世相の潮目  潮 観人

世相はうつろい易く、その底流は見極めにくい。世相の潮目を見つけて、その底流を発見したい。

伊勢志摩サミットでは東・南シナ海への中国の侵入にも焦点を

2016年04月22日 | 現代
ヨーロッパでは難民流入が欧州諸国の安全を脅かす重大な問題になっていますが、アジアでは東シナ海と南シナ海への中国の軍事的侵入がアジア諸国の安全を脅かす危機となっています。来る伊勢志摩サミットでは、欧州の難民・テロ対策と共に、東・南シナ海への中国侵入対策も併せて重要課題として討議されることを望みます。

東・南シナ海の島嶼を領土だと言って、中国が具体的に軍事的行動、或いはそれの前哨戦的行動を取りだしたのは、そう昔ではありません。リーマンショック後に、欧米諸国が経済回復に苦吟している間に、中国だけが成長を続けて大国になったと錯覚し、それまで、とう小平が主導した「韜光養晦(とうこうようかい)」(能ある鷹は爪を隠す)の外交方針を変更したのが始まりです。

中国は東・南シナ海を歴史的にも自国の領土だったと主張しますが、長い歴史の中で、中国が海洋進出したのは13世紀に元のフビライが、15世紀に明の永楽帝(えいたくてい)が、17世紀に清の康煕帝(こうきてい)が海洋進出を企てているだけで、その三度とも一時的なものに終わっています。核心的利益の名の下に、何千年前から領土だったと主張する歴史的根拠はありません。

このように中国は歴史的には大陸国家であり、北方の騎馬民族の侵入を防ぐことに精一杯でしたから、南方の海へ進出する余裕はなく、関心も薄かったのです。ところが近年、ソ連崩壊で北方の脅威はなくなり、改革開放の成功で海外貿易への依存が高まったので、急に海洋進出の欲望を持ちはじめたのです。

しかし、近世以降、世界の海洋には国際的な開放システムが確立しており、東・南シナ海についても航行自由の原則が働いていて、特定国が覇権を主張できるものではありません。特に南シナ海は「西太平洋とインド洋の「喉」として機能していて、ここは世界の海上交通ルートが交差する、経済面でそれぞれをつなげる役割を果たす器官の集中した場所(「南シナ海 中国海洋覇権の野望」ロバート・D・カプラン著)なのです。

先に開催された核安全サミットで、習近平主席は国際的な義務を忠実に履行すると「責任ある大国」を強調しながら、その後の米中会談では「航行に自由」を口実に中国の立場を侵害する行為は許さない、中国の核心的利益を尊重すべきだと、南シナ海での暗礁領有権を主張しています。しかも軍事基地化しないと言明していた西沙(パラセル)諸島と南沙(スプラトリー)諸島の軍事化は止めようとしません。

同じく核安全サミットと同時に行われた日米韓3ヶ国の会談では、法の支配に基づく行動の重要性「航行の自由」を確認しました。日米韓3ヶ国の立場は、中国が主張する核心的利益とは真っ向から対立します。同じく南シナ海では ASEAN 諸国が暗礁の領有権を巡り中国と激しく衝突をしています。

このように見てくると、中国が海洋進出するのは経済的理由だけでなく、東・南シナ海を実効支配して、アジア海運の喉元を抑えて、アジアの覇者になろうとしていることが分かります。それが中国の政治的意図であり、アジアの「秩序の現状を変更」することが中国の要求ですから、伊勢志摩サミトでは先進国の決意として、この中国の野望を挫く声明を出す必要があります。

折しも、中国経済は、途上国から先進国へ脱皮する重要な時期にさしかかっていますが、現実は挫折の危機に直面しているのです。伊勢志摩サミトの声明が、中国の長期の野望は中国の為にならないと悟らせることになるよう期待します。
(以上)
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格差が政治を動かす時代 再分配より生産性向上を

2016年04月03日 | Weblog
いま格差に怒れる若者達が世界の政治を動かしていると外電は伝えています。英国では労働党党首のコービンが、スペインでは左翼政党ポデモス党党首のイグレシアスが、アメリカでは民主党大統領候補のサンダースが、既存政党の政策が格差を助長したと攻撃して、若者の支持を得ていると言うのです。アメリカの共和党候補のトランプが健闘しているのも、貧しい白人中間層の格差是正を旗印にしているからです。果たして格差が世界政治を動かしているのでしょうか。

格差問題と言えば、数年前にフランスの経済学者ピケティが大著「21世紀の資本」で問題提起しましたが、その時、ピケティの格差論は日本のマスメディアを賑わせました。

当時を思い返しますと、ピケティが資本収益率(r)は経済成長率(g)より常に大きいから、放置すれば格差は必然的に拡大すると言いましたら、忽ち単純なマスメディアはアベノミクスは成長政策だから格差を拡大すると批判しました。アベノミクスを批判したい政治家が言うだけでなく、リベラル派の経済学者まで言うのですから驚きました。

ピケティの言う資本収益率(r)は経済成長率より大きいという定理は、長期間の統計分析の結果から導き出されたものであり、経済成長率の高低によって変わるものではないのです。敢えて言えば、高成長期には格差は見えにくくなりますが、低成長期には格差はよりよく見えてくるということです。失われた20年間という長い低成長期に、失業者という形で格差が大きく見えたまでです。

ピケティの格差論に投げかけられた疑問点が二つありました。
一つは、過去20年間は確かに格差は広がったが、200年前と比べると縮まっているとイングランド銀行のキング前総裁は批判しました。20世紀の税務統計分析だけで妥当な結論を出せるかを疑っているのです。

もう一つは、格差と失業率の関係ですが、格差の大きい米国で失業率が低下しているのに、それよりも格差の少ない欧州で失業率が高止まりしていることを指摘して、格差是正には分配政策より成長政策が大事だとの反論でした。

確かに、格差の原因は分配面と生産面の両面に分けて考えた方が分かりやすいです。
欧米で所得格差が拡大した原因には、トップ富裕層が得る勤労報酬が過大なことと、および中間層が得る労働報酬が相対的に伸びないことの二つがあるのです。そして中間層の労働報酬が伸び悩むのは、途上国で工業化が進み、低賃金で生産された商品が世界市場にあふれたことにあります。これは欧米に限らず、日本でも起きている先進国共通の現象です。

従って所得格差を是正するのに、分配面では累進税率を引き上げて所得を平準化することは可能ですが、生産面では所得格差を是正するのは難しいのです。それは、嘗てマーガレット・サッチャーが「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません」と言ったことの意味です。

それでは、どうすればよいか。
最近、消費税問題で日本で有名になったクルーグマン教授は”Rethinking Japan”という論文で次のように書いています。「バブル崩壊の1990年から2015年までの25年間の日本の1人当りの GDP 成長率は、米国、欧州のそれを凌駕していた」と。

と言うことは、その25年間、日本の人口は伸びなかったけれど、労働生産性が伸びていたことになります。人口は増えず、失業者は増えていても、1人当たりの労働生産性が増えていたのは、産業界が労働効率を上げる努力をしていたということです。

ピケティの格差論への批判の中に、格差是正には分配率是正よりも成長政策が大事だとの議論があったと紹介しましたが、経済成長の達成には技術革新の貢献が大きく、その中身は労働生産性の向上となって現れるのです。

要するに、賃金格差の是正には労働生産性の向上が有効であり、労働生産性を引き上げる鍵は技術革新だということです。そうであれば、失われた20年間も技術革新を休まなかった日本の産業に対して、この際、政府は技術革新のため財政・税制の両面からの重点的支援をすることです。そうすればデフレ脱却と同時に、間違いなく賃金格差は是正されます。

アベノミクス第三の矢は規制緩和だと言われていますが、第三の矢の本命は規制緩和ではなくて、産業界での技術革新です。それには技術開発投資への財政支出及び税制優遇措置を大胆に実施することです。技術革新には効果が出るまで時間が掛かりますから即効性を求めてはいけません。政府自らがビッグ・プロジェクトを立案して投資してもよいのです。

欧米では左派のリベラル政党が、経済的弱者への減税、学費減免など助成策、最低賃金引き上げなどの格差対策を掲げていますが、日本では右派の保守党が同一労働同一賃金、企業への賃金引き上げなどの格差対策に熱心です。それに加えて、技術革新をビッグ・プッシュするような格差是正政策を実施して欲しいものです。

格差の是正は果実の再分配より、果実を増やす生産性の向上を優先して行うのが良いのです。
(以上)
コメント (1)
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