さて、新居浜の別子銅山・東平地区の見学を終えた私は、
当銅山最後の坑口となった筏津(いかだづ)坑跡地を見学して(昭和48年まで稼動)
旧別子山村→県道6→国道319経由で伊予三島に出てそのまま帰路に就く予定にしていたのですが、
微妙に時間に余裕があったので高知の早明浦ダム経由で帰ることにしました。
こちらは別子ダム
↓
この別子村から高知県大川村役場あたりに抜ける道、地図の上では確認していたのですが、
地図上で眺めるのと実際に走るのとではやはり違いますわぁ。
侮るなかれ四国の山道ですな。
昨日アップした写真の通り、高度を上げるにつれて日陰部分にはかなりの残雪が・・・。
数台のバイクとすれ違いましたが安否は確認してません。
この道のほぼ中間地点、愛媛と高知の県境ですが、こんな林道がありました。
↓
「大座礼山(おおざれやま)」の登山口が近くにありました。
数キロほど走ってみましたがアクティでは無理ぽくなってきたところでUターンしました。
道中、他にも数本林道がありましたが全て「住友金属所有」という看板が掲げられていました。
オフローダーのためにも是非開放してもらいたいですねぇ。
ということで、なんとか無事に山を越え辿り着いたのが高知県の大川村役場あたり。
早明浦ダム湖は満水ですな。
↓
さて、ここからどこを経由して帰ろうかと考えたのですが、
ふと思いついたのが坂本竜馬が脱藩した時に通ったとされる土佐北街道。
結論から言いますと超激しい道でしたわ。
高知道の大豊インターあたりから突入したのですが、
立川の番所あたりまでは快適なワインディングロードだったのです。
(国の重要文化財、立川番所)
↓
しかし、ここを過ぎるとオフロードバイクでも避けたくなるような急坂、クネクネ道が延々と続くのですわ。
結局、高知道の新宮インターあたりまでしか走りませんでしたが、すれ違ったのは山菜を取りにきていた老夫婦の車のみでした。
↓
はるか眼下に高知道
↓
はぁ~あ、疲れました。
でも一晩明けると、また行きたくなるんですよ、四国へ・・・。
へんなおっちゃんですね。
(完)
当銅山最後の坑口となった筏津(いかだづ)坑跡地を見学して(昭和48年まで稼動)
旧別子山村→県道6→国道319経由で伊予三島に出てそのまま帰路に就く予定にしていたのですが、
微妙に時間に余裕があったので高知の早明浦ダム経由で帰ることにしました。
こちらは別子ダム
↓
この別子村から高知県大川村役場あたりに抜ける道、地図の上では確認していたのですが、
地図上で眺めるのと実際に走るのとではやはり違いますわぁ。
侮るなかれ四国の山道ですな。
昨日アップした写真の通り、高度を上げるにつれて日陰部分にはかなりの残雪が・・・。
数台のバイクとすれ違いましたが安否は確認してません。
この道のほぼ中間地点、愛媛と高知の県境ですが、こんな林道がありました。
↓
「大座礼山(おおざれやま)」の登山口が近くにありました。
数キロほど走ってみましたがアクティでは無理ぽくなってきたところでUターンしました。
道中、他にも数本林道がありましたが全て「住友金属所有」という看板が掲げられていました。
オフローダーのためにも是非開放してもらいたいですねぇ。
ということで、なんとか無事に山を越え辿り着いたのが高知県の大川村役場あたり。
早明浦ダム湖は満水ですな。
↓
さて、ここからどこを経由して帰ろうかと考えたのですが、
ふと思いついたのが坂本竜馬が脱藩した時に通ったとされる土佐北街道。
結論から言いますと超激しい道でしたわ。
高知道の大豊インターあたりから突入したのですが、
立川の番所あたりまでは快適なワインディングロードだったのです。
(国の重要文化財、立川番所)
↓
しかし、ここを過ぎるとオフロードバイクでも避けたくなるような急坂、クネクネ道が延々と続くのですわ。
結局、高知道の新宮インターあたりまでしか走りませんでしたが、すれ違ったのは山菜を取りにきていた老夫婦の車のみでした。
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はるか眼下に高知道
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はぁ~あ、疲れました。
でも一晩明けると、また行きたくなるんですよ、四国へ・・・。
へんなおっちゃんですね。
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