田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

護佐丸(ごさまる)と与論島

2016-06-02 03:49:56 | 日記

 沖縄史での政変は、ただちに与論島に影響を及ぼしている。
親子島と言われる所以ある。



 沖縄が、南山・中山・北山と三山に分立した時代の末期、
与論は北山の支配下にあり、与論世の主は、オーシャンであった。



 中略

 連合軍の読谷山按司というのが護佐丸である。
北山の出城であった与論城に、まもなく今帰仁城陥落、オーシャンの父である
ハクアチの自刃の朴報が入った。
オーシャンもあえなく自刃したという。



 護佐丸の子孫の足跡から与論とのつながりが見えてきそうな記述に出会った。

豊見城市の隣、八重瀬町にハナグスクと言う地名があるそうだ。
郷土研究会の28年度計画に沖縄への研修旅行があり、
希望者を募って実施することになった。



なるべく早いうちにすませておきたい。
できるだけ年内には実施したい。



総会は盛会でした。
立ち上げてからもう何年になるだろう・・・・。
規約を検討したこと等思いだされる。
やってよかた。



 教え子の現教育長から 前前教育長へ



 現教育長は私の同窓生で
 小学校から高校までいっしょだった。
 今でも良きライバルだ。
 与論献奉を進化させようと話し合っている。
 
 百姓と呼ばれて、
 文化人の仲間入りがしたかったが、
 もうそろそろそうなれるであろうか・・・。



 町誌の追録の課題が待っている。
 明日は出張のついでに県立博物館に寄って
 頼みごとをしてきたい。
 動植物の未記録の調査。
 

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