くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

年末に

2008-12-30 18:41:42 | 験す
 とうとう今年も今日でおしまい。暮は暮で正月準備、年が明ければ息子、娘の家族全員が集まることになっているからその祝い膳の仕度と一通りは用意をしておかねばならない。年ふるごとにそれがいっそう億劫になってくる、それで私はお正月は嫌いと一応公言している。全く罰当たりな言葉なのだが、主婦を長らくやっているとついこんな事を言ってみたくなる。

 それでも30日から大体決まった段取りに従って、カーテン洗い、掃除、お飾り、おせち料理を作り始める。夫は例年通りに家中のガラス磨きをしてくれるのだが、やはり大分大変そうな様子で、そろそろその仕事は免除して上げなければと思うようになってきた。この数年来右腕にやや難ありなので、洗い上げた自室のカーテン二枚を吊り下げるだけで一時間もかかった位だから。

 妹の家では最近お正月は自宅でするより、何処か保養地とかホテルなどに家族ででかけてしまう事が多い。今年はフィレンツェだそうだ。以前から私もそのようにお正月を逃げ出してみたいと思いながら諸般の事情によりまだ一度も実現した事がない。面倒がりながらもお正月はやはりケジメと考えるので、ほったらかしにする勇気がないこともあるようだ。

 日頃からすべてをきちんきちんとやっている人はこの時期になっても特別慌てることはないのだろうが、私は何とやらの節季働きで、やはりお正月こそ一年のケジメで、これを逃したら来年が大変なことになる。明日は料理の仕上げと最後の念入り掃除だ。

ブルーライト・ヨコハマ

2008-12-28 16:48:53 | 観る
 横浜に移り住んでから16年にもなるがこちらは新興地区ではあるし、夜はちょっと出にくかったりして、今に至るまで所謂夜の横浜見物にはあまり出かけたことがなかったのだが、先日午後の遅い時間に孫娘の通う高校の吹奏楽部のクリスマスコンサートがあるというので桜木町に出かけてみた。前回の会場は「みなとみらいホール」だったが、今度はそのクイーンズスクエアのコンコースで行われた。建物の中はクリスマスのきらびやかなツリーや飾り付けで華やかに彩られていた。

 着いたのが時間丁度だったので、コンサートの広場の周りはもうびっしりと人垣が出来ていて、入り込む余地がなかった。上の方を見るとあちこちの通路にたたずんで、見ている人たちがいる。それならばと、私もエスカレーターで上がったり、また下がってみたりと見られそうなところを探して歩き廻ってしまった。しかし、下から目指して行ったはずのところに行き着かなかったり、行っても見られなかったり、とうとうまた下に降りて人垣の間に首を突っ込んでみる羽目になった。あの建物はやたらに凝っていて方角オンチの私などには全く不親切に出来上がっていると常日頃思ってはいたが、本当に迷子になってすっかり疲れた。華やかな空間に楽しげな演奏が鳴り響いているというのに。  それでも垣間見える演奏中の孫娘の写真を撮ったり、人ごみの中で子供の家族と顔を合わせる事もできたので、前半の部だけは最後まで聴いて会場を後にした。

 外は既に真っ暗だが、比較的時間も早かったので、隣のランドマークタワーに登って夜の横浜の眺めを楽しむ事にした。昼間は何度か訪れた事はあったが、夜は初めて、しかもたった一人というのは滅多にないこと。37階まで40秒という超高速エレベターに乗り込むまでにかなりの行列だったのは予想外で、夕食の支度までには帰れると踏んだのは少し甘かったが、夕食はお弁当でも買って帰ることにして、乗りかかった船と覚悟を決めて決行。殆どが若いカップルの間に私一人がちょっと場違いだった。  

 上から見下ろす横浜は灯りが本当に綺麗で見飽きなかったし、内部のデコレーションも好かったが、そうゆっくりもしていられない。でもせっかくの夜景だから写真に収めておこうと、欲張ってあちこち写しては見たが、夜の写真は慣れていない。設定を変えてみても煌めく光は流れてしまうし、どれも上手く取れなかった。デジカメはどんな人でもまあまあ上手に撮ることが出来ると思っていたが、夜景を撮るにはやはり腕が必要と悟った。失敗作の見本のようだがこれも思い出草にといつものようにフォトストーリーに仕立ててみた。せめてBGMだけは綺麗に。 仕上がりはこれ です。←クリック

漢字について

2008-12-26 17:50:26 | 聞く
 朝刊に「『完璧』には遠いけれど」という読者の投稿が載っていた。その人は完璧という漢字をずっと壁と思い違いしていたという。そう言われて見て自分はどうかと考えてみると、私は完璧と知ってはいたが、いざ自分が書く段になると果たして正確に書けたかどうか確信は持てない。それにその字を書くチャンスがあったとしても、最近はパソコンで書くことが増えてはいるし、このお利口で親切な器械がきちんと正確に変換して下さるので先ず困る事はない。

 以前若い男性が「漢字は全く苦手で、パソコンの変換頼みと言いたいけれど、沢山出てきてもどの字が正しいのか分からないので選べない」といって笑いを取っていたが、確かに最近の漢字離れの若い人の中には冗談でなくそんなこともあるのだろう。

パソコンはまだ無かったし、憶えねばならない漢字も今よりは沢山あった筈の私たちの世代はそのたぐいの悩みからは遠い。ちょっと難しそうな本でも、漢字にルビが振ってあったものが多かったし、実際に書けなくても随分色々な漢字と接していたせいか、漢字に対する抵抗感は無い。それどころか、逆に平仮名に対する抵抗感のようなものがあって、漢字で書けるものはつい漢字になってしまう。一例として、テレビなどで料理のレシピをメモする時、食材をいちいち漢字で書きそうになるので手間取ってしまうのだ。そんなことを私よりは大分若い方々にちょっと話したことがある。多分嫌味には取られなかったと思うが、不思議な事を聞いたように驚かれたり、感心までされてしまった。

単に年齢的な習慣の問題で、手早くうつし取らねばならないのだから平仮名かカタカナにすればより早いのに、指の方が勝手に漢字にしてしまうというだけの事だ。酢に油、筍、葱、牛蒡(尤も私はこの上の部分の牛を最近まで午と間違えていたが、これは午前、午後から来る勘違い〕等々。それでよく間に合わなくなって慌てたりするのだがなかなか直らない。というかやはり平仮名よりは、漢字の方が後で読み易いと言う長所を無意識に考えているのかもしれない。漢字の最大の長所はこれだから。

 日本語の書物には開いてみるとそのページに何が書いてあるかザッと見ただけで大体見当がつくという利点がある。英語などのように、一つひとつ区切られた単語から成り立っている文章はその言語圏の読者にとってはもしかしたら、ある程度の見当はつくのかもしれないが、ひらがなだけで、あるいはローマ字だけで書かれた文章があるとすれば、どれだけ読み難いか想像はつく。朝鮮のハングルは優れた表音文字だというが、これも多分同じように、ザット読みには適していないのではないか。

 兎に角好い按配にひらがなと漢字の混ざった日本語の文章は読み易さの点では大変優れていて、私達は随分と恩恵を受けている。それにしても漢字を発明してくれた中国と、それをしっかりと頂戴して咀嚼吸収し、その漢字から平仮名とカタカナも作り、自分のものとして使いこなしてきた日本の先人たちは本当に偉い。そしてその事をつくづく有り難いことだと思う。

同行の人

2008-12-21 18:12:29 | 歩く
 いつものウォーキングの途上で、向こうから来る一人の女性に道を聞かれた。センター北方面に行くつもりが、途中で道に迷ったとのこと。全く逆方面に歩いてきたことになる。私もちょうどそちら方面にいくところなので、ご一緒しましょうか?と断って連れ立って行くことにした。

 背の高い中年のてきぱきした感じの人で、歩調も同様にさっそうとしている。そこから目的地まで、実にテンポ良く会話が弾んで楽しい歩行になった。最初は犬の話、最近14年も飼っていた犬に死なれてどんなに悲しかったかという話から始まって、次は住まいの話。先ずどちら方面から歩いてきて道に迷ったかという話から、自宅は鷺沼駅の傍ということで、偶然私の娘の家もそちら方面だとか、十数年前こちら方面に引っ越してきて、以前の住まいは東横線自由が丘だったそうで、我が家も実家が同じ線の祐天寺と近い。おしまいにはお姑さんの年齢の話になり、それがまた私と全く同年同月、たった十日違いだということまで分かってしまった。区役所通りにいく道の角の小高い山の眺めが好きだったのに、最近立派な大きなマンションが出来て残念とか、そのほか娘さんの料理のブログの話とか、僅か20分足らずの歩行の間に次から次へ話題が展開。偶然の共通点もいくつかあったりしたせいか、特別饒舌な人という感じではなく、ピンポンのように話しのやり取りがスムーズなのが気持ちよかった。
 
 目的地に着くとお互いあっさり「またこの辺でお会いする事もあるでしょうね。」と風のように分かれて行った。そんなことで、今朝のウォーキングは素晴らしい天気にも恵まれ、また一味違った楽しいものになった。


戦時下女学生の服装事情

2008-12-07 16:03:02 | 験す
 卒業直前に他県に転校した小学校時代の友人から頼まれて、卒業写真アルバムの数枚分をコピーすることになった。見易いように大きく引き伸ばして、名前の部分もコピ-して贈ったら、届いたその晩は興奮のあまり眠れないほど嬉しかったというお返事を貰った。齢を取るにつれ昔を懐かしむ気持ちが強くなるのは皆さん共通らしい。

 私も古いアルバムを引っ張り出したついでに、未整理の写真の山を整理する良い機会となった。つい眺め入ってしまった懐かしい写真の中でも特に目が行ったのは、高女二年生(中二)、戦時中の箱根への一泊旅行のときの記念写真だ。屋外のも何枚かあるけれど、旅館の室内で撮ったのが大きくて、一人ひとりの顔がはっきり見える。65年も経っているとはとても思えないほど、明るく現代風に可愛らしい少女達(私でさえそれなりに結構カワイク写っているではないか!)が皆楽しそうな笑顔で写っている。美人さん揃いなのにも今更ながら驚いた。いつの時代でも若いと言うことは美しい。

  服装はまちまちで、本来の制服である黒リボンにセーラー服と襞スカートの人、また新たに追加された全国共通の制服姿(これは糸瓜衿に白い替え衿と幅広ベルト付きだった)の人、また旅館でくつろいでいる時なので、セーター姿が多いのだが、下の方はもんぺをはいている人が大半だ。このもんぺは戦時になって日本国中、女性は殆ど強制的あるいは自発的だったのか、当たり前の服装になり始めていた。女学生とて例外ではない。ところが我が校のお裁縫の先生が大変センスのある人で、野暮ったいもんぺを女学生に強いるのは忍びないと、自らニューもんぺを考案されて生徒たちに裁縫の時間に作らせた。確かにデザインは少女らしく、サスペンダー付でウエストは後でリボン結び、裾はふっくらとゴムで縛り、ユニークな上になかなか愛らしいので評判も好く、皆喜んでスカートからもんぺ着用に切り替えた。但し問題は布地である。既に繊維類は巷から姿を消し始め、新たに作るにしても手持ちの物をほどいてリサイクルすることが普通になっていた。主に普段着の銘仙や絣の着物、贅沢なところでは大島などの紬までが上下のもんぺに仕立て替えられた。私の最初のもんぺは上等な父親のセルの着物をほどいたものだった。

  時局が更に緊迫してくると、制服代わりに上着までそんな材料の手製が多くなった。ウールのひざ掛けで母が作ってくれた、洒落たデザインながらちょっと手際のよくないジャケットを着て学徒動員の工場に通ったりした。お姉さんなどのお古がある人は何時までも制服や革靴を身につけておられたが、私は次第に履くものから無くなってしまい、とうとう下駄履きで通うようになった。他にそんな人は沢山いたし、そんなことを気にするどころの騒ぎではない厳しい時代に突入していた。戦争が終わっても暫くは物資不足が続き、母が私のために知人から3枚5千円で譲ってもらったブラウス(当時としては何と高価なこと!)や、父の外套を洋裁屋に頼んで仕立て直した茶色のハーフコートを着て通学した。この時代を経たお陰で、私は古着のリサイクルが得意芸となり、子供達が幼い頃の服装は大方私の古着が化けたものだった。
 
 因みに上記の箱根旅行の時の私の履物は配給物資の抽選で当たった男物の編み上げ靴だった。一応れっきとした皮製だったが、父には小さ過ぎ、私にはちょっと大き過ぎたけれど、他に穿くものがない以上仕方のない事だった。

もう一つ付け加えて、その旅行では旅館に一泊するために、各自お米を一合ずつ持参した。家から持ってきたお弁当は、私の場合は色とりどりのサツマイモのバリエーションで、他のものはあまり入っていなかった事をよく憶えている。よくこれだけ調理法を考えたものだと、母の工夫に感心した。他の人たちも似たようなものだったと思う。

紅葉狩り

2008-12-03 19:01:31 | 観る
 

八王子の小高いところに居を構える友人から誘いがあって、もう一人の友人と一緒に紅葉狩りに出掛けた。紅葉狩りと言っても、彼女のお宅での紅葉見物なのだが、起伏に富んだ大変な面積のお庭なので、紅葉の種類も多く、その色のバラエティも様々で、まさに圧巻と言うより他なかった。  以前にも二、三度、春には桜をはじめ様々なお花や自生の植物で一杯のそのお庭を訪ねたことはあったが、紅葉は初めてだった。春には春の好さがあり、秋もまた同じく美しくてむしろ秋のほうがより賑やかなのではないかという印象を受けた。

庭の散策の後、山荘風のお宅のベランダ越しに、裾の方に広がる赤、橙々、黄色、緑の荘観を目の当たりにしながら、秋模様の美しいお弁当を頂きながら一献かたむけたのだが、「やっぱり日本は好いわねえ」と言うのが期せずして出た三人の言葉だった。日本以外にも紅葉の美しいところは世界に沢山あるだろうし、カナダの楓などの紅葉はさぞかし見事に違いないと思うけれど、殊更に紅葉見物などと風流を決めこむ事はあるのかな?とフト考えたりした。多分それぞれ他の楽しみ方があるのかもしれない。  ホストの友人は時にはお庭の椎茸や菜っ葉類も使ったりして、さりげなく趣きのある手料理がとても上手で美味しい。それも、それぞれ吟味された器に盛って出されるようで、観る眼のない私にはよく解らないながら、いつも感心してしまう。まさに、心豊かな日本人の暮らしここにあり、である。そして私はつい、がさつな我が家の日常を省みてしまった。  



同行の友人は特に大分行ける口なので、杯を酌み交わしながら飲むほどに談論風発、心底くつろいで、本当に楽しい、楽しいひと時を過ごさせて頂いた。その事に心から感謝。