昨夜は西国立の友人宅の近くにある「無門庵」という懐石料理屋へいつもの仲間五人が集まった。五人といっても一人は私の夫で、去年逗子の美術館へ同行したことから今回もお誘いがあって仲間入りさせてもらったと言う次第。彼女達とは永年の間に私を通じて既に何度か顔を合わせたこともあるので、本人は何の抵抗もないどころか大喜びの参加である。適当に話好きなところが結構歓迎されているかもしれないと、勝手に思っている。
行く前に調べてみたら前身は日本軍将校の専用旅館であったが、その後立川飛行場からの出撃命令を待つ少年特攻隊のための旅館、また戦後は一転米軍兵の宿泊所となっていたともいう。 砂川事件の時の報道陣の取材拠点にもなったり、戦中、戦後と様々な変遷を重ねてきた旅館だったらしいが、一旦店を閉じて5年後(91年)、新たに懐石料理屋として復活したそうだ。佇まいもなかなか風流で由緒ありげである。茶室や樋口一葉の自筆原稿なども飾られているというギャラリーもあるし、ご亭主の趣味で、蛍や秋の虫の飼育もされていて、時季が合えば、観賞できるというのでそれも楽しみにして出かけた。
一人が少し遅れてきたが、やっと全員揃ったところで、話を聞くと我々が如何に頼りなくなっているかを確認した。外出慣れをしているし何事もテキパキと間違いのないしっかり者が、電車の乗り継ぎの際に間違いを重ねて時間に間に合わなかったという。もう一人はもっと酷い。日にちを間違えて前日に来てしまったと告白。彼女はクラス会の万年リーダー役で、これもしっかり者のはず。これでは皆私とあまり変わらなくなってしまったではないか? 齢のせいかとお互いに嘆息し合った。
美しく整えられた見事な懐石料理と日本酒で会話も弾み楽しいひと時を過ごした。食後案内されて庭に出ると玄関から門までの通路に幾つか虫籠が並べられていて、鈴虫、松虫、邯鄲(これの鳴声は聴けなかったが)などが涼やかに鳴いていた。また別に専用の小屋があって蛍を見せてもらう事ができた。小屋中を飛び回らせている訳ではなくて、何箇所かに纏めてあったが、実物がこれほど沢山点滅しているのを見るのは初めての経験だった。これまで飼育を続けてこられたのは大変なことだろう。成虫になるまでは蜷と言う貝を餌として与えるが、その後の餌は必要なく、ただ霧吹きで水分補給を怠りなくするのだそうだ。たった一週間ほどの命、それもこの時期だけ、そんな果敢ないものを運良く見せて貰えて本当に有難かった。
また来年も来てみたいと思わせるお店だった。夫も充分楽しかったらしく、帰宅してから私に‘この会がある時にはまた仲間に入れてね、’と頼んできた。
行く前に調べてみたら前身は日本軍将校の専用旅館であったが、その後立川飛行場からの出撃命令を待つ少年特攻隊のための旅館、また戦後は一転米軍兵の宿泊所となっていたともいう。 砂川事件の時の報道陣の取材拠点にもなったり、戦中、戦後と様々な変遷を重ねてきた旅館だったらしいが、一旦店を閉じて5年後(91年)、新たに懐石料理屋として復活したそうだ。佇まいもなかなか風流で由緒ありげである。茶室や樋口一葉の自筆原稿なども飾られているというギャラリーもあるし、ご亭主の趣味で、蛍や秋の虫の飼育もされていて、時季が合えば、観賞できるというのでそれも楽しみにして出かけた。
一人が少し遅れてきたが、やっと全員揃ったところで、話を聞くと我々が如何に頼りなくなっているかを確認した。外出慣れをしているし何事もテキパキと間違いのないしっかり者が、電車の乗り継ぎの際に間違いを重ねて時間に間に合わなかったという。もう一人はもっと酷い。日にちを間違えて前日に来てしまったと告白。彼女はクラス会の万年リーダー役で、これもしっかり者のはず。これでは皆私とあまり変わらなくなってしまったではないか? 齢のせいかとお互いに嘆息し合った。
美しく整えられた見事な懐石料理と日本酒で会話も弾み楽しいひと時を過ごした。食後案内されて庭に出ると玄関から門までの通路に幾つか虫籠が並べられていて、鈴虫、松虫、邯鄲(これの鳴声は聴けなかったが)などが涼やかに鳴いていた。また別に専用の小屋があって蛍を見せてもらう事ができた。小屋中を飛び回らせている訳ではなくて、何箇所かに纏めてあったが、実物がこれほど沢山点滅しているのを見るのは初めての経験だった。これまで飼育を続けてこられたのは大変なことだろう。成虫になるまでは蜷と言う貝を餌として与えるが、その後の餌は必要なく、ただ霧吹きで水分補給を怠りなくするのだそうだ。たった一週間ほどの命、それもこの時期だけ、そんな果敢ないものを運良く見せて貰えて本当に有難かった。
また来年も来てみたいと思わせるお店だった。夫も充分楽しかったらしく、帰宅してから私に‘この会がある時にはまた仲間に入れてね、’と頼んできた。