アメリカで中学までいた次男が帰国して日本の学校に行ってしばらくして言いました。 「日本の先生って文句ばっかり言う」と。 確かにいわゆる「カンファレンスー三者面談」に行くと、アメリカの先生は、親の私が照れるほどわが子を褒めまくるのが常でした。 長男の高校の面談では、 私がこっそり代わりに描いてやった宿題の怪獣のイラストがうまいと、ものすごく褒めて、 次は学校の機関紙にも描いてもらうとまで言われて、 母子とも心中冷や汗だったこともありましたっけ。 アメリカに比べると「めったに褒めない」日本の先生は子供には不思議に映ったのでしょう。
又次男は「なんで日本の親は自分の子を人前でけなすの?」といつも私が「うちの馬鹿息子が…」などと話していると後で抗議しておりました。 それは日本の「謙譲の美徳」と言うものだといっても納得できないようでした。 ほら、普通に愚息、愚妻って言うじゃありませんか! (あれっ、 でも愚親、愚夫は言わないわね)
ちょうどロスアンゼルスに居た時に大きな地震がありました。 テレビの報道は「いかに市民同士が助け合っているか、 いかに勇敢に献身的に救助隊員が活躍しているか」を繰り返し報道していました。 私がアメリカ人だったらその国民であることをさぞ誇りに思うだろうと思うほどでした。 そうまで褒められれば、素敵な市民であるしかないなと。 ジャーナリズムが人々をどっちに導こうとしているか、 しっかりとした意図が見えました。
しかし、あの9.11の直後、 ABCのキャスターの故ピーター・ジェニングス氏が、「なぜアメリカはこんなに嫌われるのか?」と発言して非難にさらされたというように、 裏返せば子供の頃から褒められてばかりのアメリカ人は「叱られること」には弱いのかもしれませんが。 でも彼に代表されるようにジャーナリズムには芯があるようですね。
新しい首相の組閣、所信表明がありました。 日本のジャーナリズムは概ね「論功賞内閣、 友達内閣」と非難気味ですね。 まだ何も始まっていないのですから「非難」からはじめなくても良い様な気がするんですが...。 どこに持ってゆきたいのかしら? 方向性のない非難、批判だけって言うのが時に日本のジャーナリズムにありませんか?
ケネディ大統領、 ブレアー首相はともに40代前半で就任、 私が応援する英国保守党の若き党首カメロン氏は当年39歳、 日本もようやく若きトップが生まれたのですから「褒めること」はあるのじゃないかしら? 褒めて育てるって大切。
でも、私も一言。 「美しい日本」って私のほうが「具体的」ではありませんか?
首相のはちょっとわかりにくいですよね。
私のはこれ。
コッツウオルズ
これも。
パリ
見た目も大切、ですよね?
又次男は「なんで日本の親は自分の子を人前でけなすの?」といつも私が「うちの馬鹿息子が…」などと話していると後で抗議しておりました。 それは日本の「謙譲の美徳」と言うものだといっても納得できないようでした。 ほら、普通に愚息、愚妻って言うじゃありませんか! (あれっ、 でも愚親、愚夫は言わないわね)
ちょうどロスアンゼルスに居た時に大きな地震がありました。 テレビの報道は「いかに市民同士が助け合っているか、 いかに勇敢に献身的に救助隊員が活躍しているか」を繰り返し報道していました。 私がアメリカ人だったらその国民であることをさぞ誇りに思うだろうと思うほどでした。 そうまで褒められれば、素敵な市民であるしかないなと。 ジャーナリズムが人々をどっちに導こうとしているか、 しっかりとした意図が見えました。
しかし、あの9.11の直後、 ABCのキャスターの故ピーター・ジェニングス氏が、「なぜアメリカはこんなに嫌われるのか?」と発言して非難にさらされたというように、 裏返せば子供の頃から褒められてばかりのアメリカ人は「叱られること」には弱いのかもしれませんが。 でも彼に代表されるようにジャーナリズムには芯があるようですね。
新しい首相の組閣、所信表明がありました。 日本のジャーナリズムは概ね「論功賞内閣、 友達内閣」と非難気味ですね。 まだ何も始まっていないのですから「非難」からはじめなくても良い様な気がするんですが...。 どこに持ってゆきたいのかしら? 方向性のない非難、批判だけって言うのが時に日本のジャーナリズムにありませんか?
ケネディ大統領、 ブレアー首相はともに40代前半で就任、 私が応援する英国保守党の若き党首カメロン氏は当年39歳、 日本もようやく若きトップが生まれたのですから「褒めること」はあるのじゃないかしら? 褒めて育てるって大切。
でも、私も一言。 「美しい日本」って私のほうが「具体的」ではありませんか?
首相のはちょっとわかりにくいですよね。
私のはこれ。
コッツウオルズ
これも。
パリ
見た目も大切、ですよね?