加計学園の獣医学部新設の認可を巡り、安倍首相の関与があったか否かの報道で、大手メディアの報道ぶりは偏向している、事実を公平に取り上げていないとの批判がネット上で盛んに飛び交っています。
そのネット・メディア批判に対して、大手メディア側もネットで反撃に出ています。最近、ネット上に投稿された反撃の写真には驚きました。田原総一朗、岸井成格、鳥越俊太郎たちの諸氏が掲げている横断幕に、次の文字が書かれていたのです。
「報道しない自由を守る」「ニュースの重要度は俺たちが決める」「視聴者は怖くない」「怖いのはスポンサー」
この言葉をラジオで聞いたなら、まさか本気ではない、ブラック・ジョークだと思うところでしたすが、ネット上、写真で見せられると目を疑い、大手メディアのリーダー格のジャーナリストたちは、本気でこんなことを考えているのかと吃驚りした次第です。
何事も自由に報道する権利を主張するメディアが「報道しない自由を守る」と主張するのは分かりにくいことです。これを加計問題に当てはめますと、前文科省次官の前川氏の発言ばかり報道する大手メディアは偏っている、元愛媛県知事の加戸氏の発言も報道しろとのネット上の批判に対して「報道しない自由」もあるのだと主張したと解釈するしかありません。
メディアの人間には自分たちは大衆より視野が広く知的だとの思い上がりがありますが、こんな倒錯した理屈を言うのは、その思い上がりの所為で、世間では通用しないでしょう。
これは余りに酷い思い上がりなので、そこで落ち着いて、この写真は偽造写真かも知れないと考え直してみました。大手メディアの偏向報道を批判する人達が、大手メディアに対して、「実は、あなた方はこんなことを主張しているのですよ、わかってますか?」と注意を喚起した合成写真ではないかと疑いました。
そう思うと、この加工写真の横断幕に書かれた言葉は、大手メディアの言動を描いて的を射ています。それだけ痛烈なな批判になっています。
それにしても、加計問題の本質は、国民生活に影響する獣医が不足しているのか否かの問題であり、認可手続きの可否はその本質に悪影響があるときだけ論ずれば済むことです。
その位のことは視野が広く知的な大手メディアの人々は百も承知の筈です。それにも拘わらず、枝葉末節の認可手続き論で政府攻撃をして、政権支持率を引き下げるのに大手メディアは成功しました。ということは、視野が狭くて知的でない大衆が、大手メディアの作戦にまんまと引っ掛かったということでしょう。
古代ローマ史の研究家として有名な塩野七生氏は、マキアヴェッリの言葉を援用して、大衆は台所感覚だから、大局の判断を迫られる場合に誤りを犯し易いが、個々のことになると意外と正確な判断を下すと書いています。従って、民衆に大局的な判断を求める場合、総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説けばよいのだとも書いています。(「再び男たちへ」塩野七生)
しかし、加計問題について言えば、獣医師の不足問題は理解するのに難しい大局問題とは言えません。鳥インフルエンザや口蹄疫が蔓延すれば、国民生活に重大な影響を与えることは大衆もすぐ分かります。地方には獣医師が不足している事実は明白です。その点を具体的に指摘すれば、台所感覚の大衆も大手メディアに騙されなかった筈です。
しかし、大手メディアは、「報道しない自由」で、その本質論の部分を報道しなかったのです。警世家の山本夏彦氏は、報道されない事はこの世に存在しないことになる、と皮肉を込めてメディアを批判していました。「報道しない自由」をメディアを実行すれば、大衆は目隠しされたことになります。民主主義は報道された事実をもとにして国民が判断して成り立ちます。「報道しない自由」は民主主義の否定です。
大手メディアは、民主主義の否定し、自分たち自身の評価を落とし、視聴者から見放されて、広告収入も減らしますから、自業自得で構いませんが、民主主義を否定した代償は大きなものがあります。
(以上)
そのネット・メディア批判に対して、大手メディア側もネットで反撃に出ています。最近、ネット上に投稿された反撃の写真には驚きました。田原総一朗、岸井成格、鳥越俊太郎たちの諸氏が掲げている横断幕に、次の文字が書かれていたのです。
「報道しない自由を守る」「ニュースの重要度は俺たちが決める」「視聴者は怖くない」「怖いのはスポンサー」
この言葉をラジオで聞いたなら、まさか本気ではない、ブラック・ジョークだと思うところでしたすが、ネット上、写真で見せられると目を疑い、大手メディアのリーダー格のジャーナリストたちは、本気でこんなことを考えているのかと吃驚りした次第です。
何事も自由に報道する権利を主張するメディアが「報道しない自由を守る」と主張するのは分かりにくいことです。これを加計問題に当てはめますと、前文科省次官の前川氏の発言ばかり報道する大手メディアは偏っている、元愛媛県知事の加戸氏の発言も報道しろとのネット上の批判に対して「報道しない自由」もあるのだと主張したと解釈するしかありません。
メディアの人間には自分たちは大衆より視野が広く知的だとの思い上がりがありますが、こんな倒錯した理屈を言うのは、その思い上がりの所為で、世間では通用しないでしょう。
これは余りに酷い思い上がりなので、そこで落ち着いて、この写真は偽造写真かも知れないと考え直してみました。大手メディアの偏向報道を批判する人達が、大手メディアに対して、「実は、あなた方はこんなことを主張しているのですよ、わかってますか?」と注意を喚起した合成写真ではないかと疑いました。
そう思うと、この加工写真の横断幕に書かれた言葉は、大手メディアの言動を描いて的を射ています。それだけ痛烈なな批判になっています。
それにしても、加計問題の本質は、国民生活に影響する獣医が不足しているのか否かの問題であり、認可手続きの可否はその本質に悪影響があるときだけ論ずれば済むことです。
その位のことは視野が広く知的な大手メディアの人々は百も承知の筈です。それにも拘わらず、枝葉末節の認可手続き論で政府攻撃をして、政権支持率を引き下げるのに大手メディアは成功しました。ということは、視野が狭くて知的でない大衆が、大手メディアの作戦にまんまと引っ掛かったということでしょう。
古代ローマ史の研究家として有名な塩野七生氏は、マキアヴェッリの言葉を援用して、大衆は台所感覚だから、大局の判断を迫られる場合に誤りを犯し易いが、個々のことになると意外と正確な判断を下すと書いています。従って、民衆に大局的な判断を求める場合、総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説けばよいのだとも書いています。(「再び男たちへ」塩野七生)
しかし、加計問題について言えば、獣医師の不足問題は理解するのに難しい大局問題とは言えません。鳥インフルエンザや口蹄疫が蔓延すれば、国民生活に重大な影響を与えることは大衆もすぐ分かります。地方には獣医師が不足している事実は明白です。その点を具体的に指摘すれば、台所感覚の大衆も大手メディアに騙されなかった筈です。
しかし、大手メディアは、「報道しない自由」で、その本質論の部分を報道しなかったのです。警世家の山本夏彦氏は、報道されない事はこの世に存在しないことになる、と皮肉を込めてメディアを批判していました。「報道しない自由」をメディアを実行すれば、大衆は目隠しされたことになります。民主主義は報道された事実をもとにして国民が判断して成り立ちます。「報道しない自由」は民主主義の否定です。
大手メディアは、民主主義の否定し、自分たち自身の評価を落とし、視聴者から見放されて、広告収入も減らしますから、自業自得で構いませんが、民主主義を否定した代償は大きなものがあります。
(以上)