ワカキコースケのブログ(仮)

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2016年4月4日、渋谷のボブ・ディラン

2016-04-05 07:18:52 | 日記


ボブ・ディランがまた日本に来た。公演をしにやって来た。
前回のブログに書いたような予習をしたうえで、初日に行ってまいりました。

セットリストは、以下の通り。

1―シングス・ハヴ・チェンジド
2―シー・ビロングズ・トゥ・ミー
3―ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング
4―ホワットル・アイ・ドゥ
5―デューケイン・ホイッスル
6―メランコリー・ムード
7―ペイ・イン・ブラッド
8―アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー
9―ザット・ラッキー・オールド・サン
10―ブルーにこんがらがって

(休憩)

11―ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)
12―ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ
13―アーリー・ローマン・キングズ
14―ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・デイ
15―スピリット・オン・ザ・ウォーター
16―スカーレット・タウン
17―オール・オア・ナッシング・アット・オール
18―ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ
19―枯葉

(アンコール)

20―風に吹かれて
21―ラヴ・シック


前半の最後のほう、「ペイ・イン・ブラッド」の次は「ザット・ラッキー・オールド・サン」だっけ、いや違う、もう1曲歌ったよな……とハッキリしなかったのだが、他の方が早速あげてくれたもので確認できて助かった。
「HIGH-HOPES管理人」さん、ありがとうございました!
http://ameblo.jp/high-hopes/

おそらくこの方が、世界で一番早い、今年のボブ・ディランの世界ツアー初日の情報提供者だ。
こういうことは、お礼のためにも、ちゃんと名前を出しておかないと。
「団塊オヤジの反骨ロック日記」とか「洋楽大好きママのゆるゆるまったりブログ」な人達の少なからずが、ブログの情報はタダだと思って、カンタンにコピペするからね。「アベ政治を許さない」のもいいけど、まずは自分のそういうところから気をつけませんか。お互いに。

その「ザット・ラッキー・オールド・サン」を増やした以外は、去年のヨーロッパ・ツアー終盤と全く同じ。拍子抜けするほどだった。
前回の日本公演と比べると、基本の曲目はこのところ変わらず、その上で、「ブラインド・ウィリー・マクテル」を歌ったり「ハックズ・チューン」を初披露したり……という〈おたのしみ枠〉が、スタンダードソング集『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』及び続編にとって変わったことが分かる。


ざざっと、レポートしておきます。

1―シングス・ハヴ・チェンジド
すっかり、近年のライヴのオープニング曲としておなじみになった。「オレもそれなりに気を付けてきたけど、それ以上に世の中みんな変わってしまった」(意訳)とぼやく、「時代は変る」のセルフ・アンサー(パロディ)・ソングから始める余裕。
これは、もう特別なことはしないんだからね、気楽に聴いてくれよね、というあらかじめの念押しだとも僕は勝手に捉えている。「自分はロックの神様じゃない。昔も今も、古い曲の作りを勉強して伝える役割の人間。むしろ職人気質なんだ」と長年言い続けても、いつまでも理解してもらえない人ならではの。

導入部はなんか、バンドがバタバタしていたと思う。ただ、ディランの歌はとても丁寧かな。歌詞がハッキリ聞こえてくる。

2―シー・ビロングズ・トゥ・ミー
2曲目が「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」なら、去年のツアーを踏襲したセットリストになる、もし違う曲ならすごいぞ……と固唾を呑んで待ち構えていたので、ほっとしたような、少し残念だったような。
でもこれ、ずいぶんアレンジが変った。ハードな雰囲気で、かっこいい。

僕の席からは歌うディランの表情はよく見えなかったが、間奏で吹くハーモニカを、1番を歌っている途中でポケットから出したりまた仕舞ったりするのは見えた。結婚式で慣れないスピーチに緊張するおじさんが、メモを出したり引っ込めたりする姿に近かった。
こういうアマチュアくささを、昔のディランは意識的に大事にして、演じる部分も多分にあったと思うのだが、今はやり過ぎたあげく、ほぼ完全に地になっている。若い頃から老け役を演じてきた殿山泰司や北林谷栄が、本当に老けてからますます老人役が板に付いてきたと感心させられる、あのおかしな倒錯感に近い。

3―ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング
上手のピアノに移っての演奏。恒例の、センターでの歌唱とキーボード、いったりきたりの始まりだ。

あくまでシロウト耳で言うけど……まあ、モタモタしていた。バンドの音が噛み合っているとはどうも思えない。前回のダイバーシティでの、踊りだしたくなってしかたない、あの粘っこい心地よさからは遠い。まあ、初日だしね。

4―ホワットル・アイ・ドゥ
またセンターに戻って。いよいよ、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲の日本初演奏。一言でいうと、すんなり。前からやっているような、手慣れた感じ。だったら「ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング」がモタモタしていたのはなんだったんですか、という。

5―デューケイン・ホイッスル
上手のピアノに移って。これが、驚くほどヨレた演奏だった。最初はオーチャードホールの設備を疑ったぐらい、イントロのギターが濁って聴こえる。バタバタッと始まるのだが、ディランがキーを高くして歌ってしまっているのか、バンドの音と合っていない。「ディランはライヴのたびに変わる」にしても、スイングしなければもともと作る意味の無いタイプの曲だし、耳障りにすら感じる、なんてのはもう、以前の問題だ。

それでも、間奏を挟んでの後半は持ち直してくる。演奏の途中でバンドのほうがキーを合わせるなどの修正があったかな。ここらはなにぶん、シロウト判断なので音楽やっている人の意見お聞きしたい。
しかし、ライヴの定番曲、セットリストの中ではお客をノセる担当の曲、なのにヨレてしまう、なおかつ演奏しながら立て直せる、という点にジャムバンドの性質を持った現在のバッキングの、ヘンな凄みを感じた。

6―メランコリー・ムード
またセンターに戻って。これがまた、さっきまで何だったんだという位、レコードの小粋なフンイキ通りに。良かった。

7―ペイ・イン・ブラッド
帰りに、近くで年配の音楽業界っぽいフンイキの人が「『テンペスト』の曲は、どれも前回のほうが良かった……」と呟いていて。「デューケイン・ホイッスル」に関しては全く同感でしたね。ただし、「ペイ・イン・ブラッド」は、僕はのけぞった。ディランの来日公演伝説「歌詞を追ってようやくあの曲だと分かる」を久々に実感するほど、メロディが変わっている。

ダイアー・ストレイツの『ラヴ・オーヴァー・ゴールド』から『ブラザーズ・イン・アームス』に至る、80年代のメジャー・ロックの良心を支えたあのシリアスな曲調なのだ。フロントマンのマーク・ノップラーが当時、大化けしたのも、もとをただせばディランに抜擢されてプロデュースをつとめた経験を踏まえてのことで。
マーク・ノップラーがお手本にしている人、という情報からディランに近づいた順番の僕としては、ダイアー・ストレイツっぽい「ペイ・イン・ブラッド」なんて、とても嬉しいサプライズ・プレゼントだった。
レコーディング・バージョンは、いわゆる〈がんばれロック〉な、メジャー調のポジティブなリズムに乗って「私は代償を血で支払う。しかしそれは私の血ではない」とひたすら不穏に歌う落差が妙味だった。シリアスなメロディで歌うと、これはこれで凄い。ライヴで育つ名曲、の新たな誕生に居合わせたのかも。

1991年に「ライク・ア・ローリング・ストーン」の未発表ワルツ・ヴァージョンを聴いて驚倒して以来、『ブートレッグ・シリーズ』で僕等は散々、多くの曲に別テイクどころか、別メロディ・ヴァージョンが存在することを知ってきた。同時に、「どんな曲も1、2テイクしかスタジオでは演らない」と本人が言ってきたのは、食えないおっさんの眉ツバ、と本人自身のネタばらしによって楽しく呆れてきた。
つまり、『テンペスト』にも、どうしてこっちをOKテイクにしなかったの!?と仰天する録音が存在する、その可能性が現場で示唆されたのだ。わくわく。最低限、このアレンジでやる「ペイ・イン・ブラッド」は、いずれライヴでも音盤化してほしい。

8―アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー
『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲は、もともとが、フランク・シナトラ(など)の持ち歌に、ディランとバンドが合わせるというテーマなので、ライヴではガラッとは変らない。しみじみとするこの曲も、しみじみとするがままに。

9―ザット・ラッキー・オールド・サン
続けて、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲。前回のブログで「今回は歌謡ショーに出かけるつもりで」と書いたが、まさにそういう感じ。こういう曲では照明はもっと明るくして、それこそ五反田ゆうぽうとで演歌を聴く時ぐらいにしてもらっていい、とは思った。

なにしろ、『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲になると、お客さんの拍手も熱が入る。どれも、日本でナマで聴けるのは初めて、とよくわきまえてらっしゃる方々が、それだけ多いということだ。

10―ブルーにこんがらがって
さて、ここまで去年のツアーまでと(ほとんど)演奏曲が変らないなら、第一部の締めは「ブルーにこんがらがって」だろう。前回は、まさか70年代の代表曲、代表曲過ぎちゃって本人はあまり愛着がない発言をした時期すらあった曲をまさか、本当に演った……という思いで一杯一杯だった。

その分、今回は待ち構えましたよ。『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』収録曲を、申し訳ないけど、つなぎのように聴いてしまう位、気負った。さあバッチかかってこいや、サム・シェパードが『パリ、テキサス』の脚本を書いた時のヒントのひとつにした(に違いないと僕は、当時の交流関係から踏んでいる)、ある男の放浪の遍歴ってやつをとっぷり味わってやるぜカモン。

そしたら、ずいぶん小ざっぱりした、フシギな軽さのアレンジだった。ディランはこの曲で唯一、演奏の途中でセンターからピアノに移る。これまた、とっちらかった演奏の部類に入るかと思うのだが、曲が本来持っている明るさが前に出ると、こんなになるのか。よく分からないまま楽しかった。このアレンジも、音盤で確かめたいな。

20分間の休憩。
さっそくインターネットであがった情報によると、ディランは「アリガトー」と言ったらしい。よく聞いていなかった。

ロビーで、湯浅学さんを見かけた。お背中に向って両手をそっと合わせ、(ディラン聴きでは、いつもお世話になっております。僕はあなたのクセのある文章にとても、とても啓発されています……)と長寿と健康を祈った。


11―ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)
のんしゃらん、と始まる「ハイ・ウォーター」である。これまでのライヴ盤では、エレキが唸るブルース・ロックとして聴いてきたから、予想外で、しかもいい具合の「ハイ・ウォーター」だった。
上手奥でもっぱらペダルスティールを弾いていたサイドマンが、バンジョーを弾いている。これだけでずいぶん、曲のルックスが変わっているのだから面白い。

バンドの紹介は無かったのだが、ペダルスティールもバンジョーもいける、となると、まず間違いなくドニー・ヘロンだ。
グランジを通過した上で正調カントリーをレパートリーにする、かっこいいオルタナ・バンド、BR5-29のメンバー。昔でいうと、パンクを通過した上でロカビリーを演るストレイ・キャッツや、アイルランド民謡を演るポーグスみたいな存在ね。ところがディランに勧誘されたもんだから、こっち優先にして自分のバンドの活動は停止中にしちゃってる……という、愛い奴。今度、BR5-29のCDを見つけたら、ぜひ買ってあげねば。
ディランのバックでバンジョーを弾く、確かにこれはミュージシャン冥利か。

12―ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ
そしてもはや安定、の『シャドウズ…』収録曲。今、部屋に戻ってから、もう少し集中してスタジオとの違いを検討しとくべきだったな、と惜しく思っているが。気張らず楽しめる歌謡ショーの中の1曲というおさまりなので、なんとなく楽しんだ、でいいのかもしれない。

13―アーリー・ローマン・キングズ
後半初めてピアノに座って。ここらへんで気付いた。『シャドウズ…』収録曲が多めになった分、他の曲も全体に軽目というか、強くない演奏になっている。これなんか、チェス・レコードでおなじみのリフに当てて作った曲なんだから、ライヴではさらにゴリゴリ……のベクトルになるはずなのだが、ヒラヒラした感じ。
今後、だんだんオミット候補になるのか。それとも「ハイ・ウォーター」のように、軽く演奏してもキマる「アーリー・ローマン・キングズ」が練り上げられていくのか。

14―ザ・ナイト・ウィ・コールド・イット・ア・デイ
いっそ律儀な位、『シャドウズ…』収録曲とこれまでの定番曲は交互に披露される。ふつうの歌謡ショーなら「ここでスタンダードソングの名曲を……」と、数曲まとめてのコーナーになるので、やはりそこは、さすが腕利きが集まったロックバンドだ。
ディラン自身の、オリジナルとカバー曲をそんなに区別して考えてはいない。なぜなら、自分の曲も大抵は諸先輩方のメロディを踏まえて作っているからだ、という発言の実証を聴かせてもらっている現場、それがライヴだ、ということでもある。

自分の中での最優先は詞で、どんな古来のメロディが似合うのかを考え、調整していく。ディランが割とあちこちで発言している〈つくりかた〉だが、特に活き活きとしゃべっているのが、『現代思想』2010年5月臨時増刊号「総特集ボブ・ディラン」(青土社)で訳が紹介されているインタビューだ。
ここでのディラン、ギターでバーリンの「ブルー・スカイ」をつま弾きながら、

「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」?ああ、あれはチャック・ベリーだよ。「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」。

などと、面白すぎるタネあかしを連発している。

15―スピリット・オン・ザ・ウォーター
あくまで初日の、僕の印象ですが、後半のハイライトはこれかな。『モダン・タイムズ』からの唯一のセットリスト入り曲。

実は、『ラヴ・アンド・セフト』のあたりからずっと、〈スイングする曲を演るディランが好きになれない〉問題に悩まされていた。そういう音楽ジャンル自体は、嫌いではない。つうか、映画好きが(MGMミュージカルに一度でも心を動かされたことのある人間が)アメリカン・ポピュラー・ソングやジャズ・ヴォーカルを好むな、というほうがムリな話だ。でも、なにか、しっくりこない、そのアレンジでいいのか?といつも思ってきた。

だから、『シャドウズ…』は本当に嬉しいアルバムだった。バンドで出来るアレンジにして、本家を大事にする意識からか、ガラガラ声でスタンダードを歌う異化効果狙いも抑え目に、メロウな歌い方になっていて。
ライヴの「スピリット・オン・ザ・ウォーター」は、その延長の上で、豊かさ、柔らかさが増している。これもまた、いいライヴでの育ち方をしている。

ディランの歌に被さり、追いかけるギターの助奏が『モダン・タイムズ』よりも前に出ていて新鮮。これまた、キッチリと固まった演奏ではない。前半「デューケイン・ホイッスル」の(あれれ……)とヒヤヒヤした、不安なスリリングさとはいい意味で逆で、ジャム・バンドの融通無碍な強みを堪能しました。スランプ期のディランが、グレイトフル・デッドのメンバーになりたいと正式に頼んだ(そして正式に断られた!)逸話まで思い出しちゃった。

ソロというより、他の音が重ならない時間帯がたまたま長くなったって感じだろう、ディランのピアノがよく聴こえる。これが相変わらず、うまいのかヘタウマなのか、僕にはよく分からないざっくばらんな弾き方なのだが、ニーナ・シモンみたいに聴こえる瞬間があって、それがとても嬉しかった。
ああいう音色を、彼女がベツレヘムでデビューした頃のレコードで、僕は確かに聴いたことがあるのだ。
「ジャズだけじゃなく、フォークからも多くを学んでいます」をまだ小出しにしている頃のニーナ・シモンの、ギターの代わりのつもりで鍵盤を叩くとこうなります、みたいな。ああいうピアノをディランが弾くところを見られたなんて、楽しいなあ。こういうダラダラ演奏なら、ずっと続けていてほしかった。

ひいき目だが、終わって立ち上がり、またセンターに戻る時のディランが「どうだ」って感じだった。

16―スカーレット・タウン
17―オール・オア・ナッシング・アット・オール
18―ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ
あんまり好きじゃないディランの曲ランキングで上位だった「スピリット・オン・ザ・ウォーター」にカンゲキできた、和解の喜びの余韻で、せっかくの後半なのに、しばらく淡々と聴いてしまった。もったいない。

「ロング・アンド・ウェイステッ ド・イヤーズ」は、前回はこれがハイライトだぞ、と決めてかかるような気迫を感じたのだが(今回は全体に軽みを重んじた演奏なのもあってか)、割とあっさりしていたように思う。それはそれで、この曲に合っている。

しかし、「オール・オア・ナッシング・アット・オール」はなあ、もっとガッチリ集中すべきだった。僕はフランク・シナトラのレコード、CDを4、5枚持っている程度だが、その中ではこの曲を50年代に歌ったヴァージョンがかなり好きなのだ。それをディランが歌っているのを直接聴く有難味。味わい逃してしまったのう。

19―枯葉
いや、「ロング・アンド・ウェイステッ ド・イヤーズ」が淡白に聴こえたのは、これがフィナーレになったからかもしれない。ボブ・ディランが「枯葉」を歌う、しかもそれがライヴのトリになるんですよ、とタイムマシーンに乗って20年前、30年前の中村とうようさんや菅野ヘッケルさんにお伝えしたい。どんな顔をなさるかな。

『シャドウズ…』は、レコードは通過点の記録に過ぎない、といつも考えている節のあるディランが珍しく、たいへん満足のいくレコーディングだったと発売前から発言しているアルバムだ。実際、歌い出す前のリップノイズでさえ生々しく、艶めいて聴こえる。そういう聴き込み方をさせるディランのアルバムは珍しい。まさに「歌手」のレコードだ。

その分、ライヴではこの先、レパートリーとして定着するかどうかは微妙だ、とも思っている。レコーディングで完成したものが出来た、とディラン本人が思っているのならば、飽きるのも早いんじゃないかと。
しかし、今は、わざわざ「枯葉」をロックバンドの編成で歌うことがディランのリアルなのだろう。

もちろんシナトラの「枯葉」も大好きだけど、ディランがね、これがまた味わい深く歌ってくれるんだ。伸びが必要なところは(失礼な言い方だけど)、がんばって伸ばして。今回の『シャドウズ…』収録曲の中には、ちょっとピッチが早いんじゃないか、と感じる曲もあったけれど、これは横綱相撲。ずっしりとスロー。
英語のヒアリング能力ゼロの僕でも、「オータム・リーヴス・オブ・レッド・アンド・ゴールド……」とハッキリ聴こえた。それだけ、ひとさまの歌詞を大切にし、噛みしめている。

絶唱、とまではいかない。でも、公演を重ねるごとに良くなり、そろそろ日本ツアーも終わりという頃には、「ディランが日本で歌った『枯葉』」が新たな伝説になる可能性は大いにあるなあ。
後半を狙ってチケットを押さえた方がうらやましくもある。ぜひ!楽しんでください。

(アンコール)

20―風に吹かれて
毎度恒例、そのつどリラックスした(ディランはこうあるべき型のファンを、その都度ふるい落とすのが狙いとしか思えない)アレンジでお届けされる、アンコールの「風に吹かれて」。

今回のは……えがった。先のドニー・ヘロンがなんと、ヴィオラを持つのだ。これでずいぶん、フンイキと質が変る。ヴィオラはバイオリンのでかい版、とざっくり捉えれば、スカーレット・リヴェラが参加していた頃のライヴ、《ローリング・サンダー・レビュー》のサウンドの、疑似追体験を出来たことになる。
アレンジそのものは、正直(前回、前々回と同様に……)あんまり面白いとは思わなかったが、ドニー・ヘロンの陰の大活躍のおかげで楽しかった。どうもありがとう。

21―ラヴ・シック
そして、いつ聴いてもユーウツになるこの曲でオーラスである。いつ聴いてもユーウツになるこの曲は、向こうではCMソングになったりグラミーの受賞式で歌ったりして、90年代屈指の代表曲なんだから仕方ない。
ディランの文才(対比法的に、本筋と関係ない話や印象を配置して意味を分散させ、奥行きを出す手法)は、失恋を綿々と歌っても文明の崩壊への警告なんかに通じちゃうから、いつ聴いてもユーウツになることがもはや僕の中でも有難味になってきた。

ライヴではこの曲、いいんだよね。ダニエル・ラノワの、霧の中のような模糊としたイメージを作る音響演出が再現できない分、締まった骨組の曲なのが分かる。もしも、この曲のテンポアップ・バージョンがあったら、僕は、ものすごく好みだと思う。


以上です。

オーチャードホールの前に立った時は、緊張で膝小僧が震える位だったのに、帰りは、実に淡々と帰った。新宿末広亭にしばらく入って、ひとしきり笑った後みたいな、スッキリ気分転換を終えた気持ち。
あんまり淡々と帰ったので、SS席特典のポスターをもらうのを忘れてしまった。

もはや僕の中では、ボブ・ディランの来日公演は、エンタテインメントでもなければ鑑賞でもないみたい。
似ている活動を考えたら、昔お世話になった先生のお宅に、菓子折りを持ってご挨拶に伺う。ああいう時に近かった。

もう何度も聞いた話をまた伺い、時には「えッ、昔のあの作品を今はそんな風に捉えてらっしゃるんですか。へえ……」という発見もあり。お疲れにならないよう、頃合いを見計らって2時間位たったら席を立ち。お別れしてから、さてさて、大事な用事は済んだぞ、と、ちょっとホッとした気分になり、ラーメンでも食って帰るか……みたいなさ。

でも、こういう定期的なご挨拶って、日常生活の中では、エンタテインメントや鑑賞よりも大切だったりするでしょう。

ディラン先生、また伺いますので。ごきげんよう。

 


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