回をメドに試合で投げさせたい」

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いよいよ次は、オープン戦登板です。

4日(日本時間5日)のレッズ戦(フロリダ州ブラデントン)で
2番手として1イニングを投げる
 予定だとか。

「試合の感覚を養っていく段階に入ってきた」

さあ! いざ、出陣!!

** 3月8日(木)よりスポーツ報知にて、毎週木曜日掲載の連載が始まるそうです **
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■ 桑田真澄 モッタイナイ

2007-02-28 | 【桑田真澄】


桑田真澄投手が 3/1のレッズ戦でオープン戦デビュー することが決定的となった。
招待選手は大学チーム相手に投げる場合が多く、28日のマナティー短大戦での登板が有力視されていたが、ジム・コルボーン投手コーチが  「モッタイナイ」 と日本語で否定した。


ブルペンの芸術的投球が、コルボーン・コーチの思考を刺激した。 桑田は予定されていたフリー打撃には登板せず、初めて全力投球したスライダーを含め47球を投げた。 真後ろでじっくり見守った同コーチは 「制球が素晴らしかった」 と感嘆。 練習後の会見で 「(28日の)マナティー短大戦は投げないだろう。モッタイナイ」 という言葉が口をついて出た。

トレーシー監督はこの試合について 「メジャー選手は起用しない」 と明言。 そして同投手コーチが 「クワタもそこでは投げない。モッタイナイ」 と続けた。 桑田は招待選手として真っ先にテストされてもおかしくない立場だが、首脳陣は “メジャー格” と判断している。

「ここでプレーするチャンスを下さったことに感謝します。21年間の経験を生かして、チームのためにベストを尽くします。そしてマウンドで必ずや結果を残して見せます」


桑田のその真摯な野球への姿勢を高く評価する球団首脳陣は一方で、日本での人気にも興味をもっている。 キャンプの取材に訪れる報道陣の数が激増していることを受け 「桑田への注目の高さがわかる」 とマクラッチCEO。 そのため、球団内では着々と “クワタ景気作り” が進んでいる。

「もしクワタがマイナースタートとなれば、そこで全力で売り出す」 と、メジャー昇格を果たせないケースは 「インディアナポリス桑田」 としての個人グッズを発売することを決定した。

しかしそれだけではない。 「でもパイレーツの一員として考えるのも、面白い。インターネットを使えば、日本からの購入も可能になるわけだし」 とペイテス氏はショルト氏を中心として、メジャー昇格前に早くも 「パイレーツ・桑田」 の個人グッズ作りへのGOサインを出した。

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【インディアナポリス・桑田】 グッズ。

パイレーツのマイナーは
「インディアナポリス・インディアンス」 っていうチームなのでね。。

マイナー契約時での個人グッズ製作のプランニングは、
あの、マイケル・ジョーダンがメジャーに挑戦した時以来のコトだとか・・。

ジャパンマネー期待の、広告塔的な扱いの匂いもしますが・・。
大人のビジネス。 そんなコトは 想定内。

チャンスが貰えるコト。 そこで結果を残せるように全力を尽くすコト。

桑田自身の姿勢にブレがないから、大丈夫。

パイレーツ首脳陣・・。
桑田真澄を、日本への 「客寄せだけ」 に使おうとするのなら・・

それこそが  「モッタイナイ」。 くすっ。
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■ 桑田真澄 開幕メジャーは打者で!?

2007-02-27 | 【桑田真澄】


ヒマネタでしょうか?
報知に ◆笑える記事が

しかし、あと8本で 「投手として200安打」 という
なかなか レアな記録 も迫っているので、DH制のない ナ・リーグ での
桑田のバティングには密かに期待もしています(笑)。

そして・・

ホームゲーム用の、袖なしユニ姿の桑田。。

見慣れていないせいもあってか・・ 似合わねぇ~。。(笑)
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■ 桑田真澄 with 松井秀喜

2007-02-26 | 【桑田真澄】


報知に載った、桑田と松井の会談の様子。

24日、ヤ軍のキャンプ地近くのレストラン対談で3年ぶりに再会。
かつての巨人のエースと4番打者が顔を合わせるのは、
ヤ軍が開幕戦を日本で行った04年4月以来。
3時間にも及んだ対談の中で、将来は大リーグ経験を生かして
日本球界に恩返しすることを互いに誓い合った。

--------------------

■桑田
「こうして会えてうれしいね」

■松井
「はい。 僕の中で桑田さんは、02年の最優秀防御率を取った時の桑田真澄のままですから」

■桑田
「そう。 それにしても僕はゴジが(メジャーに)行くとは思わなかったな」

■松井
「そういえば、その話は(巨人在籍時に)したことなかったですもんね(笑い)」

■桑田
「お前にそういうプレッシャーを与えたくなかったからな。
 好きなことをやれよ、と言ったことだけ覚えてるよ」

■松井
「でも今は、桑田さんが(メジャーに)行くとは思わなかった、
 って声の方が大きいんじゃないですか? キャンプはどうですか」

■桑田
「ちょっと疲れが出て来てるね。
 内野も芝生、っていう環境が今までにはないから、足が張っててね。
 あとボールがよう滑るわ。 滑らない?」

■松井
「僕はもう慣れましたけど・・っていうか、
 僕の場合、どこ投げても何とも言われないから(笑い)」

■桑田
「お前はいいなぁ(笑い)。
 50メートル投げなきゃいけないところを、5メートルしか投げなかったり。
 昔はよく、モグラを殺してるって言われてたもんな(笑い)。
 でも、それにしても滑るよ。ツーシームは曲がるな」

■松井
「縫い目の問題でしょうね。 日本の球よりゴツゴツしてるから」

■桑田
「(縫い目が)ちょっと広くてね」

■松井
「でも革はツルツル。(大リーグ球は)打っても飛ばないですよ・・
 でもパワーあるバッターはとてつもなく飛ばしますけどね」

■桑田
「体のケアはどうしてるんだ? 僕はそれが不安でね」

■松井
「日本からトレーナーと整体の先生を呼んでます」

■桑田
「やっぱりメンテナンスは大事だよな。 あと散髪は?」

■松井
「ニューヨークで日本人の理髪師にやってもらってます。
 今年、交流戦でパイレーツはニューヨークで試合やりますから。
 その時にどうですか? 6月にありますよ」

■桑田
「6月か・・ それぐらいには、上(メジャー)に上がっときますから」

■松井
「そう言わずに、4月から」

■桑田
「4月は寒いだろ? っていうか、開幕からは難しいと思ってるよ」

■桑田
「(去年骨折した)左手首はもう大丈夫か?」

■松井
「大丈夫です」

■桑田
「でも僕は、松井がけがをしてホッとしたね。 いい休養になったと思う。
 復帰した時のお客さんの歓声、あれ、たまらんな。
 選手冥利(みょうり)に尽きる。 けがは経験しておくべき」

■松井
「桑田さん同様、僕も野球の神様はいると思いますけど、
 (桑田が右ひじの手術から復帰した試合で、登板前にプレートにひじを付けたように)
 感謝を形にできなかった。
 僕がやっても、誰も見てくれないですしね(笑)」

■桑田
「でもこのメジャーの経験は、将来、ジャイアンツ、日本球界に生かしていきたい。
 高校時代から育ててもらった球界に恩返ししないとな」

■松井
「どんな形にできるかはわからないですけど、僕もそれはやっていきたいと思ってます」

■桑田
「コーチとか監督とか、そういうものじゃなくても、アドバイザーという形でも何でもいい。
 松井には、どんな形であれ、マイウエーで行ってもらえばいい。
 そういうメジャー経験のある選手たちをまとめるのが僕。
 僕はそういうことにたけてると思うから、松井の経験をうまく生かしたいよ


■桑田
「5年目ともなれば、英語はもうペラペラか」

■松井
「全然、ですよ。
 基礎があったら伸びるかもしれないですけど、基礎がないんだから。
 桑田さんを見習って、外国人の女性とお付き合いすればよかったですけど、
 そこだけは見習うことができなかった(笑い)。
 やっぱり、ジャパニーズが良くて」

■桑田
「何言ってんだよ。 まあ、ちょこっと一緒に遊んだことあるもんな。 遊び方、伝授したな」

■松井
「遊びは桑田さんに学びましたから。
 でも18、19歳のころでしたけど、遊んだ日の翌日、
 頭にデッドボールが当たって 『もうダメだ』 って思いましたけどね(笑い)」

■桑田
「もう結婚した?」

■松井
「してませんよ。 桑田さんが23歳で結婚したというのは、世界七不思議の一つ、ですよ」

■桑田
「オレは30歳までは結婚しないつもりでいたんだけどな。
 でも、女房もかわいいけど、子どもはホントかわいいぞ」

■松井
「それは持って初めて分かることですよね。
 将来的にはそりゃ、欲しいですけど、まずは作ってくれる人、探さないと」

■桑田
「見かけとかお金とか人気じゃなく、本当に松井秀喜を愛してくれる人を探さないとな。
 1人の女性を愛せない男は、複数の女性を愛せない・・」

■松井
「名言ですね(笑い)。 僕はいつも1人の女性だけ、ですよ。
 これからも何かあったら、連絡してきてください」

■桑田
「これからいろいろ分からないことがあったら、聞かせてもらいたい。
 英語が分からないから、って電話して、実はいろんな野球のことを聞いたりして(笑い)。
 僕は年齢では先輩だけど、メジャーでは松井が先輩、なんたって、メジャーリーガーだからね」

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桑田真澄の持っている 【ビジョン】 が 少し ワカッタ気がする。
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■ 桑田真澄 自然体の挑戦

2007-02-21 | 【桑田真澄】


◇ マイナーキャンプ始まる 「頭使い勝負する」

17日、キャンプ2日目の牽制球の練習。 日本で173勝の経験を買われ、コーチから、若手選手に模範を見せるように頼まれた。

なぜ、大リーグ昇格を争う相手に技術を教えたのか? と聞くと、笑顔を浮かべた。

「巨人時代から、他の選手を 『ライバル』 なんて、考えたことがない。人は人。昔から、自分がやるべきことを、思うようにやっているだけ。試合で(自分を)使うかどうかは監督が決めること」


身長174センチ。 米国でも、特に大柄な選手がそろう投手では、一見不利に見える。 しかし、打球処理になると、抜群の動きを見せる。 バントも飛び抜けてうまい。 パワー、体格の違いは承知している中で、 「僕の場合は、体をうまく使うことでアピールしたい。投球のバランス、タイミング。そして、頭を使って勝負したい」 模擬の日本刀、棒術の棒を米国に持ってきた。 いろんな振り方をすることで、全身をうまく使う術を鍛えているという。

まもなく始まる打者との対戦。 ストライクゾーンの四隅を使った投球術で勝負するつもりだ。

「今まで試してきたいろいろな蓄積がある。ああすれば、こうなるという知識はたくさんある。そう考えると、野球は楽しいですよ」

生き残れる勝算はあるか。
「外国人だって、同じ人間でしょ。だったら、僕にも出来る。どうして、みんな物事を深刻に考えるのかなあ」


◇ 一人暮らし、通訳もなし 「修業に来ている」

キャンプ地から車で約5分ほど離れた家での一人暮らし。

「高校(大阪・PL学園)時代も寮生活だった。洗濯も自分でやるし、大変だとは思っていない」


玄関で靴を脱ぎ、スリッパで生活している。 台所には洗った食器と、スーパーで買った食パンがあった。
「朝6時半に起きて、朝食は自分で作る。パン、牛乳、フルーツを食べて、練習に行く」

英語は、巨人時代から外国人選手と話し、独学で身につけた。 パイレーツの日本人トレーナーとは、当初は日本語で話していたが、今では英語。 米国メディアの取材には、英語でこたえる。

「パイレーツの他の外国人選手を見ても、誰も通訳なんてつけていない。特別なことはしたくない。ここには、修業に来ているのだから。お手伝いさん、通訳さんがいたら、何にも身につかないと思う。苦労するのが、自分のスタイル。こういうものを乗り越えたとき、新しい何かが得られると信じている」


◇ 通算200勝まであと27 「大事なのは過程」

昨秋、21年間プレーした巨人を退団したが、国内の他の球団から獲得の声はかからなかった。

巨人で「花道」を飾る選択肢もあった。 が、
「僕の心が辞めようと言うまで、現役は辞めない。体が動かなくなるまでやる。今はまだ、野球がうまくなりたい」

限界説もささやかれる。
「何歳だから、ダメというのはない。人の評価に絶対はないと思う。神様じゃないんだから、偉そうなことを言っても当たらない。だから、気にしても仕方がない」

プロ入団以来、目指し続けてきた目標が残っている。 通算200勝まで、あと「27」。
「当然、狙いたい。結果がすべての世界だが、大事なのは過程。目標に向かって、どれだけベストを尽くせたか。それが人間を成長させると思っている」


◇ 野球人生は米国で全うするのか

「今は、一年一年が勝負としか考えていない」

そして、笑顔でこう語った。
「人間は200年も300年も生きられない。だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」

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桑田真澄の言葉は、いつも 「心」 と 「涙腺」 に響く。

プロの世界。 必要なのは 「結果」 だ。
そんなコトは 百も。 千も。 承知の桑田だからこそ

「大事なのは過程」

の言葉は重い。

桑田真澄 38歳。 ますます 「いい顔」 になってきた。
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■ 桑田真澄 22年目のキャンプイン

2007-02-17 | 【桑田真澄】



パイレーツとマイナー契約を交わした桑田真澄投手が16日、米フロリダ州ブラデントンでキャンプインした。 先発4本柱と同グループに振り分けられるなど、首脳陣は若手の手本としても期待。 開幕メジャーへ生き残りを懸け、オールドルーキーの挑戦が始まった。

22年ぶりの新しいユニホーム。 桑田は少年のような笑顔で現れた。 背番号は52。 カメラマンにポーズを要求されると 「チャック開いてないかな?」 とちゃめっ気たっぷりにズボンに視線を落とす。マイナー契約のため入団会見などは一切なく、ユニホーム姿を披露するのはこれが初めてだ。

気温12度という肌寒い天候の下、始まったバッテリー組キャンプ。 「Can you follow me?(引率してくれる)」 着替えを済ませると、02年に巨人でチームメートだったワズディンに得意の英語で話しかけ、練習場へ向かった。 「毎日が新しいことばかり。久しぶりにエキサイトしてますよ」 38歳の気持ちは高ぶっていた。


午前10時からの身体検査に続き、天然芝のグラウンドで練習。 桑田は23歳デューク、24歳マホラム、24歳ゴーゼラニー、25歳スネルら、若い先発4本柱と同じグループに入った。 オリックスで指導経験があるコルボーン投手コーチは 「彼らにはクワタの練習の姿勢を見習ってほしい」 と説明。 首脳陣は日本で21年間培った経験を買っており、キャンプでは先発組の“班長”に指名した格好だ。

ただし、開幕メジャーはいばらの道だ。 投手枠は12人が濃厚だが、残された枠は1もしくは2。
夢への第一歩を踏みだした桑田だが、それは同時に激しい生存競争の始まりでもある。

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背番号 “52” が違和感アリアリなのは、決して見慣れていないからだけでは無いでしょう。
カラーリングの 黒×黄色 も、阪神を彷彿させますし(笑)。

でも。
とにかく元気にキャンプインです!!
さあ、いよいよ、はじまりました!!

PL学園での全国制覇。
巨人時代のエースナンバー・18。
そして・・ 桑田真澄 【心の野球】 第三章の幕開け!!

頑張れ! オールドルーキ・桑田真澄 #52!!
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■ 桑田真澄 始動

2007-02-11 | 【桑田真澄】


米大リーグ、パイレーツとマイナー契約を結んだ桑田真澄投手が10日、早くもキャンプ地フロリダ州ブラデントンで始動した。
午後5時に球場入りした桑田は、パ軍でコンディショニングを担当している百瀬喜与志氏とともに練習を開始、ランニング、キャッチボール、ゴロ捕り、ダッシュで汗を流した。キャッチボールではカーブ、シュートと変化球も交えるなど、仕上がりの順調さを示した。

また桑田は大リーグのキャンプ施設を目の当たりにして将来的なプランにも言及した。

「芝生がきれいですよね。 いずれ日本もこういうところを取り入れて、良い環境で僕たちの後輩たちがプレーできるように、何年かしたらそういう環境を整えてあげたいと思います」

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到着。 そして早くも始動。

“Just a Baseball Player”

ただの野球選手。。
そう自分を呼んで練習を開始しながらも
彼は心の中に、野球人としてのもっと 「大きな視点」 を持っている。

“This is MASUMI KUWATA”

彼の視点にブレは無い。
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■ 桑田真澄 到着

2007-02-10 | 【桑田真澄】


パイレーツの春季キャンプにマイナー契約の招待選手として参加する桑田真澄投手が9日、フロリダ州のタンパ国際空港に到着した。
滞在していた豪州からロサンゼルスを経由しての長旅に 「だいぶひげも伸びましたから」 と話して報道陣を笑わせた。

「いいこともあるだろうし、悪いことも、嫌なこともあるでしょう。
 でもそれは最初から分かっていること。 そこから何かを学んでいきたい」


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“夢の地” への到着が 「藤田元司氏の一周忌」 と重なったのは
決して、偶然ではないだろう。

16日からキャンプイン。
いよいよ・・ 桑田真澄の夢と挑戦が始まります。
ファンみんなの 「夢」 ものせて。。

ワクワクしますね。
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■ 桑田真澄 出発

2007-02-06 | 【桑田真澄】


I played 21years for the GIANTS.

I really appreciate everything supported me.

I understand very well concerned my age and abilities

but I will use all my experience and techniques

to succeed in the MAJOR LEAGUE.

I will do my best.

Thank you for everything.



私は21年間、ジャイアンツでプレーをしました。

これまでのご支援の全てに感謝いたします。

年齢や能力を心配する声があることはよく理解しています。

ですが、私は持てる経験と技術の全てを駆使し、

メジャーリーグでの成功を掴むつもりです。

ベストを尽くします。

ありがとう。


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パイレーツとマイナー契約を結んだ桑田真澄投手が5日、
成田空港発のカンタス航空機で豪州・シドニーへ出発した。
空港では、見送りにきた真紀夫人と「涙の抱擁」で、しばしの別れを惜しんだ。
現地に数日滞在した後、9日にキャンプ地の米フロリダ州ブラデントンに移動する。

「右ひじを手術して苦しかったとき、オーストラリアから始めた。
 もう1度そこから第1歩を踏み出したい」


あえて “遠回り” をしてまで
「思い出の地」 から夢への第一歩を踏み出す桑田真澄。

しかし・・
ご家族との 「涙の別れ」 を見ると、やはり 「容易い道」 ではないのだな。。


頑張れ、桑田真澄! チャレンジの成功を祈ります! いってらっしゃい。
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