大学生の頃の僕は典型的な旅ライダーでした。
普段の足として、通学にもアルバイトにも彼女(今の奥さん)とのデートにも、いつもカワサキのZ750FXに乗っていましたが、(今でもガレージの奥に当時のままのFXがいます)
タイヤはオフロード用のブロックを履いていましたし、大学が休みになると貯金を握りしめてオートバイにまたがり、ひとりで北海道行きのフェリーに乗ってしまう、そんなオートバイ青年でした。

パリ・ダカールラリーには、強く憧れました。
もう、どうしようもないくらい。
血が沸き立つ、っていうんでしょうか。
通学のときに通る夙川の坂道をFXで駆けあがりながら、頭のなかにはパリダカのテーマが、ガンガン、ガンガン・・・。
どうしようもないんです。
いつだったか、苦楽園(西宮市)のあたりだったと思うのですが、偶然BMWのR100GSパリダカに、実際に出会ってしまった。
いや~もう、カッコよくて・・・。

それから何年後だったか、30歳目前の僕はついに念願のパリダカオーナーになったんですが、
ガレージのなかで、なでなでするばかりの生活。
「なんか違うんじゃないか。」
オートバイだけ所有していても、心も体もモーリタリア砂漠を激走しているわけじゃない。
物欲は満たしたけれど、僕はただの醜い豚。嫌なやつだ。
青いな俺。
結局、ろくに乗らないまま3年ほど前にR100GSパリダカは手放してしまいました。
1991年のパリダカールラリー 浜田麻里 Nostalgia
それなのに、
なんでしょうかね、僕は今でも血が騒ぐんです。
目頭にもグッとくるものが沸き上がってくる。
相変わらず、青いな俺。
みなさんは、いかがですか?
普段の足として、通学にもアルバイトにも彼女(今の奥さん)とのデートにも、いつもカワサキのZ750FXに乗っていましたが、(今でもガレージの奥に当時のままのFXがいます)
タイヤはオフロード用のブロックを履いていましたし、大学が休みになると貯金を握りしめてオートバイにまたがり、ひとりで北海道行きのフェリーに乗ってしまう、そんなオートバイ青年でした。

パリ・ダカールラリーには、強く憧れました。
もう、どうしようもないくらい。
血が沸き立つ、っていうんでしょうか。
通学のときに通る夙川の坂道をFXで駆けあがりながら、頭のなかにはパリダカのテーマが、ガンガン、ガンガン・・・。
どうしようもないんです。
いつだったか、苦楽園(西宮市)のあたりだったと思うのですが、偶然BMWのR100GSパリダカに、実際に出会ってしまった。
いや~もう、カッコよくて・・・。

それから何年後だったか、30歳目前の僕はついに念願のパリダカオーナーになったんですが、
ガレージのなかで、なでなでするばかりの生活。
「なんか違うんじゃないか。」
オートバイだけ所有していても、心も体もモーリタリア砂漠を激走しているわけじゃない。
物欲は満たしたけれど、僕はただの醜い豚。嫌なやつだ。
青いな俺。
結局、ろくに乗らないまま3年ほど前にR100GSパリダカは手放してしまいました。
1991年のパリダカールラリー 浜田麻里 Nostalgia
それなのに、
なんでしょうかね、僕は今でも血が騒ぐんです。
目頭にもグッとくるものが沸き上がってくる。
相変わらず、青いな俺。
みなさんは、いかがですか?
コメントがついて、久しぶりに読んで、パリダカールラリーのVをみて、やっぱり血が騒いでしまったOZAKIです。
五感が沸き立つ、いいですね。
オートバイに乗ると、気持ちがきりりと締まります。
よく眠れるし。
最近のボクは仕事とストレスとのバランスを、オートバイがうまく整えているような気がしています。
たまに、
「何やってんだ俺、老後みたいに」って思うこともありますが。
地平線の向こうに、走り去ってみたいですねー。
ワタシも目いっぱい青いです~
か細い手足でバイクの押し引き四苦八苦、
足がほんとうにガクガク震える歳になっても。
体調が多少悪くても、バイクにのれば風の甘さで
五感がわきたつときがあります。
W3と二人きり、ずっと一緒にどこまでも
行きたくなります~。