くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

加害国としての日本

2014-08-17 13:44:50 | 観る
69回目の終戦記念日を迎えた。毎年この時期になると過去の戦争に纏わる番組が目白押しだ。印象に残ったのは、長崎の原爆投下の模様を当時のアメリカ軍によって記録された古ぼけたフィルムが現代のデジタル技術によって鮮明に復元されて、その映像の数々が映し出されたことだ。ヒロシマ原爆のきのこ雲の映像は何度も見ているが、ナガサキで原爆が落とされたその瞬間を写した動く映像を見るのは初めてだった。投下地点からモクモクと変化して登るきのこ雲のおぞましい姿は、その瞬間の地上の苦しみを如実に感じさせるものだった。

デジタル化された映像はそれまで漠然としか判らなかった爆心地をピンポイントで現わし示すのに役立っていた。一瞬前までは普通の日常があったその地点の風景が直後の無残な風景と交々映しだされたのが特に衝撃的だった。そして今まで度々写真で紹介されてきた廃墟となった地上の惨状、沢山の亡骸の間に呆然と佇む女性の姿などが、鮮明になった分だけより現実感のある切実なものになっていた。

もう一つ、私には殆ど初耳でショッキンングだったのは日本軍の毒ガス兵器使用の番組。
戦時国際法では当時すでに毒ガス使用は禁じられていて、日本軍は使用していないと誰もが信じていたのに、それが真っ赤な嘘だったということ。秘密裡に毒ガス製造に駆り出され、肉体的に酷いダメージを受けた人たちの証言から始まって、日本軍はジュネーブ法に違反して、支那(中国)で1万発のガス弾、4万本のガス管を使って何万人もの支那兵を殺したと言う。戦場だけでなく、731部隊では憲兵によって捕えられた抗日組織の人々を毒ガスも含むあらゆる人体実験に使って3000人も殺したのだ。戦後間もなく発覚した此の事実を信じなければならないと悟った時、私は心底失望し、悲しかった。昨日の毒ガスの話も全く同様だ。
加害者としての日本をこれほど痛感したことはない。

この番組では当時のアメリカは原爆の後も、終戦をより早めようと九州に絨毯的に毒ガスをばら撒く準備をしていたことにも触れた。その膨大な量のガス弾の山の映像を見て本当にぞっとした。もしあの時終戦していなかったら、九州は勿論日本はどうなっていただろう。

もう一つおまけの嫌な話、戦後アメリカは日本軍を裁いたが、その際731部隊の所業は不問に付した。それは731隊が集めた実験データを、自分が利用できる得難い貴重な資料として引き渡すことを条件としたのだ。このご都合主義。しかも彼は未だに原爆使用について公けに謝罪も清算もしていない。敗者は戦争とはこんなものなのだと肝に銘ずべき。

原爆の被害はナチスのホロコーストと同様殺戮の量においては地上最大のものであって、他のものとは比べようもないが、被害を受けた一人一人にとっては全く同じことなのだ。何の差があるだろう。どこの国のどの戦争であろうと戦争とはかくの如くおぞましく醜い。正義などどこにもない。あの戦争はこの教訓を得ただけでも日本にとって大きな意味があったと思いたい。

ミュージカル「Bring on it」

2014-08-08 15:15:13 | 観る
この住宅で希望者に渋谷ヒカリエでのミュージカルの招待券のプレゼントがあった。ところがオペラやミュージカル好きの夫のために応募したのに前日になって肝心の夫が急に発熱悪寒と体調を崩し、翌日の観劇は無理と言う状態になった。

夫には発熱癖があって時々こんなことがあるし、多分すぐ治ると踏んでいた通り翌日には昨日の騒ぎが嘘のように平熱に戻り、気分もかなり好くなったが、用心のため観劇は中止して私一人出かけた。

席は二階最前列から二番目中央という申し分ないS席。ステージ両側の日本語字幕は前回より大きく読み易い。舞台はアメリカ本場のチアリーダーの演技がミュージカル仕立てになっているのだから、その迫力は物凄いものだった。それなのに隣席の女性は私の方にもたれ込んで前半は殆どぐっすり眠り通しだった。勿体ないことに。しかし、字幕があってもアメリカの高校生の世界の物語にすぐには溶け込めないのも無理ないかもしれない。私も最初はやや退屈だったが、内容がわかってくると次第に引き込まれて行った。筋書きは、チアの全国大会でいつも優勝するという名門校と、チアの世界などとは無縁だったいわば落ちこぼれ高校がひょんなことからこの試合の最終選考まで勝ち進んで、優勝争いをする物語だ。まず名門のトルーマン高の練習風景があり、その中から問題ありと見做され、はじき出された女生徒二人が近くのジャクソン高校へ転校する羽目になる。ところがそこはチアの部などない三流高校だった。

その二人のうちの一人は体型的に外されたことは明白だが、もう一人の理由は残念ながら私には最後まで不明のままだったが、とにかくこの二人がジャクソン高の子らの間に色々悶着起こしながらものチアを働きかけ、結局もともと彼ら得意のヒップホップ風のチアを作り上げたのだ。名門校の正統派の演技は勿論素晴らしいもので、結果当然例年のごとく、優勝を勝ち取ったのだが、残念ながら賞に漏れたジャクソン高の独創的なチアも実に素晴らしく楽しいものだった。私はむしろこちらの方が好みだったし、あのおデブちゃんの転校生ブリジットが花形チアリーダーとして仲間の肩から天井近くまでのびっくりするほど見事な跳躍を遂げた見せ場では私の目からも感動の涙がひと雫。様々な葛藤を交えながら、友情や恋が芽生えたり、皆が力を合わせればすごいものが生まれるという自信を勝ち得たジャクソン高校だった。この花形ブリジットが当初自分の体形故にいじけて自信のない言動ばかりしていた時、新しい仲間の放った「自分の事をヘボく言う奴は嫌いだ」の一言、それからまた別の仲間が「世界を好きになれば、一人ぼっちにはならない」と励ました言葉が彼女を立ち直らせた。実際彼女はこの友人たちのお蔭で必死の努力をして花形選手にまでなったのだ。フィナーレでは会場総立ちでスタンディングオーベーションの嵐となった。

帰宅すると期待通り順調にに回復を見せていた夫に見逃したミュージカルがどんなに素晴らしかったかを逐一話して残念がらせた。
 

映画「そして父になる」

2014-06-18 00:59:24 | 観る
前評判を聞き、是非観たいと思っていた映画「そして父になる」を館内のセアタールームで観ることが出来た。産院での新生児取り違えという深刻なテーマで、監督は是枝裕和、主演は福山雅治、尾野眞千子、真木よう子、リリー・フランキー。


実際に同じような事例が日本でも海外でも過去に何度かあったことを見聞きしているが、その度にもしこのようなことが自分の身に起こったらどのように対処できるだろうかと深刻に考えたものだ。子供の年齢、性格、両家の家庭状態、ケースバイケースだから実際にその立場にならなければ本当の答えは出せないだろう。


この映画では、子供たちに真相は知らせず、互いの家庭を訪問し合って親子ともに親しい関係作りをした後、子供を一人で相手方にホームステイさせるという、考えられる最も常識的であろう方法をとるのだが、結局この最初の試みはうまく運んだようで、簡単には成功はしなかった。


両家の家庭環境はちょっと違っていても、どちらもごく当たり前の幸せな親子関係を築いていたことは救いだが、6歳という年齢は遅過ぎたというほどではないにしても、本来の親元にすんなり戻れるほどに幼くはない。親子として過ごした時間と、血の繋がりのどちらを選ぶかという重い課題を突き付けられた人たちの心の葛藤に深く感情移入して、涙を拭いながら見入ってしまった。


子供二人はそれぞれ元の家庭に一旦は戻るところで、映画は終わるのだが、観客の多くは何かしら良い予感を持ったのではないだろうか。この調子で互いに交流を重ねているうちにある年齢に達すれば事情をはっきり理解し、自分なりの判断をするのではないだろうかと。

映画を観終わった後、結末が中途半端で後味が悪いという感想を漏らしていた人もいたが、このような含みを持たせた結末で良いのではないかと私は思った。


むしろ後味が悪いというのは、この事故が例え、病院側の単純ミスであったとしても酷いのに、実は、当時の担当ナースが、自分の個人的鬱屈を晴らすために、故意に新生児を取り替えてしまったという筋書きになっていたことだ。しかもその自白が時効の成立した後なのだから、当事者は無論の事、一観客の私とても憤懣やるかたない心境に陥った。実に酷い。

映画「小さいおうち」

2014-02-17 21:07:10 | 観る

「小さいおうち」を観てきた。テレビでこの映画について山田洋次監督自身の説明を聞き、偶々近くのシネコンに来ていたので何はさて置いてもと出かけた。出版物が映画化された場合、後から本を読むということは滅多になくて、これのように映画があまりにも好かったので、早々買ったのになぜか途中までしか読んでいなかった本を改めて読み直してみた。映画は原作を細かい点まで丁寧になぞって少々の変更はあったが、殆んど漏れがなく立派に仕上がっていた。どちらも好かった。

 特別の共感を持ったのは、時代背景が今日までの自分の来し方とすっかりシンクロしていたこともある。因みにこの小さな家の「坊ちゃん」は私とほぼ同年齢であったし、昔の我家は「郊外の小さい赤い屋根の文化住宅」ではなかったが、この家とは多分あまり遠くはないであろう山の手にあり、周辺の風景や様々な事物の描写に悉く郷愁を誘われた。中で重要な役割を果たす「ねえやさん」(今はお手伝いさん)はその頃、普通の家庭には大程一人はいたものだ。近所のねえやさんたちは子供らと半分友達のようなものだった。我家にもいたその人は私が学齢前にはもういなくなっていて今は顔も名前も覚えていないが、ねえやさんと言う存在は、子供の目には不思議に見えたトイレ付きの三畳程の狭い女中部屋と共に懐かしく思い出される。映画の中のタキさんが一日の仕事を終えてくつろいでいた小さい部屋がまさにそれだった。

タキさんは良く働く模範的なねえやさんであるだけでなく、臨機応変の賢さを持った人で、そのことがこの物語の重要な核となっていた。彼女が心から敬愛して止まなかったその家の若夫人と一人の青年の間に果たしてあったかどうかすら判然としない儚い恋愛事件を描いているのだが、実はこの物語を通して、平和な戦前から日支事変、太平洋戦争とだんだんと不穏な様相を呈していく日本の姿を余す所なく映し出していることに感心した。紀元二千六百年の花電車とか、興亜奉公日とか、大詔奉戴日など、現代人には多分判らないであろう言葉を本当に久しぶりに聞いた。

 本当の戦況も聞かされず、どんどん物資が欠乏して苦しくなっていく日常生活に耐えながら、熱に浮かされたよう勝利を信じていた当時の日本国民だったが、ついに敵機襲来を赦し、日本国中至るところが焦土と化すまでの悲惨な経緯は私自身もそのまま目の当たりにしてきたものだ。だから戦争を知らない世代の人たちはこの映画を通して、市井の一般人の目から見た日本の近代史の一幕を如実に観ることが出来るだろう。