ワカキコースケのブログ(仮)

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本の感想:『罪深きシリア観光旅行』

2024-02-09 02:59:08 | 日記


去年(2023年)の晩秋、産業編集センターから出版された桐島滋『罪深きシリア観光旅行』を最近になって読んだ。
主に前書きのところで書かれている通り、タイトルが屈折しているのには理由がある。とはいえ屈折度合いはやや強いので、大変な状況の国に物見遊山の気分で行くなんて……と非難の声が出てもおかしくない。お節介のようだが少し説明しておきたいと思った。





まず、中東とは全く縁がない僕自身の読後の復習のためにも、シリアについての基本的なことを、本の内容と外務省のサイトをもとにメモしておく。

正式にはシリア・アラブ共和国。西はレバノン、イスラエル、南はヨルダン、東はイラク、北はトルコと国境を接している。
共和制とはいえ、1970年代からアサド家による実質的な独裁体制が続いている。アサド家はイスラム教の宗派のなかでは少数派にあたるシーア派で、スンニ派のほうが人口は多いため、政府としては世俗主義、共生の立場をとり、それなりに安定していた。
しかし2011年、〈アラブの春〉がシリアにも波及すると、アサド政権は民主化を求める市民運動を激しく弾圧した。しかも運動に参加した人々を、スンニ派の過激派とみなしたため、宗教対立の感情が生まれてしまう。

西側諸国は反政府派を支援しようとしたが、反政府の側にも、穏健派から政府の弾圧に対抗するため武装化する勢力まであり、そこにアルカイダやイスラム国など本当の過激派勢力が合流してきたため、支援は中途半端なものになった。
一方のアサド政権側・シリア政府軍には、ロシア、イラン、イラクのシーア派民兵、レバノンのヒズボラなどが付き、国内に軍事介入し駐留するようになって、内政はどんどん複雑なものになった。

現在は、アサド政権が国土の多くを掌握して優勢が明らかとなり、シリア政府と各国の外交関係の正常化が進んでいる。
しかし北部に撤退した反政府勢力はまだ抗戦し、各国の軍隊も駐留を続けており、紛争解決とまでは言えない状態でいる。また、西側諸国の多くは、アサド政権が弾圧の時に市民に対して行った「人権蹂躙行為等」を理由に、関係正常化には慎重な姿勢でいる。

そんなシリアを訪ねるのは、著者の念願だった。著者はジャーナリストとして主に中東の取材を続け、レバノンに住んでいたこともある。そのレバノンで、10年以上も紛争の続く隣国シリアから逃れてきた多くの人と会い、友人となり、話を聞いていたからだ。
しかしアシド一家による独裁国家であるシリアに、ジャーナリストの身分で入国するのは難しい。なので、あくまで「観光」というテイにして、ガイドが案内してくれる、つまり外国人に見せてもよいとシリア政府が判断した場所だけを見て回ることになる。

ジャーナリストにとっては、あらかじめ手足を縛られたような制限だ。それでも、シリア政府の統治のもとで暮らす人達のようすを見ておくことはムダではない、と考えて著者はシリアを「観光」することに決める。忸怩たる思いや、やましさめいたものを感じながらのことなので、こういうタイトルになっている。

だからといって、著者はのんびりガイドの案内のまま見物したわけではない。
いや、正確には、もっぱらガイドの案内のまま見物はしているのだが、そこに無自覚な旅行記であれば結果的に、アシド政権を多くの市民が支持している(形になっている)シリアの現在のPRにつながることをよく分かっている。
むしろ、見せてもらえる街の賑わいや遺跡の静けさ、人なつこい市民の声の裏にあるものを、ガイドが教えてくれることの裏の裏にある真意を、過敏なほど常に探っている。

しかも筆者は、紛争が始まった後のウクライナを取材したばかりだ。2022年の春、ロシア軍が立ち去った後のキーウ近郊ブチャに入り、何人もの民間人の死体が道端に放置されていたのを見ている。ロシア軍の行いに批判的な記事を書いて、日本の媒体で発表している。
シリア政府はかなりの親ロシアなので、そんな筆者の素性が知れたら、たちまち拘束され尋問される可能性は少なくない。拷問を受ける場合だって覚悟しなければならない。
ガイドは親切だが、自分のいないところで政府側と連絡を取りあい、自分のことを逐一報告されている可能性は大きい。それに、常に監視されていると思っていて間違いはない。
つまり「観光」といっても、丸腰の、ひとりだけの日本人女性にとってはかなり過酷な、神経の磨り減る数日間を著者は過ごしているのだ。

実は僕、著者のことを、ペンネームではない本名のほうで知っている。一度お会いして話を聞く機会があり、その後は何度かメールやzoom越しで。
本人の印象も踏まえて言うと、著者らしい本だな……と感じた。見聞したものごとを言葉にするまでに、とても慎重な人なのだ。特ダネ、スクープ的な事象をパッと掴むよりも、なぜその事象が起きたかをよく考えるほうが向いている、思考を粘らせる才能があるというか。

その著者らしさが、観光客の視点のみでしかシリアを見聞できない条件を逆手にとった、この本の異色な、文芸的な面白さにつながっている。
シリア人はフレンドリーだが慎重。国家間の直接の敵対関係にはない日本からの観光客相手であっても雑談以上の踏み込んだ話題はしたがらないし、著者自身も立ち入った質問はしにくい。誰が政府の工作員か分からないからだ。
そんな制約から、独裁政権下の市民の言葉にできない感情、空気をあぶり出そうとしている。異色とは書いたが、ルボルタージュ(現地報告)のアプローチとしてはかなり正統と言えるかもしれない。

著者はもともと映像畑でキャリアを始めていて、僕が会ったのは彼女が若手の新進ディレクターだった時だ。いろいろ話を聞いているうち、僕はついまじまじと「書くことに興味は? もしかしたら書くほうが向いているんじゃないですか」と質問した。
これに関しては、申し訳ない思いが胸の奥でずっと付きまとっていた。先述のように、言葉に対してとても慎重なことへの感心から、素直に口に出たのだったが。映像の仕事を続けようとする女性に対しては、かなり無神経だったなあ……と。

ところが、最近のメールのやりとりで、書くのに向いていると言われたことは励みになった、という意味のことを教えてもらい、とてもホッとした。そして、こうして初の著書を出すようになったのが嬉しい。
要するに今回のブログは、彼女を少しでも応援したい気持ちで書いている。

なので、ところどころで光る、ジャーナリストにふつう求められている以上の文才を味わってほしい気持ちもある。
ダマスカスの町歩きのあたりなどには、活き活きとした紀行文・旅行記を読む楽しさがある。“日本から来た人気のYouTuber”と勘違いされ、レストランのオーナーに熱心に撮影を頼まれてしまうあたりは、おかしくて笑った。ただそのコメディ的な状況も、ロシア・ウクライナ紛争をウクライナ側から取材したジャーナリストだと気付かれてしまう危険と隣り合わせだったりする。

いろいろと「観光」して著者は、反政府の過激派勢力だけではなく、シリア政府軍や、政府軍を支援する他国の軍も街や遺跡を壊したことを目の当たりにする。
刑務所のなかの、反政府の人々への拷問がいかに残酷かも知る。
〈アラブの春〉の影響で始まったのは、独裁か民主化かを市民達が選べるようになるための動きだったのに、政府が「イスラム過激派に対するテロリストとの戦い」だと規定し、弾圧を正当化したことで、もともと宗派の違いにはこだわりが薄く、共生が根付いていたシリア社会の風土は変わってしまった。著者はそのことについて深く嘆息している。

今の国際情勢は、歴史的に見ても大きなうねりの時期に直面している……のか、もうすでにどっぷり入っているのか、それとももっと大きなパラダイムシフトが待っていて、まだ前触れ程度でしかないのか、さえ分からない状態だ。
これを読んで、ぜひシリアの今を知るべき! とまでは人には強く勧められない。それよりもロシアとウクライナの歴史観に基づいた主張がなぜこうも食い違うままなのか、イスラエルとパレスチナの激しい憎悪対立の原因は何かを誰もが明解に説きにくいのはなぜか、のほうを知ることが先決だろう? と言われたら、返事はしにくい。

せめて僕はこの本を読んで、事象と事象はつながっているものだと改めて実感できた。





読んでいる途中の1月28日、ヨルダン北東部にあるアメリカ軍基地がドローン攻撃を受け、米兵3人が死亡した。
アメリカ政府はヒズボラなどの連合による親イラン組織による攻撃だと断定した。昨年(2023年)秋にパレスチナでの戦闘が始まって以降、ハマスへの連帯を示す親イラン組織による、イラクとシリアに駐留する米軍への攻撃が再三続いていたからだ。
そして2月2日、米軍は、イラクとシリアにある彼らの複数の拠点を空爆した。

イランもヒズボラも、シリアの独裁政権を支援している。それにシリア政府もイランも長年、イスラエルとは敵対関係にある。そのイスラエルの大きな後ろ盾となってきたのがアメリカだ。

こんなかたちで、急にシリアが世界的なトップニュースの舞台になる。つながっていると分かるほど、中東の情勢は複雑でややこしくなる。把握することはとても僕にはできない。どっちの国が良いか悪いかと判断を急いで決めつけるのは危うい……とだけ察せられるのみ。

「私の書いたこの記録だけでは、シリアのことはわからないと思う」
『罪深きシリア観光旅行』のあとがきで、著者は書いている。しかしこの本で書かれている著者の見聞や体験は一貫して、シリアの現政権やどこかの勢力を強く支持する人の明快な言葉や説明に興味を持っていない。
「ただ現状を知りたいと思っているだけ」(108頁)の人にとって、こっちが正しい、向こうが悪い、と強く言い切る言葉はまるで魅力を持たないのだ。

……と、書き終えたなと思ったところで、同じ本を書評している「たきーし」さんのnote(2023年12月3日更新)を読んだ。https://note.com/sakura2023/n/n3d2a25a0e9d1

『罪深きシリア観光旅行』の内容を理解するにあたって押さえておきたいことが幾つも幾つも、実に端的に書かれていた。
それもそのはず、たきーしさんは、シリアの紛争が激しかった時期の取材で知られる桜木武史氏のハンドルネームだった。著者も桜木氏の本を参考文献としてあげている。
自分の感想が恥ずかしくなってしかたない。アップしないでおこうか……とも考えたのだが、僕のような門外漢が読んでもいい本だと書いておきたくなったことにも、何がしかの価値はあるはずと思いたいです。



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