くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

源氏物語千年紀展

2008-10-31 17:38:46 | 観る
源氏物語千年紀を観にいった。最終日の3日前、金曜日の11時過ぎ、行ってみて驚いた。横浜美術館は入館待ちの人で、入り口から館の端まで、3重4重の大行列になっていた。こんな事ならもっと早い時期に来るべきだったと後悔。4,50分待ってようやく入ってもさぞや大混雑で観難いかと思ったら、案外そんなこともなくて人の流れも割合スムーズに、じっくり観ることが出来た。

 絵巻や代々の写本のほか、ゆかりの調度品の沢山な数の展示だったが、物語そのものを読んでいようといまいと、この物語が如何に深く長く日本人の心に根付いているのか改めて感じた。 千年も前の一女性が記した文学がこれほどまでに愛され読み継がれて来たというこの事実はすごい。 今はもう世界20カ国語に翻訳されているそうだ。私は国語の授業で習ったきり、続きを殆ど読むこともなく現在に至っているが、いつかは全巻を読み通してみたいという気持ちだけはまだ持っている。来館者の大半は中年以降の女性が目立っていたが、愛読者も多かったと見え、皆さん興味津々に見入って実に楽しそうだった。

 私はというと、空蝉、浮き舟、末摘む花、と登場人物の名前だけは皆知ってはいてもそれぞれの物語自体を読み込んでいないのでどれも区別がつかないので、専ら絵巻や屏風に張られた扇形の絵を絵として鑑賞するだけだった。そして改めて気が付いたことはこのようにおびただしい数の宮廷の絵が殆ど共通して、何と呼ぶのか、「金の雲」を多用していることだ。誰が最初に考えたのかこれは実に賢い手法だと思う。昔の洋画によく見られる細部まで書き尽くすやり方と違って。こちらは細部を隠すと言うより、省略して尚且つより美しくしている、しかもその金雲には流れるようにたおやかな文字まで書き入れることも出来る便利なものだ。そんなことに改めて感心したり、また当時のゆったりとした宮廷服の見本の展示を見て、一口に十二単と言っても絵で見てもこれだけの量、これだけの細密な美しい織りの技術が当時から存在していた事にも今更ながら驚いた。その頃の織りだけでなく、工房の風景なども見てみたいものだ。印刷のない時代、物語を書き写し、伝えて行く作業と言うものがどんなに大変だったことか、実物を見るまではあまり気がつかないことだった。保存状態のよい和紙に水茎の跡も麗しい筆書きの冊子が時代ごとに数々展示されていた。

 帰りはいつものように館内のアートショップに立ち寄り、今日の絵葉書やクリアファイルのほか、キリンのペーパークラフトを見つけたので買う。それは家に帰って夕食の支度をするまでに作り上げてしまった。出来上がったその形の好さをほれぼれ眺めている。

軍国小学校

2008-10-28 17:26:55 | 験す
話とはその前々日のこと。夕方夫が一人で見ていたテレビから、私の子供時代に耳慣れた渋谷の地名が幾つか聞こえてきたので慌てて画面を覗いてみると、すぐに懐かしのわが小学校がモノクロの昔の姿で映し出された。当時既に鉄筋コンクリート3階建て、水洗トイレ完備の堂々たる小学校だったが、私の在学当時はスパルタ教育で名を馳せていた。時代が軍国一色に染まり始めていた頃で、規律が厳しく、特に男の子は叱られると容赦なく往復びんたを浴びせられるなどは日常的だった。厳寒の折でも裸足に半袖短パンで、号令のもと一斉に校舎の床磨きをさせられたが、まさにその風景が再現ドラマとしてTV画面に映し出された。床磨きする生徒達の中の一人が身体の具合が悪くて、怠けていると見えたのか、その子供めがけて一人の陸軍将校が血相変えて飛び掛り、担任の目前で殴りとばして激しく叱り付けた。「お前のような子供は生きていても役に立たない、死んでしまえ」と。信じられないような衝撃の場面だったが、当時としてはありえない事ではなかったろう。それにしても‘配属将校’とでも言うのだろうか、そんな軍人が学校にいたという記憶が私の中には全くなかった。だからこの部分はフィクションか或いは主人公の思い違いかもしれないと疑ったのだが、都合のよい事に二日後に控えている同期会ではその事が確かめられると思った。

 その番組は「日高敏隆」という名の、その世界では海外にも知られている(私は全く知らなかったが)昆虫学者、あるいは動物行動学者の自伝というか足跡を一時間半のハイビジョン特集に纏めたもので、その再現ドラマの中の可哀想な子供が日高君であった。彼は幼い頃から大の昆虫好きで、暇さえあれば昆虫を追って野原(その頃渋谷のその辺りにはまだまだそんな場所が沢山あった)を駆け回っている子供で、将来は昆虫学者になる夢を持っていたのだが、罵声を浴びせたその将校だけでなく、昆虫にうつつを抜かす息子に否定的だった父親にも「そんな人間はこの時代に生きている価値がない」などと責められ、本当に自殺を考えるほどになっていた。ところが、常日頃彼の特性を認めて陰ながら励まし続けていた担任の「米丸三熊先生」が彼の絶望を察して、家を訪れ父親に頭を下げて彼の転校を勧め、昆虫学者になる夢を捨てさせないようにと頼んだのだ。何と素晴らしい先生。 結果日高君は全く違う校風の小学校に転校し、同時に米丸先生も入隊で学校を去ったという。その後ドラマは様々な心温まるエピソードをさしはさみながら、彼が順調に昆虫学に勤しみ立派な研究成果を上げて今日に至った、と言うのがあらすじだった。

 さて、私が席上でその話をしてみたのだが、米丸先生の方は何となく覚えのありそうな人が一人だけで、ほかは全員どちらも覚えがないという返事だった。日高君はほぼ同年らしいので(後で調べたら一級上だった)、途中転校したにせよ彼と米丸先生の名前を誰か一人ぐらいはちゃんと憶えているかと思ったのだが。 まだ三、四年生と幼くて上のクラスの先生を知らなかったのかもしれない。

 もう一つの疑問は将校の存在だったが、それは男性二人が覚えていたので事実と分かった。でも驚いた事に、それがたった一日だけ視察に来たのだという。何という事、そのたった一日が日高君の一生を左右することの要因になったというわけだ。この場合は「塞翁が馬」で、プラスに作用したのだから人生は面白い。この番組では残念ながら我が小学校が言うなれば否定的な側面で紹介された話だったが、この事からまた皆の話が色々と膨らんできた。当時は模範的(軍国)小学校とされていたからか、我々在校の少し前には来日中だったヒットラーユーゲントの訪問まであったと聞いた。陸軍将校が一日だけにせよ来ていたというのも肯ける話、すべて70年近い昔々の物語だ。

同期会あれこれ

2008-10-26 18:06:48 | 験す
 今年二度目の同期会も今日無事終了してホッとしたところ。ホッとしたというのは、今日は小学校の方だったが、一週間前は高校の同期会で、どちらも幹事役に当たっていたからだ。先日の会場は横浜関内の天麩羅屋さんだったが、そこは最近惜しまれて解散したサザンのキーボードの原由子さんの実家だという老舗。駅から近くて便利な場所なのだが、一つ困った事があったが、それ以外はおおむね好評で、皆に楽しんでもらった。卒業以来初めて参加の懐かしい顔もあって、これは特に嬉しいことだった。

 唯一困った事というのは想定を上回る人数の出席があったので、予定の腰掛式の部屋から急遽二室ぶち抜きの和室に変更になった事だ。20名ほどの出席だったが、足にやや難ありの人が多くて、正座が出来ない。仕方なく無礼講で大半の人がテーブルの下に足を投げ出すという壮観となった。実際杖を突いての参加の人も三人はいたので、席から立ち上がるのもまた一苦労。それに部屋が広いので、向い側の席から来る話がよく聞き取れない。大声張り上げてやっと聞こえても、今度は聞き違える等々、皆で笑い合うしかないという有様だった。毎年開く同期の会だが、今回程自分達の老いを実感した事はないのではないかと思った。それでもまた次の幹事役にバトンタッチが出来て、来年も集まる積りだから皆元気なものだ。
 
 今日の小学校の方は男女取り混ぜて総勢18名、こちらは全く趣の違う霞ヶ関ビル33階のクラブのフランス料理。これはここ10年ほど毎年利用してすっかりお馴染みの場所になっている。今年は何十年ぶりかの人も来てくれたが、後は毎年殆ど同じ顔ぶれで、出てくる会話もややマンネリ。懐古趣味の強い男性が一人、昔の思い出ばかり繰り返すのだが毎年の事なので、皆やや辟易。それに大抵の人は忘れっぽいのか、関心が薄かったのか、そのすべてにまともに反応する人が少ないのが彼にはいつも不満らしい。但し、私はその数少ない例外で、回顧癖が強いのは同程度なのか彼が話すことぐらいは大概覚えている。でも毎年同じ話を繰り返されては飽きてしまう。それで私は二日前、偶然遭遇した同期会にふさわしいホットな情報をご披露してみた。ちょっと長い話になりそうなのでそれはまたこの次。

軽喜劇「ローズのジレンマ」

2008-10-23 01:13:46 | 観る
 テレビで観る以外に現代演劇というものを生で観ることはあまりなかったのだが、先日、京橋のテアトル・銀座で演っている「ローズのジレンマ」が面白そうなので、一人で観にいった。近頃は最寄りのコンビニ店に行けば機械の簡単な操作で楽に前売り券が入手できるので、本当に便利な世の中になったものだ。

 月日の推移はあるが舞台装置は一つ、登場人物は四人だけとシンプル。ニール・サイモン原作の喜劇ではあるし、主演はごひいきの黒柳徹子さん、気の利いた会話が飛び交う、楽しいが幕切れには涙もある洒落たお芝居だった。あらすじを言うと、リリアン・ヘルマンがモデルだという徹子演じるローズは同じ作家だった亡き恋人が忘れられず、時々現れるその亡霊と話し合って、作家活動もおろそかになって破産寸前状態。それを正気に戻して新作を書かそうと苦労しているのが本当は娘でもある秘書役が菊池麻衣子。それから、自分の未完の遺作を完成させれば大金が入るとローズに提案する亡霊の恋人役は以前は岡田真澄だったそうだが今は草刈正雄が演じている。その仕上げのライターに選ばれたちょっと生意気な若手を演じているのが錦織一清で、それとローズとの会話がなかなか面白い。テンポのよいおしゃれな会話が早口の徹子さんにぴったりで、よく通る声であれだけ沢山の台詞を淀みなく演じ、衣装も美しく着こなしている彼女はまさに超人的と言える。

 最後にはローズ自身も死んで亡霊として現われるし、亡霊どうしの楽しい会話までふんだんに盛り込まれているので、観ているうちに、「死」というものが決して恐れるものではないという気持ちにさせられる。これは偶然にもつい最近観た日本映画「おくりびと」にも通ずる感動があった。

 席は今日のように最後列に近くてもよい、オペラグラスでも持って、これからはもっと気軽にこんなお芝居を観に行くのもいいかなと思った。


最近観た映画

2008-10-14 19:18:50 | 観る
よく映画を観るが、それもはるかに洋画の方が多い。しかしこの夏頃から日本映画ばかり4本続けて観た。最初が早慶戦を扱った「ラストゲーム」。次が「崖の上のポニョ」、「おくりびと」、たけしの「アキレスと亀」と続いた。いずれも前評判の高かったものばかり、しかも歩いても行ける近くのシネコンだから気軽に足が向く。最近夫は目のせいで字幕を目で追い難くなっているため、洋画は吹き替え以外はちょっと無理になって来たので、連れ立っていく時はなるべく日本映画を選ぶようにしている。

 ポニョとアキレスは外国で映画賞を取ろうかという勢いで、色々前宣伝を聞いていたせいか却って拍子抜けしたというか、それほどのものとも思えなかった。でも前者はやはり絵そのものが良くて、坊やのいかにも子供らしい仕草の表現力などとても感心したし、颯爽とした若いママさんの絵も良かったが、情けない事にストーリー自体よく判らないところもあって、これ以上特別の感想もない。もともとアニメは苦手なのです。夫に至ってはもっと酷い。殆ど眠りっぱなしだったようだ。

 後者は我々二人の間ではかなり不評だった。エセ芸術オンパレードの可笑しさは面白いと言えば面白かったし、この映画でたけしが何を言いたかったかも当然察しが付くし、芸術とそれに似て非なるものとの差はもしかしたら紙一重という危うさは大方の人が気付いていることだし、今更・・という気がした。それにマンガチックな作りになっている事は解るが、それが私には唯ただ粗雑な感じがするのが好みでなかったと思う。それにしても、ペンキの使い過ぎ!!

 大体この監督の映画は私などの理解を超えている、と言うのはソフトな言い方で、要するに好きではないということ。但し、監督としては、と但し書きが付く。漫才をやっている頃はあの危ないブラックが好きだったけれど。今まで何本か見たこの人の映画はどれも同じような感想しか持てなかった。世界が認める監督さんを理解できないのは私に見る目がないだけなのであろうし、でもこれも事実だから仕方がない。

 予想以上に良かったのが「おくりびと」。死者を敬い、美しく化粧して、丁重に送り出す、それが商売とはいえ、こうした光景は本当に美しく胸を打たれた。私の父が亡くなった時も、葬儀社のコースに含まれていたとみえ、その様な儀式が行われた。父の周りに家族全員座らされ、一部始終を見守ったのだが、その時は初めてのことで、珍しいものを見させてもらったという感想を持っただけだったが。映画ではその様な場面が何度も繰り返し映し出され、そのうち、それが物語に直接関連しない場面でも、どうした訳か涙があふれてくるような感動があった。私の隣の女性は丁度お昼時で、お腹がひっきりなしに鳴るし、その合間に忙しく鼻は啜るしで、キューキュー、グスグス賑やかだったが、それすら気にならないほどだった。一番印象に残ったのは焼き場の裏手で係員の老人が遺族に語った言葉だった。「死は生の続きで、単に両者の間にある門なのです」と。所々ユーモアもり、家族の問題も織り込んで、主役のモッ君が適役で良かったし、重みのある好い映画だった。夫も最後までちゃんと目を開けて見通した。

葉山へ

2008-10-03 18:31:38 | 観る

 久しぶりの秋晴れの一日、一日伸ばしにしていた葉山行きを決行した。決行と言うのも大げさだが、「秋野不矩展」を観るため神奈川県立美術館へ行くのが目的で、初めての場所だし、ちょっと交通の便が悪そうだしで、日にちを選んでいた。最初我々二人夫婦だけで行くつもりでいたが、招待券を何枚も貰ったので私の高校時代の友人三人も一緒に行くと言うことになり、五人組の小旅行となった。

 「秋野不矩展」は姪が京都の近代美術館で手がけた後、今回葉山でも開かれたものである。姪が言うにはこの秋野不矩(あきの ふく)という日本画家は関東では今日まであまり紹介されていなかったようで、公立館にコレクションがあるところも関西に較べて、とても少ないのだそうだ。それでこの機会に関東の人にも秋野不矩と言う画家の魅力を知ってもらいたいというのが目的らしい。確かに一人を除いて他の同伴者も私を含めて殆ど知らなかった画家だ。  経歴を見ると明治生41年まれの私の母と同年生まれで、93歳と言う没年までも全く同じ、六人の子供を育てながら画業一筋の人で、50歳でインドの大学に日本画の教師として招聘され、彼の地に魅せられ晩年までインドの風物を描き続けている。展示の絵の大半ががインド一色だったが大作が多く、絵の素晴らしさと共にそのバイタリティに驚かされた。黄土色と朱色の大きな建物の絵が多かったが。全体にゆったりと大らかな画風が心地よい。こんな大した作家がこの狭い日本、関東では殆ど知られていなかったというのも驚きだった。

  海に面している美術館は白いシンプルな作りで、来館者の入り具合も程が好かった。帰り際には喫茶室で海を眺めながら皆でお茶をしたり、絵葉書を買ったりゆっくり寛いだ。行きはタクシーで比較的早かったが、帰りはバスで逗子駅まで乗るとかなり時間がかかった。駅前の魚屋で干物など買って帰る。終日本当に素晴らしい秋日和に恵まれ、好い一日だった。