くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

行事諸々

2013-01-12 18:39:56 | 参加する
四季折々の様々な伝統行事や催し物が日本人の生活に延々と息づいているはやはり素晴らしい。

此処で良い事の一つは居住者のために年中行事をきちんと守ってくれる事だ。年が明けてから年始の賀詞交換、祝い膳から始まって、七日の七草粥、今日11日の朝食は鏡開きのメニューだった。以前からひな祭りや節分の豆まきぐらいは家でもやっていたが、子供が巣立ってからは七夕飾り、月見などは改まってすることはなくなっていた。しかし此処ではそのようなことをきめ細かく行ってくれる。

私の母も大方の行事はしきたり通りきちんとやっていたし、日本人らしい季節感覚が身についた人だったので、お花見は当然の事、ほうづき市、朝顔市などもマメに一人でも出かけていた。他に羽子板市、酉の市などもあるが、私はいちの類には足を運んだ事はないし、古来のしきたりなどある程度は守ってきたが、母ほど熱心ではない。わが娘に至ってはそれが更に進んでいるのではないかと思う。母が存命の間はお盆には仏前のお飾り、迎え火、送り火も欠かさなかったが、仏壇が甥の家に行ってしまってからは、それもただ懐かしい夏の思い出だけになってしまった。

ここに住む限り廃れがちな行事を思い出し、四季を感じながら生活できるのは有難い事だ。でも去年は近くの幼稚園の子ども達が、お菓子を貰いにハロウィーンとかの衣裳をつけて先生に連れられてやってきた。このような外来の行事は私はちっとも慣れないし、つい距離を持って見てしまう。クリスチャンでない人のクリスマスは今や世界的な単なるお祭りとして考えるようにしているが、これ以上外来のお祭りを増やさなくてもいいのに、と嫌味を一言。

新居2度目の正月

2013-01-01 23:43:54 | 参加する
この集合住宅での2度目のお正月を迎えた。

万事手抜きが得意の私でも毎年正月準備だけは相当頑張る。日本人にとってお正月は特別と言う思いが小さい頃から身に染み付いているので。家の内外の清掃や御節作りは型通りやらないとお正月は来ない。御節作りに関しては、冷凍庫が普及してから随分と楽になったが、それでもこだわりがあって、黒豆を煮たり、ごまめを炒りつける事から始まって十数品すべてを手作りして重箱に詰めて実家の両親に届けたこともあった。

だんだん齢を重ねるにつれて、市販品の数が増えてきたが、昨年までは必ず我家の味のお雑煮と数品の手作り御節、それに門松や什器類の用意は欠かしたことがなかった。
ところが、この暮れはその全てを一切辞めてしまった。先月腰を痛めてしまったことが原因だが、投薬を受けて少し楽になったので、頑張ればどうにかなりそうだったが、この際潔く正月準備から手を切ってしまおうと考えたのだ。幸いここの住人になったので、何もしないでもお正月は来てくれる。メニューを見れば大晦日の年越し蕎麦、元旦の祝い膳、三が日もそれらしい食卓が続いているのだ。何と有難い事。

さて元旦9時半の祝詞交換会に間に合うよう、身なりを整え食堂に向かう。館内を歩けば静かに琴の音が流れている。廊下のしかるべき所にクリスマスツリーに代って、見事な大羽子板や正月飾りがならんでいる。食堂はいつもと違う華やいだ雰囲気に包まれて、支配人の音頭で香り高き枡杯で乾杯、祝膳を囲んだ。たまたまご同席を願った同じ階のご夫妻との会話がまた楽しかった。軽いお屠蘇機嫌で帰宅してからは恒例通り年賀状をチェックしたり、正月番組を見たり、自分は何もしなかったのに、お正月は来てくれた。日本のお正月万歳!