シニグについて原稿を書かなければならない。
町誌に書かれている事柄を吟味していった。
聞き取り調査がもとになっていることがわかってきた。
実際にやった人が書いているわけではないし、
ある特定の人から聞いたことが
語り継がれて
書き写しを引用してきたことがわかってきた。
クヌパナ(ウガン)御嶽の神籠りついても、
言い伝えと実際を行った方(昭和生まれ)のからの聞き取りであった事がわかった。
戦後に復活した後のことであった。
考古学の調査物から見えてきたものがあって、
もう一度考え直そうと思っている。
私なりの仮説をたてて、
論述していきたいと考え始めた。
シニグの祭主は土地の持ち主であることが多い。
後を継ぐ者がいなかった場合は
新たに祭主をたてて
拝みを続けなければならないこと、
拝まなければ、
近親者に不幸がおこることなどから、
継承者を決めるために
いろんなことがあったようである。
語りたくないこともあってか、
聞き取りには慎重にならなければならないし、
語る人の主観がはいることも考慮して聞き取らなければならない。
クヌパナウガンについてもそのことを考える。
私も一度ここについては
聞き取り調査をした経緯があるので、
もう行われてはいないが、
もし
当時の様子を再現するならば
自分で神籠りしてみるのもどうだろうか。
写真を撮りながら
ふと
そう思った。
先ほど
良くない夢見で起きてきた。
今年はシニグ年なので方々から調査が来ると思われる。
案内をする予定にしているが、
行われなくなっているシニグについてこそ、
今のうちに調査しておく必要があるように思う。
それが
夢のお告げだと感じたので記録しておこう。
神籠りする空間が
現代では
こんな空間ではないだろうか。
昭和55年の雑録を読みながら寝いったせいでもある。
ヴァルカンの夢を追いかけていた頃の記録である。
奇岩城の洞窟の中に愛人を連れ込もうと思っていた。