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くさぶえの道

身辺雑記 思い出の記

修善寺物語 それから 青空文庫

2015-06-16 00:33:23 | 読む
学校時代のクラスメートによる「修善寺物語」について色々思い出しているうちに、肝心の筋書きを殆ど覚えていないことに気が付き、この本をもう一度読んでみたくなった。そこでインターネットの青空文庫の中にあればよいがと思いながら、岡本綺堂で検索したところ有り難いことに、直ぐダウンロードで読むことが出来た。

読んで最初に驚いたことは,この戯曲は文語体のものだったのだ。我々の世代はそんなものはモノともせず普通に口語調の劇に仕立てていたと言うわけだ。まだ文語体に慣れていた世代だったのかもしれない。考えてみれば、今でいう中学の三年生なのだが、入学して一年余りで普通授業はなくなって学徒動員で工場通いとなり、学校で授業が受けられるのは週にたった一日だけと言う有様のまま終戦を迎えた我々は、貧弱な学力で学年だけは一年上がったと言う事なのだが。

兎に角読んでみればなかなか面白い話だった。そして私の記憶違いも発見した。

あらすじを言えば、修善寺に住む名だたる面作師、夜叉王が源頼家の面作りを受注したものの、仕上がった面がどうしても死相にしかならず、不満足な出来だからと言って引き渡しを拒むのだが、頼家は自分に生き写しの傑作だと言ってすっかり気に入り、無理矢理引き取るところから話が始まる。夜叉王には娘が二人いて気位の高い姉のかつらがその機に自ら進んで頼家のもとに側女として入るという話が入る。それから間もなく頼家は北条軍の夜討に合い討ち死にするのだが、その時若狭の局となっていたかつらが、例の面をつけて頼家の身代わりとして戦い、深手を負って父夜叉王のもとにたどり着く。だがその甲斐もなかった頼家の死をそこで知るのだが、夜叉王はあの面がどんなに打ち直しても死相にしかならなかったその意味を悟って、自分の腕の自信を取り戻したのだった。そして苦悶の表情の面を打ちたいと、死に瀕したかつらの顔のデッサンを始めると言う鬼気迫る壮絶なシーンで幕が下りる。

歴史に弱い私の可笑しな記憶違いは、かつらの出世ネーム若狭の局を巴御前としていたこと。

それにしても、書店で探しにくい古い本は(版権切れならば)青空文庫の中に探せば沢山隠れているようだ。何と便利で有り難い世の中になっていることか。しかも無料で。勿論これは大勢のボランティアの方々の努力のお蔭なのです。

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