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おばさんになった帰国子女

帰国して30年になる一昔前の帰国子女です。
もうすっかりおばさんになりました

訂正

2009年11月11日 | アメリカのこと
家族には知らせていないこのブログ。
(子供たちは知ってますが)

私の父に見つかってしまいました


で、早速訂正が入りました。


アメリカで住んでいた家です。


以前の記事では、土地が200坪ほどで
家(建物)は100坪と書きましたが
なんと、実際は土地が600坪あって
家の建物は200坪あったそうなのです
(1階だけで200坪なので地下室を入れると延べ床400坪!)


そういえば庭がとてつもなく広く
あまり庭の端に行った記憶がありません。

土地が600坪で建物が200坪ということは
庭は400坪ほどあったということ。

それなら あまり庭の端に行ったことなくても納得です。


日本ではありえない広さだったんですね。


もっともっと記憶に残るように 
庭を探検しておけばよかったなあ。

でも、その時はそれが日常生活の一部だったので
そんなこと思いもしなかったです。

残念


ロブスター

2009年08月28日 | アメリカのこと
昨夜テレビを見ていたら 
生きたカニを茹でるのに大騒ぎしてました。


そこで思い出したのが

アメリカでロブスターを茹でたときのこと。



ある日、生きたロブスターをいただきました。


まるごと1匹のロブスターを食べるのは
家族みんな初めてです。


活きのいい元気なロブスター。

食べるためには 調理しなくてはなりません。


ここはやはり塩茹でして 溶かしバターかな


大きなお鍋にお湯を沸かして…


と、ここまではよかったのですが

問題は まだ生きて動いているロブスターを
煮立った湯の中に入れる という作業。


考えてみれば残酷です。



母は 辞退しました。

弟も… です。

(父はまだ仕事でした)


残るは私しかありません。



え~~っい!!!



でも、胴体を持つことはできず
ヒゲ(触覚??)を持って 鍋の中へ…


ロブスターは熱湯の中で
もがき苦しみながら茹でられました。



その様子を見ていた 母、弟、私の3人は
その夜のごちそう ロブスター1匹丸ごと塩茹で
を食べることはできませんでした



トム・ハンクスのドラマ

2009年07月15日 | アメリカのこと
この記事を投稿した後 真剣に調べました。

記事の最後に書いたことの真相を知るため。


私が見たと思っていた俳優さんはトム・ハンクスだったのか??


日本語でいくら調べても出てこないので
英語のWIKIPEDIAでトム・ハンクスを調べたら
すぐわかりました。


やはりあれは若い頃のトム・ハンクスだったのです!!


そのドラマは これ


内容はほぼ記憶通りでしたが
アパートに住むことになった理由が違いました。

格安の家賃に引かれてだったようです。

そのアパートに住む女性に主人公が恋をすることで
更に話がややこしくなるんですね。


日本では放送されていないドラマなので
日本語版ウィキペディアには載っていないのでしょう。



あ~ すっきりした。


今は大物

2009年07月14日 | アメリカのこと
アメリカにいた頃 近所に友達がいなかったので
放課後は家の中で本を読んだりテレビを見たりして
過ごしてました。


英語をてっとり早く覚えるにはテレビが一番。

「セサミ・ストリート」は ほぼ毎日見ていました。

ある程度 英語が分かるようになってからは
夕方から始まるドラマ。


その中でよく見ていたのが
「The Partridge Family(パートリッジ・ファミリー)」と
「Happy Days(ハッピーデイズ)」


「パートリッジ・ファミリー」は
母親と5人の子供が音楽活動をしている家族の話で
私は長男役のデイビッド・キャシディーが好きでした。

このドラマ以外で見たことなかったけど
当時はアイドルだったようです。


ハッピーデイズ」は
リーゼントの不良少年と気の弱いその友達の話。

この気の弱い友達の役をしていたのが
ロン・ハワード

もちろん当時は 髪もふさふさで10代の少年にぴったりでした。
写真の左から3番目がそうです。


この人のことは 帰国してからすっかり忘れていたのに
「アポロ13」の映画を観たときに
監督の名前にあって ビックリ!!

今では 押しも押されぬ大監督ですよね。

当時は そんなこと夢にも思いませんでした。


アメリカでも「今は有名な人の昔のお宝映像」
なんてのがあったら きっと出るでしょうね。



実は いまや大俳優のトム・ハンクスも
当時のテレビドラマで見たように気がするんです。

でも、どこを探しても載ってなくて…


ドラマの主人公は2人の男性。

会社に就職が決まったものの ひょんなことから
女性専用のアパートで暮らすことになり
アパートでは女装して生活するはめになる という話。

ありえない~という設定です。

その主人公の一人がトム・ハンクスだったような
気がするのですが(顔がね、そっくりだったような)
でも、彼の履歴にそんなドラマはないし…

私の思い違いかな。


シカゴで学会

2009年05月11日 | アメリカのこと
私の上司である先生が 
この秋アメリカで開催される学会に行かれることになりました。

場所は シカゴ !

懐かしい地名です


先生に私がアメリカで住んでいたのはシカゴ郊外の街だと言ったら
「じゃあ、いろいろ詳しいだろうから交通の便とか 道とか教えてね」
と言われました。


が・・・・・・

それがですね、当時私は中学生。

中学生の毎日は家と学校の往復のみ。
公共交通機関の発達していないアメリカでは
子供だけでどこかへ出かけることもなく。

日本のように子供がひとり自転車で
街をフラフラするのは危ないですし。


だから、街の地理ってほとんどわからないんです


住んでいた街の地理がわからないのに
シカゴのダウンタウンの地理などチンプンカンプン。


ホテルの予約も取らなくてはなりませんから
ネットで地図を検索して お勉強です。

シカゴの建物は聞き覚えのあるものが多いですが
それ以外は さっぱり。


でも、郊外の街の地名は聞き覚えあるものばかり。
無駄に3年間過ごしたわけではなかったようです


地図で見たら 私が住んでいた街パークリッジ(Park Ridge)は
オヘア国際空港のすぐ近くでした。
いやあ、知りませんでした



それにしても地図を見れば見るほど懐かしい地名がいっぱい。


パークリッジに引っ越す前住んでいたウィーリング(Wheeling)

パークリッジの隣街デス・プレイン(Des Plaine)とナイルズ(Niles)

デス・プレインの北の街マウント・プロスペクト(Mt.Prospect)

日本人補習校のあった街スコーキー(Skokie)

スコーキーの南隣街リンカーンウッド(Lincolnwood)

パークリッジの西にある街エルク・グローブ・ビレッジ(Elk Grove Village)
にはかわいいお店があって よく買い物に行きました。


やはり3年住むといろいろ覚えているもんなんですね。


帰国してから一度も行っていないアメリカ。

いつか行きたいです。


アメリカでパーマをかける

2009年02月19日 | アメリカのこと
今朝 髪をとかしていて突然思い出しました。

「そういえば昔、アメリカでパーマあてたことあったなあ」

なんでこんなこと思い出したのか不思議ですが その話を…



アメリカに渡った時はまだ中学生になったばかりでしたから
髪型を気にするでもなく(生活の激変にそれどころではなく かな)
渡米直前におかっぱにした髪を ただただ伸ばしていました。

邪魔になったら くくって。

一度、これってかわいい?と思って
二つくくりの三つ編みおさげにして学校に行ったら
友達みんなに

「インディアンみたい」 と言われました。

インディアンと日本人、イヌイットは 祖先が一緒という説もありますから
そう言われても不思議ではないですよね。

でも、それからしばらく友達の中には
私がほんとうのインディアンだと思ってる子もいました。

違うし~!


本題に戻して

中3の頃 アメリカで流行っていたのが フェザーカット(feather cut)
日本でも少し後に 聖子ちゃんや明菜がしていた
両サイドの髪をきれいに段カットにして 横に流すあれです。

横に流れた感じが鳥の羽根に似ていたので 
アメリカではフェザーカットと言われていました。

私はあれがやりたくって!!

伸ばしたままの髪を少し短くして フェザーカットにするべく
美容院へ行きました。

が、日本人のやわらかい髪では フェザーカットしても
きれいに流れない と言われ

でも せっかく美容院にきたのだから 
と とりあえず短くして ちょっとゆるくパーマをかけることに。


ところが、そこからが大変。

日本人とアメリカ人では 髪質が全く違うんですね。

アメリカのパーマ液では 私の髪にパーマがかからないんです
(初めてのパーマってこともあったのでしょうが)

何時間もかかって(多分3時間くらい)
 やっと 少しウェーブがつき終了。


でも、一度洗ったら ただの癖毛にしかみえない状態でした。

そして、1週間もたたないうちにパーマはとれてしまいました


やっぱり アメリカ人と日本人、人種が違うと髪質から違うんですね。


アメリカで どん兵衛

2009年02月09日 | アメリカのこと
昨夜テレビ番組 「走れ!ポストマン」 を見ていたら
海外のお店でも インスタントラーメンを売ってる! というのが写っていて
その棚にあった 「日清のどん兵衛」 を見て思い出しました。


アメリカに住んでいた頃。

日本人の我が家族にとって 
やはり毎日3食アメリカの食事は耐えられなくて
夕食は必ず 和食でした。
(洋食もあったけど、日本風洋食)

ま、弟と私が激太り したせいもありましたが…


ちょっと遠いけど日本食店に行けば たいていの材料は手に入りましたから
それで 母が毎晩作ってくれていました。

母が作る日本食は 独身の父の同僚にも好評で 
よく週末は食べに来られてました。
やはり、みんな日本食がいいんですよね。


たいていのものは手に入った日本食店ですが
どうしても手に入らなかったのが うどん
蕎麦は乾麺がありましたが うどんはなかったようで
うどん大好きな母、弟、私は もう うどんが食べたくて仕方ない!

そこで 唯一手に入ったのが 「日清のどん兵衛」でした。

かなり割高なので なかなか買えなかったのですが
買えば毎回 「うどんだ~ 」 と感動しながら食べてました。

とにかく美味しくて


日本に帰っても あの味が忘れられなくて皆で食べたのですが

「あれ? なんか違う」

味が違うのです。

おかしいなあ~。と何回か食べてみましたが
何度食べても 味が違う!

やはり 海外で食べたくて仕方ない中で食べるのと
いつでも食べられる国内で食べるのとでは 同じ「どん兵衛」でも違うのか
と思いましたが、インスタント食品ですから そんなことはないかと…


しばらくして気付いたのは

同じ「どん兵衛」でも 関西と関東では味が違うということ。

関西はだしがきいた薄口醤油。
関東は濃い口醤油。

もしかすると 海外向けは関東のものが輸出されていて
私たちはそれを食べていたのかもしれません。
今となっては確かめられませんが。

だから 関西に帰国して 関西の「どん兵衛」を食べても 味が違う。


でも…

関西にず~~~っと住んでいるので 関東の「どん兵衛」は手に入らないから
食べて確かめることはできず。

未だに謎のままです。


アメリカの夏休み 2年目、3年目

2008年12月08日 | アメリカのこと
1年目のアメリカの夏休み の続きです。

2年目の夏休みは サマースクールに行きました。

といっても 通っていた中学校主催の
日本でいうカルチャーセンターでの習い事のようなものでした。
ただカルチャーセンターと違ったのは毎日通ったということ。

いろんなコースがありましたが
私が選んだのは

1週目 ― タイピング
2週目 ― カリグラフィー
                 でした。


1週目のタイピングは もらった教材をもとに
自分で進めていく方式でした。
最終目標は もちろん ブラインドタッチ!
(キーボードを見ずに10本の指でタイピングする)

ピアノを習っているせいか 
他のどの子より早く 速く正確に打てるようになりました。

就職した後、配属された部署でタイプを打つことが多かったのですが
新たに勉強する必要がなかったので 楽でした。
それに今、私が パソコン入力に苦労しないのも このおかげです


2週目は カリグラフィー

専用のペンとペン先を使って 先生のお手本通りに書いていきます。
日本の習字みたいなものですね。

これも現在、クリスマスカードを書いたりするのに役立ってます。



こうやって見ると この時のコース選択はなかなか良いものだったようです。
どれも今現在 役に立ってます。



3年目は どこにも行かず、家でのんびり過ごしました。



3年間、アメリカの長い夏休みを経験したのですが
日本人補習校は毎週土曜日にありましたし
補習校の夏休みには 宿題もあったので 
残念ながらアメリカ人の友達のように 
夏休み全くフリーというわけにはいきませんでした



アメリカの夏休み 1年目

2008年12月02日 | アメリカのこと
アメリカには3年3ヵ月住んでいました。

行ったのが3月末で、帰国したのが6月末だったので
夏休みは3回過ごしたことになります。


アメリカの学校の夏休みは長い!
6月中旬もしくは7月初めから8月末まであります。

しかも、学年が変わる前の休みなので
日本の春休みと同じく 宿題がない!

その長い宿題のない夏休みを遊びほうけているわけにもいかないので
ほとんどの子供はサマースクールといわれる短期の有料学校のようなところに
通います。

私も同じでした。


1年目
まだ、アメリカに行って3ヵ月しか経っておらず
ほとんど英語がしゃべれないので 英語上達のため
サマースクールではなくサマーキャンプに行きました。

1つのコースが1週間で 夏休み期間中はいくつでも申し込めます。
私は2つ(2週間)申し込みました。

1週目は 運よくひとつ年上の日本人の女の子が一緒のグループでした。
彼女はすでにアメリカ滞在3年以上経っていて 英語はペラペラ。
どうしてもわからない時は通訳してもらえて 不安なく過ごせました。

ところが、2週目はグループ変えがあり 彼女とは別々のグループに。

私は2週目からは ひとりで英語の中にいることになってしまったのです。

多少は聞き取れるようになっていたので それほど問題はなかったのですが
困ったのは こちらの意思を伝えること。
それほど単語を知らないので 聞き取れても しゃべれません。

そんな時に 生理が始まってしまいました。
サマーキャンプでは 水泳もあります。
1日目は 家で「生理」という単語を辞書でひいて
"menth"と覚えて行ったのですが通じません
(後で知ったのですが、アメリカでは"period"というのが一般的です)

なんとかプールに入れないことは理解してもらえたのですが
明日からは無理かもしれません。
2日目は父に手紙を書いてもらって それを持っていき
ようやく きちんと理解してもらいました。

ところがですよ。
プールに入れないので プールサイドで見学していたら
指導員の一人の男性がふざけて、プールサイドで見学している私たちを
(私のほかにも何人か見学者がいました)
プールに落とそうとするのです 

落ちたら着替えもないのに どうするの
それにプールに入れない理由は様々です。
水に浸かることすらできない子もいるかもしれないのに…

何度も落ちそうになるのを必死でこらえましたが
ほんとに おバカな奴 と思いました。
(落ちて大騒ぎしてやろうかと思いましたが
 着替えがないのでやめました)

そうそう、キャンプに参加する他の子から「ジャップ」と言われたり
ロッカーで同じグループの女の子たちから
あからさまにイヤそうな態度をとられることもありました。
差別されたのは 後にも先にもこの時だけでしたが。

でも、ふん! の記事からもわかるように
そんなことで負ける私ではありませんでしたけど


というわけで 1年目のサマーキャンプには あまり良い思い出はありません。


雪のせいで…

2008年10月28日 | アメリカのこと
昨日 北海道で早くもが降ったそうですが
今年の冬は例年より早くきそうですね。
それに 寒そう~


ところで、雪といえば 渡米した2年目の冬 が一番すごかったですが
その前年、渡米した年も少なくはなかったのです。

まだ、アパートに住んでいたのですが
一晩で 駐車場の車が雪に覆われるほど降りました。

朝、父が出勤しようと家を出たのですが
なぜか すぐ戻ってきて 車のカギをヤスリで磨き始めました。



「雪のせいで 鍵穴にカギがはいらん」と父は言います。

少し磨いた後 再び車のところへ…

でも、カギは入りません。

おかしいなあ。

と、ふと駐車場を見渡すと 雪に埋もれた車たちの中に
同じような車がもう一台 見えます。

あ!!!

全く同じ色と車種の車を 父は自分の車だと信じ
カギが入らないのは雪のせい(寒さもあり)だと思ったのでした

その車の持ち主が見てなくて よかったです。

それ以来父が、冬の間は 車を止めた場所をしっかり確認してから
家に入るようにしたのは 言うまでもありません。