くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

蛍の館

2009-06-22 12:38:10 | 観る
昨夜は西国立の友人宅の近くにある「無門庵」という懐石料理屋へいつもの仲間五人が集まった。五人といっても一人は私の夫で、去年逗子の美術館へ同行したことから今回もお誘いがあって仲間入りさせてもらったと言う次第。彼女達とは永年の間に私を通じて既に何度か顔を合わせたこともあるので、本人は何の抵抗もないどころか大喜びの参加である。適当に話好きなところが結構歓迎されているかもしれないと、勝手に思っている。

 行く前に調べてみたら前身は日本軍将校の専用旅館であったが、その後立川飛行場からの出撃命令を待つ少年特攻隊のための旅館、また戦後は一転米軍兵の宿泊所となっていたともいう。 砂川事件の時の報道陣の取材拠点にもなったり、戦中、戦後と様々な変遷を重ねてきた旅館だったらしいが、一旦店を閉じて5年後(91年)、新たに懐石料理屋として復活したそうだ。佇まいもなかなか風流で由緒ありげである。茶室や樋口一葉の自筆原稿なども飾られているというギャラリーもあるし、ご亭主の趣味で、蛍や秋の虫の飼育もされていて、時季が合えば、観賞できるというのでそれも楽しみにして出かけた。

 一人が少し遅れてきたが、やっと全員揃ったところで、話を聞くと我々が如何に頼りなくなっているかを確認した。外出慣れをしているし何事もテキパキと間違いのないしっかり者が、電車の乗り継ぎの際に間違いを重ねて時間に間に合わなかったという。もう一人はもっと酷い。日にちを間違えて前日に来てしまったと告白。彼女はクラス会の万年リーダー役で、これもしっかり者のはず。これでは皆私とあまり変わらなくなってしまったではないか? 齢のせいかとお互いに嘆息し合った。

 美しく整えられた見事な懐石料理と日本酒で会話も弾み楽しいひと時を過ごした。食後案内されて庭に出ると玄関から門までの通路に幾つか虫籠が並べられていて、鈴虫、松虫、邯鄲(これの鳴声は聴けなかったが)などが涼やかに鳴いていた。また別に専用の小屋があって蛍を見せてもらう事ができた。小屋中を飛び回らせている訳ではなくて、何箇所かに纏めてあったが、実物がこれほど沢山点滅しているのを見るのは初めての経験だった。これまで飼育を続けてこられたのは大変なことだろう。成虫になるまでは蜷と言う貝を餌として与えるが、その後の餌は必要なく、ただ霧吹きで水分補給を怠りなくするのだそうだ。たった一週間ほどの命、それもこの時期だけ、そんな果敢ないものを運良く見せて貰えて本当に有難かった。

 また来年も来てみたいと思わせるお店だった。夫も充分楽しかったらしく、帰宅してから私に‘この会がある時にはまた仲間に入れてね、’と頼んできた。

映画「スラムドッグ$ミリオネア」

2009-06-21 16:43:30 | 観る
 「スラムドッグ$ミリオネア」は一口で言って大変な映画だった。何が大変といって、話の内容はもとより、その運び方のテンポの速さ、賑やかさ、スラムの風景そのもの、すべてが独特で圧倒された。アカデミーの部門賞を沢山取っただけのことはある面白さだった。あらすじは、スラム出身の少年がテレビ最大のクイズ賞に勝ち進み、最後の難問をクリアして初恋の人とも再会を果たすというハッピーエンドの物語である。

冒頭映し出されるスラムの風景は物凄い。人間はどんなところでも生きられるのだなと感心する。そんな所でたくましく成長する兄弟二人に様々な困難が降りかかるが、いつも兄の機転で難を逃れ、社会に放り出されてからもまた様々な苦労をして逞しく生き延びる。すべてに要領のよい兄のほうは結局悪人の手先のようなチンピラになって弟と別の世界に生きるのだが、最後はまたその機転で、命を張って弟を助けることになるのだが、それはこの物語のクライマックスとしてもっと後の話になる。常に弟思いの本当によい兄さんなのに、弟は兄を誤解したまま、ふとしたことで、テレビのクイズショーに出演することになる。

 彼は出される問題すべてに正解していく。 怪しんだ警察が、インチキがあるのではとショーがまだ終わってもいない段階だというのに取り調べのため少年を拘引する。それだけでも驚きなのに、何と電気ショックの拷問までして取り調べるのだ。結局彼に不正が無いと分かったので、クイズは続けられるのだが、生きるため働き通しで、教育も受けていないスラム出身の少年が何故? それがこの物語の見所なのだが、出される問題がことごとく今までの過酷な経験から導かれて既に答えを知っているものばかりだった。一つ一つの難問と、それに一致する彼の過去の経験が交互に映し出され、観客は納得する。

ところが最後の問題だけは彼の経験にはなかったので、そこから物語は行方不明だった恋人や、兄がらみのクライマックスに到達し、彼は自分のスラム時代のかすかな記憶だけを頼りに正解を勝ち取った。彼の口からいつも出てくる言葉は「運命」、それがこの話全体のキーワードになっている。この国には特に似つかわしい言葉だと思った。

 それにしても、クイズショーの出題側の人間が、答える側の人と一緒のトイレを使ったり、そこで一対一で話し合ったり、おまけにガセネタまでちらつかせてみたり、随分いい加減なものだ。それに警察の尋問風景など乱暴この上なく、実際にもこんなものなのだろうかと大いに疑問に思った。

 最後は映画の筋に殆ど関係なく、インド映画お得意のマスダンスで締めくくっているのがとても面白く、楽しい娯楽映画を観たという感じだった。

映画「真夏のオリオン」

2009-06-19 01:02:54 | 観る
 近くのシネコンで映画二本を観た。一つは「真夏のオリオン」。これは太平洋戦争の終結も秒読み頃の日米海軍攻防戦の中での一つの物語だ。

 終わりに近付く頃、隣で観ていた夫が涙を流していた。私も胸が熱くなった。それほど清々しい感動を呼ぶ好い映画だった。本土上陸を阻止するために配置された日本潜水艦と米駆逐艦の手に汗握るいわば一騎打ちを映しているのだが、戦争映画でありながら、両艦長の人間性を浮き彫りにしたヒューマンドラマにもなっている。特に玉木宏扮する倉本艦長の人物像が素晴らしい。映画製作者が当時の部下などから直接その人となりを聞いて参考にしたという実在の人物がモデルになっているそうだが、深海での極限状態にありながら冷静沈着、相手の先手、先手を読みながらの作戦に知力の限りを尽くす艦長としての力量に加えて、部下全員を思いやる温かい人柄は、人間兵器「回天」の乗務員として乗り組んだ若い兵士たちのハヤる心を「勿体無い」と抑えて、一台も出撃させる事をしなかった。それが飄々とした自然体の優しい口調ででなされるのがまた好い。 死力を尽くして戦い抜いた潜水艦がとうとう決定的な場面に至る時、この映画は敵の米駆逐艦の艦長が示す或る行動によって感動的なクライマックスを迎える。

 見終わった後で夫が、これと良く似た昔の映画の「眼下の敵」の話をした。アメリカの艦長がロバート・ミッチャム、ドイツ潜水艦のほうが、クルト・ユルゲンスと俳優の名前が出たところで私も思い出した。やはり感動的な名画だった。敵同士でありながら、死闘を繰り返すうちに不思議な友情と言うか、尊敬の気持ちが芽生えてくるところが同じだ。「真夏のオリオン」はやはりその映画を下地にしている事が後でわかった。‘あれも良かったがオリオンの方がより感動した’と言うのが夫の感想だった。

 これも後で分かったことだが、あの実在した潜水艦長の人物像だが、何もあの人だけに限らず、艦長たる者には共通の姿だったと言うことだ。確かに私は子供だったが、当時の日本の海軍にはそのような空気が感じられた。陸軍よりやや自由度が高く、紳士的であるとか。倉本艦長の部下に対するあの物言いなど、充分ありうることだったろうと納得した。

 兎に角、陸海に拘わらず、命令を出す立場の人物によって末の一兵に至るまで運命が決まってしまうのだから大変だ。とんでもない司令官を戴いていた為に、助かるはずの命をを無駄に捨てさせられた部隊の話を聞いたことがある。むごくて馬鹿げた戦争ではあるけれど、そんなさ中にこそ人間の出来がよりはっきりと現れるのではないかとこの映画を観てそんなことも思った。

 一時間のお茶をはさんで次に観たのはアカデミー賞の8部門を獲得したインド映画「スラムドッグ$ミリオネア」だが、その話はまた明日。

文化村へ

2009-06-09 23:58:55 | 歩く
久しぶりに、でもないか、雨の中を一人で渋谷文化村へ。第一の目的はトレチャコフ美術館の絵画展。4月から始まっているのでポスターや紹介を目にする度に何か郷愁感のような気持ちに駆られ、とうとう足を運んだ。1900年頃までの古いロシアの農村風景など知らないはずなのに何か懐かしさを感じるものばかりだった。巨匠レーピンの作品は確かに立派なものだったが、他の殆どは始めて聞く名の画家だったが、好ましい作品が多かった。それぞれ違う画家によって描かれた、トルストイ、ツルゲーネフ、チェホフの肖像画が同サイズで並んでいたが、私は執筆中のトルストイに一番目を引かれた。全体を通して、この展覧会の「忘れえぬロシア」というのはまさにピッタリの命名だと思った。  ル・シネマでは「レイチェルの結婚式」を観た。内容を知らずに観たが、これが結構見つけものの良く出来た映画だった。設定はアメリカの白人中流家庭で、薬物依存症の妹が姉の結婚式のため施設から一時帰宅してその忙しい数日間の家族とのからみの話なのだが、学者で美人の優秀な姉と、問題児の妹、離婚している両親との間の愛憎、依存症になった背後の事件など、傷つきやすい心理状態にある妹を中心に物語が展開している。  自宅で行う手作りの式だからその準備で家中大騒ぎ。沢山の人々も出入りする。姉の結婚する相手は黒人で、姉妹の父親の再婚相手もたまたま黒人なので、集まってくる親類や知人の人種も様々だった。しかしこの映画では人種問題などを一切取り扱おうとはしていないのがむしろ驚きで、アメリカには今やこんな問題は存在しないと言うことをアピールしているのかなと思った。  式の前夜に或る事件が起こり、車で飛び出した妹は軽い事故を起こしたが、その事のため気持ちが吹っ切れて、家族の絆を取り戻し、目の周りに青あざを作ったまま姉の結婚式に参列してまた施設に戻って行くと言うちょっと希望のある話だった。  まだ元気が残っていたら、あと一つ観たかった四川物語と言う中国映画があったので、まず家に電話して様子を聞いてからOKを貰ったのでユーロスペースへ行った。ところがその映画は今日が最終日で、それも三時に終わったと言う。がっかりしたが、ものはついでと、次の中国の新進若手監督の短編二本を見ることにした。  一つはさえない風体のコソ泥兼すりが捕まるまでの物語で、俳優は一人も使っていないリアリズム映画だった。時は1997年、舞台は地方都市なので全編を通じて殆ど灰色の印象、当時の中国の一般の風物や人々の日常生活の様子などを見るのは興味深かった。  もう一つは一転、明るい現代人の群像。同窓会に集まった中年に差し掛かる男女の過去と現在の関わり方をさりげなく暗示するだけで物語性もない本当の短編で、これは全く面白くなかった。

からすの啼き止んだ日

2009-06-05 23:45:57 | 歩く
この半月あるいはそれ以上我が家の上空は毎日烏が飛び交い朝早くから互いに呼び合う.その鳴声の騒々しいことと言ったらなかった。仕方ない。そもそも裏の自然公園の名が烏山なのだ。我々が来る以前からここの土地にずっと住み着いていたのだろうから。それにしても数が増えたのだろうか、今年は例年になく喧しかった。子そだての最中だったらしく、ゴミ出しの日はゴミ置き場の傍の電線高くいつも何羽か留まって、互いに連絡でも取り合っているのか、決まって何羽かが袋をつついてゴミを道路に散らかしまわる。足音高く近付いて脅してもギリギリまで逃げようともしない。 細かい目の防御網も余程しっかり張らないと、隙あらばすぐやられてしまう。
 
 ところが昨日、裏山でホーホケキョと鶯の鳴声がしてふと気が付けばあれほど喧しかったカラスの鳴声が全くしなくなっているのに気が付いた。子育て期間終了ということだろうか。庭に出ると白い蝶が一羽花から花へひらひらと舞って、それも一羽だけかどうか何べんも見かけた。おまけにウォーキングに出かけると下の歩道でもまるで私についてきたかのような白蝶が一羽飛び回っているのを見た。

 そして、くさぶえの道に入るとまたもや鶯の鳴声。しかも今度は立て続けに暫くの間そののどかな歌声を聞かせてくれたのですっかり嬉しくなってしまった。こんな事は今までにもあまり無かったことだ。一体何と言う日だったろう。

  家に帰ってその話をすると、同じその日夫も茨城でのゴルフ中継を観ている時鶯が鳴くのをたっぷり聴いたという。何でも5.1チャンネルとか言う立体放送だったそうで、マイクがあちこちの鶯を鳴声を拾って放映していたらしい。どうやら鶯や蝶はもっと春先のものとばかり思っていたのが間違いだったのかもしれない。

テレビ局での謎の現象

2009-06-04 23:29:30 | 験す
 先日のNHKスタジオの見学の際、二、三年前経験したある一つの不思議な出来事を思い出した。TBSの見学会に初めて当選して参加した時のことだ。一緒に行くはずだった夫の都合がつかず、私一人の参加だった。

 十数人の見学者と一緒にミキサー室はじめ幾つかのスタジオや大道具の置き場や、模型の制作室など局内をあちこち案内され、進行中の番組も一つ見せて貰ってから、多分最後だったと思うが、或る女性キャスターがレギュラー出演するスタジオに入った。そこはライトが明るく華やかにセッティングされたコーナーで、見学者はかわるがわるキャスターのデスクに座り各自写真を撮りあったりした。その日私はカメラを持参して行かなかったが、携帯にカメラ機能があったので、見学コースに従って何箇所か撮り、その部屋でも記念に一つと携帯を構えた。すると驚いた事にファインダーを覗くと映像が、すべて逆さまになっている。瞬間頭が混乱してしまったのだが、それまでは普通に見えたのだからこんな筈はないと携帯を持ち変えたり色々試みたがどうしても逆さまはなおらない。携帯で写真を撮る事にまだあまり慣れていない頃だったので、何処かボタンを押し間違えたのかもなどと考えてその場は諦めた。

 その次に進んだがそこはまだ元気だった筑紫さんの番組のコーナーで、一部だけ壁で仕切られている続き部屋になっていた。デスクのほかには片隅に大きな白いソファーが置いてあった。私は携帯が妙な具合になっているのも忘れて、そこでもまた無意識に携帯のファインダーを覗いてしまったのだが、不思議な事にもう逆さま映像ではなくてまともになっていた。その事を訝る間もなく、今度はもっと変なことが起きていた。それはその白いソファーの真ん中に何やら超小型の人間がチョコンと座っている。白いズボンの足をきちんと揃えていて、明らかに男性と分かる。細身で10~15cm位なのだから人形といってもよいのだが、どういう訳か私には人間に見えた。ソファーの上にそんなものは勿論いなかった筈なので慌てて見直すとやはり何も座っていない。でもファインダーを通すとはっきりと見えるので、携帯に何か付いているのかとこすってみたり、同じ事を何回も繰り返して見たが結果は同じだった。そこで時間を取り過ぎたために、他の人たちはとうに先に行ってしまっていたので、誰に確かめることも出来なかった。頭が混乱したまま取り敢えずシャッターを切って保存にしてみた。改めて画面を見直したら、確かにそのものは実際に写っていたのだ。

 家に帰ってからパソコンに取り込んでみると、携帯の画質が荒くて、どの写真も全くの不出来だったが、特にソファー上の小人はきちんと揃えた足元や姿勢はそのままながら、ファインダー越しに見た時より更に小さく不鮮明な写真だった。何人かの人に見せて大いに気味悪がられたが、あまり立派な証拠写真とは言えなかったかもしれない。ちゃんとしたカメラを買ったのはそのあとだったので、その事が返す返すも残念に思われる。

 このような超常現象は自分には全く無縁と思っていたので、一体あれは何だったのかと今でも不思議でならない。