参議院選挙の演説中に安倍元首相は凶弾で倒れました。
国内の大手新聞、テレビは、安倍元首相は日本を戦争に駆り立てる政治家だ、森友・加計・桜と騒いで不誠実な政治家だと、首相を退いてからも安倍批判報道を垂れ流していました。しかし、増上寺で行われた安倍家の葬儀には一般の参列者が長い列を作る有様で、多くの国民は大手メディアの報道を信じていなかったのです。
安倍元首相の祖父、岸信介が首相の時、当時の日米条約では日本が米軍に基地を提供するだけで米国に日本防衛の義務がなかったので、米国に日本防衛義務を持たせるよう改定したとき、日本を戦争に巻き込ませる安保改定だと野党と左翼の人たちは大規模な安保改定反対デモを国会議事堂に仕掛けたのです。
安倍晋三が首相の時、日本を守る米軍が攻撃を受けても日本軍が米軍を守らない現行安保条約を相互に守り合えるよう安全保障関連法を制定したとき、憲法違反だ、日本を常時戦時体制に導く戦争法だ、と反対を主張したのは野党と憲法学者など左翼の人たちでした。
岸信介の日米安保条約の改定のお陰で、その後の長期間、米軍の防衛によって日本の安全が保証され高度成長が達成できたように、安倍氏の安全保障関連法の成立で、ウクライナへのロシア軍の侵攻のような事態が東アジアで生じたとき日米軍事共同作戦が遂行され、日本の安全はより強固なものになったのです。
岸信介、安倍晋三の両者は、日米軍事同盟を平等で確かなものに仕上げた貢献者なのに、いずれの場合も大手新聞やテレビは日本防衛の強化に反対の論陣を張り宣伝しましたが、多くの国民は国防の強化になると理解し同意していたのです。何よりも安倍元首相の国政選挙6連勝がそれを示しています。
安倍元首相の功績は、日本の安全保障だけに限りません。今や「インド太平洋構想」として世界に知られる、アジア全域の安全保障に関わる構想を創案したのは安倍元首相であり、その一つが日米豪印戦略対話協力体制(QUAD)として実現したことです。安倍元首相の死が伝わると、多くの國の首脳からその死を悼む弔意が寄せられたことで、安倍首相の活躍が世界の平和と安全に貢献したことの大きさが分かります。それを知らなかったのは日本の大手メディアと、それを報道しなかった大手メディアから知らされなかった日本人でした。
地球俯瞰的という大局的な視野を持つ安倍元首相は、日本と深い利害関係のある中国とロシアに対しては、現実的な対応を執拗に続けた政治家でした。日露と日中の二国間交渉は不幸にして未だ満足できる状況には至りませんが、その手法は長期的観点から複眼的視野で続けられました。
中国に厳しいとみられていた安倍元首相が、第一次安倍政権誕生後間もなく、電撃訪中し中国と戦略的互恵関係を築き上げたことに、安倍氏が複眼視野のある現実的政治家であることを示しています。また安倍元首相がプーチン大統領と北方領土交渉を粘り強く続けたのは、ロシア敵視の単細胞的接近を避けて長期的国益を求めたからです。岸田政権になって安倍元首相の中露外交は失敗だったと批判する人々がいますが、現実重視の複眼的安倍外交の軌跡を見習うべきでしょう。
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