くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

意味不明

2010-01-21 11:50:18 | 験す
携帯電話のストラップと言うものがある。若い人たちの中にはジャラジャラとマスコット様のものを沢山携帯にぶら下げて、中には嵩も重さも本体より大分上回りそうなものまで見かける。中高校生などの携帯に時々見かけるフィギュアーや動物のぬいぐるみなどは、持ち歩くにも使うにも邪魔にならないのだろうかと要らぬ心配をしてしまう。

先日朝起きて何気なく庭を見ると、芝生のまん中に何か落ちている。拾ってみると、まさにそんなジャラジャラだった。ストラップにくくりつけられた大分くたびれた薄茶色の熊のぬいぐるみが朝露に濡れて、上部には二つ三つ、腰下げ風の光物もついていて、一つは手作りの手芸品らしきものも見える。庭の真ん中だから、落し物ではない。誰かが入って来て置かない限り、放り込まれたとしか思えない。うちの裏の遊歩道は近くの中学の通学路でもあるし、友達同士ふざけて放り込んだのかなと考えて、見えやすいように裏木戸傍の立ち木の枝に引っ掛けておいた。

ところがである、翌朝見るとまた庭の真ん中にそれが転がっている。しかも出入り口からは遠い、全く昨日と同じ場所なのだ。悪戯だろうが、しつこいなと思いながら、こちらもまた昨日と同じ枝にかけておいた。

そしてそんなことはすっかり忘れて今朝になって何気なく見た庭の同じ場所にまた同じものが。まさか三日続けて、とあきれると同時に嫌な気分になった。意図というほどの意図もないのだろうが、一体何を考えてこんなことをするのだろうか。理解に苦しむような無意味な行動をとる人はたまにはいるものだが、もしかしたら最近若い人たちにそんな人が増えてきているのではないかと薄気味悪さも感じてしまう。

今朝はもう拾ってみようと言う気も起らず、そこに放ったままにしておいた。捨ててしまえば簡単なのだが、今度は他の人目に付きやすいところに置いてまた攻防戦を繰り広げてみようかという気持ちもある。

夕方になってその通りにした。さて明日がお楽しみ。

後記:
前日までの場所にはおかず、ちょっと離れた植え込みの上においたので、気が付かれなかったのかそのままで何日か過ぎたが、今度ははまた庭に違ったものが投げ込まれていた。紅い毛糸のボンボンのような玉、何かから引きちぎられたようなものが、紐をつけたまま。多分同じ人物のしたことだろう。また表の木にぶら下げておく。1月28日

こんな時代

2010-01-20 23:45:51 | 験す
午後3時ごろ、電車に乗り込むと空いた車輌に10人ばかりの小学生と乗り合わせた。男女それぞれお揃いの制服を着込んで、学校のマークと見えるローマ字の一文字が付いたランドセルがまだピカピカで多分一年生位とみえるのが、私の隣にズラッと並んで何やら楽しそうにおしゃべりをしている。あまり可愛らしいので、いつもの癖で一番身近にいた女の子に話しかけた。

「何処の学校なの?」と聞いたが何の返事もなかったので、もう一度聞いてみた。するとその子は知らん顔をして何やら落ち着かないそぶりをみせた。「あー、分かった。知らない人と口を聞いてはいけないのね?先生にそう言われてるの?」と聞くと、そうだとも言わず、うなずくでもなく曖昧な態度。でも顔は明らかにその通りと言っている。こちらもこれ以上困らせる気はないので話はおしまいにした。その子は隣の男の子達に覆いかぶさるようにして何やらヒソヒソ言うとその席を離れてしまった。

懲りない私は今度は男の子に向かって「一年生?」と聞いてみた。案の定その子も知らん顔。分かった、わかった。もう何も聞かないよ、と私は心の中で言った。相手を見て判断してよ、と注文するには幼なすぎる。それに自分で知らないだけで結構こっちの人相が悪かったりして・・・多分私立の小学校だから、殊更誘拐などの事故を考えて、学校も家庭も自衛手段として止むを得ないしつけのだろう。これだけでなく、最近はウォーキングの途中で出会う保育園のおチビサンたちにカメラを向けるのも注意しなければならない。実際、付き添いの保母さんから撮影を断られた事もある。こんなご時勢になってしまったのだなとつくづく味気なく思う。

しかしいつぞやは、やはり偶然電車で乗り合わせたドイツ学園の子ども達との賑やかな出会いがあったこともある。途中から先生も一人加わった事もあって、別れ際には子ども達がお別れの歌までうたってくれてとても楽しかった。あんな風に小さな子供と話し合うのが好きなだけなのだが、時には胡散臭い年寄りと敬遠されても仕方ないのかもしれない。ちょっと淋しい。

年明け早々

2010-01-10 22:56:20 | 験す
正月2日に電話があった。小学校の同期のT君で、毎年同期会には顔を出す人だ。何事かと思ったら、昨年秋の同期会の折の記念写真と報告がまだ届いていないと言う。万年幹事でもあり、写真係でもある私は写真を大きく引き伸ばし、一人ひとりの顔とつき合わせて確認し、数も確かめて発送した筈なので、大いに不審に思ったが、届いていないというからには仕方がない。直ぐ同じものを作って送る事を約束して、その日のうちに投函した。すると何と早い事に翌日彼から受け取ったとの電話がはいった。そしてやはりこれは去年貰っていたことに気が付いたと言う。自分もすっかりボケてしまったと、しきりに謝罪の言葉を述べた。出した筈と言った私に「あんたぼけたんじゃないの」と軽口を叩いたのだから、「ぼけていたのは自分の方だった」と平謝り。私としては咎めだてする気持ちなど起らなかったし、自分も最近は失敗が多く、お互い様だと答えた。

それに今回は自信があったので謝罪の電話は意外だとは思わなかったし、むしろ自分の間違いを直ぐ知らせて謝ってきたT君はえらいと思った。黙ってそのままにして置けたかもしれないのに。正月早々の一騒ぎだったにも拘らず、何だか晴れ晴れと好い気持ちだった。

4日の朝郵便局から荷物が届いた。何かと思ったらT君から謝罪の言葉と共にお菓子が一折。これが年が明けてから僅か三日の間に起った一つの出来事のすべてです。

2010年

2010-01-07 18:46:56 | 験す
今年もつつがなく平穏無事にお正月を迎える事ができた。三日は子どもら二家族が訪れ、総勢12名と一匹の賑やかな新年会になった。毎年この家に来てはくれるが同じ日、同じ時刻に集うのは近年珍しい事だった。食べ盛りが沢山いるので、おせちを用意し過ぎたか、今年は大分余ってしまった。

一番小さいのが、普段兄弟に余り協力して貰えないからせめて今日ばかりはと持参した人生ゲームで随分と盛り上がっていた。傍で聞いているだけでも以前のものとは大分様子が違って、飛び交うお金も億と景気がよいし、世相がそのままで面白かった。

途中子どもらに阿弥陀くじを作らせて、くじ引きでまた盛り上がった。私が日頃から溜め込んでいたささやかな景品ばかりだが、中にたった一つだけ大当たりの「科学もの」を加えておいたがそれがうまいことに一番適当な高1に当たった。電子回路を組み立てるキットで、そんな事が得意と言う本人は大喜び、ほかの皆も納得の結果となった。

年に一度の全員集合の記念写真をセルフタイマーで撮る。これだけの人数だと誰か一人は変になったりしてなかなか好い写真が撮れない。何べんもやり直したり、おしまいには全員変な顔バージョンと言うのも撮って大笑いだった。後片付けは手が多いので殆ど助けてもらえるが、前日からの準備もあって、やはり家庭新年会となると主婦は大いに疲れる。もうあと一回ぐらいでホストは引退すると宣言して皆を送り出した。