絵巻や代々の写本のほか、ゆかりの調度品の沢山な数の展示だったが、物語そのものを読んでいようといまいと、この物語が如何に深く長く日本人の心に根付いているのか改めて感じた。 千年も前の一女性が記した文学がこれほどまでに愛され読み継がれて来たというこの事実はすごい。 今はもう世界20カ国語に翻訳されているそうだ。私は国語の授業で習ったきり、続きを殆ど読むこともなく現在に至っているが、いつかは全巻を読み通してみたいという気持ちだけはまだ持っている。来館者の大半は中年以降の女性が目立っていたが、愛読者も多かったと見え、皆さん興味津々に見入って実に楽しそうだった。
私はというと、空蝉、浮き舟、末摘む花、と登場人物の名前だけは皆知ってはいてもそれぞれの物語自体を読み込んでいないのでどれも区別がつかないので、専ら絵巻や屏風に張られた扇形の絵を絵として鑑賞するだけだった。そして改めて気が付いたことはこのようにおびただしい数の宮廷の絵が殆ど共通して、何と呼ぶのか、「金の雲」を多用していることだ。誰が最初に考えたのかこれは実に賢い手法だと思う。昔の洋画によく見られる細部まで書き尽くすやり方と違って。こちらは細部を隠すと言うより、省略して尚且つより美しくしている、しかもその金雲には流れるようにたおやかな文字まで書き入れることも出来る便利なものだ。そんなことに改めて感心したり、また当時のゆったりとした宮廷服の見本の展示を見て、一口に十二単と言っても絵で見てもこれだけの量、これだけの細密な美しい織りの技術が当時から存在していた事にも今更ながら驚いた。その頃の織りだけでなく、工房の風景なども見てみたいものだ。印刷のない時代、物語を書き写し、伝えて行く作業と言うものがどんなに大変だったことか、実物を見るまではあまり気がつかないことだった。保存状態のよい和紙に水茎の跡も麗しい筆書きの冊子が時代ごとに数々展示されていた。
帰りはいつものように館内のアートショップに立ち寄り、今日の絵葉書やクリアファイルのほか、キリンのペーパークラフトを見つけたので買う。それは家に帰って夕食の支度をするまでに作り上げてしまった。出来上がったその形の好さをほれぼれ眺めている。