「古きをたずねて新しきを知る」という精神の元、本日は四国へ社会見学へと行ってきました。
訪れたのは愛媛県新居浜市の別子銅山あたり・・・。
「あたり」という表現はあまり使いたくはなかったのですが、
あまりにも範囲が広すぎて・・・。
今回、初めから車で出かけることに決めてはいたのですが、
瀬戸中央道に乗ってからバイクの姿を見かけるわ見かけるわ・・・、
ちょっと後悔しましたねぇ~。
BMWのGS軍団にもすれ違いました。
ハーレーも売れているけどGSも売れているなぁ~。
自宅を午前7時半くらいに出発して2時間ほどで道の駅「マイントピア別子」へ到着。
ここはそれほど注目する遺跡はなく(あまりにも綺麗に整備されすぎている?)、
私の目に留まったのはこの水力発電所くらいでした。
明治45年完成らしいですわ。
↓
ということで、足早にここを出発して次なる目的地、「東平(とうなる)」地区へと車を進めました。
途中、こんなループ橋もありました。
短い距離で標高を稼ぐのには欠かせない建築物ですわな。
↓
こちらは県道47号線から「東平」への入り口
正面の山には雪が・・・
↓
で、この入り口を入るやいなや、まことに細くてクネクネ続く道、道、道・・・。
この先に本当に目指すものがあるのか、、、?
ありました、ありました、「東洋のマチュピチュ」がありました。
最盛期(大正5年~昭和5年)にはこんな山奥の小さな限られた場所に4000人ほどの人たちが暮らしていたそうですわ。
ご関心を持たれた人はネットで調べてみてください。
なかなか奥が深いですよ。
以下、写真を列挙しますね。
資料館
↓
坑内から搬出された銅の鉱石を貯蔵する施設、「貯鉱庫」です。
↓
こちらは資料館の展示物
↓
さて、それではそろそろこの長い石段をあがって次なる目的地へと進みましょうかね。
(予告)
前述の長い石段をあがって汗ばんだ私を待っていたのは、
な、な、なんと真冬を思い出させるような雪道だったのであります・・・
(つづく・・・)
訪れたのは愛媛県新居浜市の別子銅山あたり・・・。
「あたり」という表現はあまり使いたくはなかったのですが、
あまりにも範囲が広すぎて・・・。
今回、初めから車で出かけることに決めてはいたのですが、
瀬戸中央道に乗ってからバイクの姿を見かけるわ見かけるわ・・・、
ちょっと後悔しましたねぇ~。
BMWのGS軍団にもすれ違いました。
ハーレーも売れているけどGSも売れているなぁ~。
自宅を午前7時半くらいに出発して2時間ほどで道の駅「マイントピア別子」へ到着。
ここはそれほど注目する遺跡はなく(あまりにも綺麗に整備されすぎている?)、
私の目に留まったのはこの水力発電所くらいでした。
明治45年完成らしいですわ。
↓
ということで、足早にここを出発して次なる目的地、「東平(とうなる)」地区へと車を進めました。
途中、こんなループ橋もありました。
短い距離で標高を稼ぐのには欠かせない建築物ですわな。
↓
こちらは県道47号線から「東平」への入り口
正面の山には雪が・・・
↓
で、この入り口を入るやいなや、まことに細くてクネクネ続く道、道、道・・・。
この先に本当に目指すものがあるのか、、、?
ありました、ありました、「東洋のマチュピチュ」がありました。
最盛期(大正5年~昭和5年)にはこんな山奥の小さな限られた場所に4000人ほどの人たちが暮らしていたそうですわ。
ご関心を持たれた人はネットで調べてみてください。
なかなか奥が深いですよ。
以下、写真を列挙しますね。
資料館
↓
坑内から搬出された銅の鉱石を貯蔵する施設、「貯鉱庫」です。
↓
こちらは資料館の展示物
↓
さて、それではそろそろこの長い石段をあがって次なる目的地へと進みましょうかね。
(予告)
前述の長い石段をあがって汗ばんだ私を待っていたのは、
な、な、なんと真冬を思い出させるような雪道だったのであります・・・
(つづく・・・)
(4~5台のGSと国産大型バイクでした)
Uターンしたかどうかは確認してませんが、
ヒヤりとしたでしょうねぇ。
行ってみたいねぇ~
確か、朝来の近くにも似た鉱山跡がありました
そこには行ったことがあるんですがねぇ(^^)
別子銅山にハマりそうですわ、おいおいさん。
バイクで走りを楽しみ、
そして江戸、明治の先人の果たした業績を学ぶ・・・、なかなか意味深いものだとは思いませんか?
高山鉄道の名残りみたいなものもあるらしいので
、次回はそれを見てみたいと考えています。
ただ、足腰を鍛えなければ・・・