もちろん家計は火の車

読書と映画、クルマにゲーム……いろんなものを愛しつつ、怠惰な日常を送るオッサンのつぶやき。

いま何かと話題の「体罰問題」について、いろいろと思ったことなど。

2013年01月18日 | ニュース

顧問教師による体罰を苦にして、大阪市立桜宮高校のバスケ部員が
自殺した事件をうけ、あちこちで「体罰の是非」をめぐる論議が加熱している。
この問題、いろいろ微妙な部分があって一概に「こうすべきだ!」と
断言できないのが難しいところなのだが、ちと思うところなど書いておく。

まずもって、最初に「ブログ主の考え」を示しておくと……。
そもそも「教師による体罰は絶対に許されないのか?」という部分につき、
「必ずしも、そうは言えないのではないか?」というのが、個人的見解である。
このように書くと「オマエなに言ってんだ、とんでもないぞ!」なんて
批判の声も聞こえてきそうであるが、まぁ、それはそれ。
あくまでブログ主の「個人的見解」の問題なので、少なくとも
「わたしはこう考えています」ということで、話を続けさせていただく。

この「体罰の是非」という問題は、本当に難しい。
何よりも“教育”の問題であるからして、単純に「正解はこれだ!」と言い切れるものでもないし、
タイムリー&注目度の高いテーマということで、この問題に事寄せて
「ただただ注目を集めようとする輩」「個人をアピールするのが目的の輩」などが
シャシャリ出てきて、問題をいっそう複雑にしているというのが現実だ。
大阪の一件でも、例によって大阪市の橋下市長などが
問題となった市立高校に対し「入試の中止を求める」など、
あいかわらず斜め上を行く発言を連発しており、なんかもう「あ~あ」という気分だ。
試験まで「あと一か月」という段階で「入試を中止すべき」って……。
そもそも問題があるのは教師の側なのに、その責任追求のツケが
どういう理屈で受験生に廻っていくのか、そこのところがまったく理解できない。
この部分を会見で突っ込まれた橋下市長は
「たしかに子供たちに不自由な思いはさせるかもしれない」としたうえで
「この程度のことが我慢できないような人間は、大人になってもダメですよ」などと
ワケのわからない説明(弁明?)をしていた。そうするとアレか?
志望校への門戸が突如「意味不明の理由」によって閉ざされても、
それはそれで、社会の理不尽さを教える“教育的配慮の1つ”ということか……?

そもそも、国旗&君が代をめぐる一連の問題で明らかになっているように、
橋下市長のスタンスは、どっちかといえば「戦前回帰」。
とにかく「上から抑えつける」タイプの、強権的体質がウリである。
フラフラしとる若者など、バシッと鍛えねば!! ……というのが持論であったはずで、
その意味では「体罰の是非」に関して、答えはおのずと明らかなのだ。
……にもかかわらず。今回の大阪の一件では、橋下市長の発言は
最初から「これは犯罪です」「言い訳の仕様がない」「とんでもないこと」etc.……
奇妙なまでに“良識的”なものとなっていて、正直「アレレ!?」って感じだった。
あの対応は、どう考えても「大向こうウケを狙った、ただの人気取り」であろう。
昨年夏の衆院選で「維新の会」が(予想に反して?)伸び悩んだことを受け、
とりあえず大衆ウケしそうな発言を連発してみた……というだけの話である。
要するに、深く考えたわけではない、大衆迎合の単なる“リップ・サービス”。
さきの「入試の中止を求める」発言なども、
“決断力のある男”“斬新な発想力を持つ男”としての
「政治家=橋下 徹」をアピールすることが最大の目的だったものと思われ、
その意味では、振り回される周囲の人間こそ「いいツラの皮」であろう。

……まぁ、橋下市長のことなど、この際「どーでもよい」(笑)。
今回の“体罰”の問題に限らず、ブログ主が
「教育の現場って、実はいま、大変なことになってんじゃないか?」……
と思ったのには、実は理由があるのだ。
15日にNHKで放送されたドキュメンタリー番組=『クローズアップ現代』。
「生徒がつける“先生の通信簿”」と題して
オンエアされた回をご覧になった方は、おられるだろうか?
あの番組を見て、とにかくブログ主などは驚愕してしまったのである。

番組によれば、大阪で来年度から
「全国初の、教師の人事評価制度がスタートする」ということなのだが、
実はこの制度、おどろくべきことに、なんと!
「生徒や保護者が教師の授業内容を評価し、
その結果を教師の賞与に反映させる仕組み」なのだという。
番組では、制度のスタートに先立ち、大阪のいくつかのモデル校で
「試験的に」アンケートなどを実施した様子をレポートしていたのであるが、
「生徒の側が教師を評価する」という仕組み……ただただ、絶句するほかない。
大阪の場合を例にとると、具体的には
「授業内容に興味・関心をもつことができた」
「知識や技能が身に付いたと感じている」、これら2つの質問を通して、
それぞれの教師に対して「生徒の側が評価を下す」ことになるのだそうで……。

要するに、民間企業では当たり前に導入されている
競争原理に基づく“成果主義”的な人事評価システムを
「教育の現場にも導入する」という発想なのであるが、
背景にあるのは、たとえば、大阪府知事時代の橋本 徹氏(←またオマエか!w)の
「普通の保護者からすると、みんな会社勤務して
みんな人事評価で苦しんでいる中で仕事している」といったセリフに代表される、
つまるところ「教師だけが甘やかされているのではないか?」といった考え方である。

しかし、ちょっと待っていただきたい。ことは“教育”の問題である。
「生徒が教師を評価する(そして、その結果が賞与に反映される)」なんてことになれば……
当たり前の話であるが、教師と生徒の関係性に
とてつもない変革がもたらされることになるのは、火を見るより明らかだ。
番組では、生徒による“最低評価”を3回連続で取った教師には
「免職の可能性も……」なんて話も出ていたが、こうなると事態は深刻である。
この新しい評価制度が、プラスに働いているうちは良い。
指導力のある教師&頑張っている教師が「より高く評価される」なら、それは結構。
しかし……。ちょっと考えれば誰にでも分かることであるが、
この制度を悪用して、たとえば
「気に入らない教師を狙い撃ちにして攻撃する」
「なにかと口ウルサイ教師の評価を意図的に低くする」といった
行為が「ぜったいに行われない」と、誰が保証できるだろうか……?

番組内でも、そのような観点から、モデル校の校長が生徒に対し
「(制度の趣旨を踏まえ)一人ひとり責任をもって回答してください」と
説明するシーンがあったが、あれなど、文字通り「絵に描いたモチ」そのものだ。
「制度の趣旨を理解し、責任をもって教師を評価する」なんてのは
結局のところ、教師によって高評価を得ている“良い子”のすることなのであって(笑)、
問題となるのは、教師によって厳しい指導を受けねばならないような“悪い子”である。
おそらく、そのような“ワル”に限って、いわば「憂さ晴らし的に」
自分たちを厳しく抑えつける教師を厳しく採点する……なんて行為に走るのではないか?
例えは悪いかもしれないが、要するにこういうことだ。
仮に警察官の評価を「ドロボウが下すようにした」場合……。
ドロボウからすれば、「自分を見逃してくれた警官=よい警官」ということになるが、
世の中に「そんなアホな話がアリなのか!?」って話である。
この場合、ドロボウに対し「社会の平穏を維持する警察制度の趣旨」を説明し
「ドロボウを厳しく取り締まる警官を高く評価するよう」指導したとして……
はたして、その評価システムはまともに機能するだろうか?

NHK『クローズアップ現代』の中でも、このような部分を受け
ゆれる教師たちの姿が描かれていた。
ある若手教師は、テストで簡単に解ける問題を出題すれば
「生徒からの人気が上がるのかな?……と思ってしまう瞬間がある」と語っていたし、
番組の中で「生徒にとっては、ちょっと煙たい存在です」と紹介されていた
生活指導担当の体育教師(笑)は
「キリスト様じゃないので、万人の人に好かれるわけじゃないので。
(自分のことを)嫌いなやつもいるでしょう」と、どこか割り切った表情だった。
ちなみに書くと、この生活指導の先生というのが
「短髪コワモテ&ジャージ姿&小太り体型」という、
ウルサ方の体育教師を絵に描いたような“典型的キャラクター”(笑)で、
密着取材した映像の中でも、授業中にマフラーを取らない生徒に対し
「そこまで寒くないやろ。マフラーとっとけ!」と指導しているシーンが映されていた。
この体育教師など、ストレートに書いてしまえば、おそらく
「生徒からは、あまり人気の高くないセンセイ」であろう。
でも……いいトシした大人であれば皆わかることと思うが、学校という場には「なくてはならない存在」である。
「キリスト様じゃないので、(自分は)万人の人に好かれるわけじゃない」という、
あの先生の言葉……。その言葉に秘められた責任感、使命感といったものを、
新しい「生徒による人事評価システム」は、どのような形ですくい上げるのだろうか?

……とにかく。何が言いたいのかというと、
いま教育の現場では「透明性の確保」だとか「民間並みのサービス向上」といった美名に隠れ、
とんでもないレベルの“破壊的改革”が進行中なのではないか? ……という話である。
おそらく、全国で頑張っている教師たちは、そのような逆風の中
“いじめの問題”だとか“モンスター・ペアレント”などと向き合っている。
こうした状況の下で、一律に「体罰=とんでもないこと」「許されないこと」と
切り捨ててしまった日には、「なにかを教育すること」
「躾けること」って、はたして可能なのであろうか……?

冒頭の話に戻ると、今回の大阪市立桜宮高校バスケ部の場合、
顧問の教師が行っていた行為は“体罰”というより、
むしろストレス解消のための(?)「私的な制裁」といった色が強い。
ことが“体罰”ではないだけに、このことをもって
「だから体罰は許されないことなのだ!」という結論まで
一足飛びに進めてしまうのは、ちょっと違うのではないか……という気がする。
もちろん、“体罰”と“私的な制裁”を区別するのは難しい。
しかし……。その難しいところを、なんとかせねばならない。
少なくとも、正式にスタートした日には「大混乱が必至」と思われる
「生徒による(教師の)人事評価制度」をうまく運用するよりは
容易なのではないか? と思うのであるが……どうであろうか?

もちろん、教師による体罰は、ないに越したことはない。
でも……一律に「体罰=絶対ダメ!」ということにしてしまった場合、
そのような決断が持つ弊害についても、真剣に考える必要がある。
かけがえのない生命をはじめ、生徒のことが大切なのは、当たり前。
しかし、「生徒のことを大切にする」ことと「教師の持つ力を削ること」が
必ずしもイコールではない……という事実は、無視するべきでない。

また、言うまでもないことであるが、例の「大津・イジメ自殺隠蔽事件」に見られるとおり、
全国の教育関係者(の一部?)に、本当に「どーしようもないような連中」が
混ざっているのも、間違いようのない事実。誤解のないよう書いておくと、
ブログ主は、別に学校の教師を擁護したいわけではなく、
そういった連中は、むしろ「バッサバッサと成敗すべき」と考えている。
しかし、そのような問題と、今回の“体罰”の問題はまったくの別。一応、念のため書いておくものである。



PS.
あと、今回のケースに関連して
もと巨人軍投手の桑田真澄が“体罰否定論者”として
メディアに登場しているが、あの人の主張は
結局のところ「体罰は、スポーツの技能向上につながらなかった」ということでしかない。
そういう意味では、彼の主張は、問題の本質をいっそう分かりにくくしている気が。
あれって正直、どうなんだろうね……???


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