日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

撮り過ぎて

2016-08-15 23:01:51 | 日記
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らもお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。(ルカの福音書23章34節)







撮り過ぎましてご勘弁を。殆ど記録写真ばかりになりました。やはり写真に良い気候を選び、近辺に泊まり、霧や朝露、朝の光を入れたら全くちがった写真になるでしょう。こういった遠出では難しいですね。夜から出ないと。







長く来てませんと、確かここにあったと思う家屋が無くなってたりします。また前に来て、倒壊しかけていたものが、殆ど土だけになっていて、やはり寂しさがあります。前の家は前に可愛いい案山子があって案外良い写真が撮れたっけ。





「道」というテーマは遠くの追憶までさかのぼり、深い思いにさらされるのは私だけでしょうか。







喜びも悲しみも溶け込んだ道です。いつも平安は望めないものでしょうね。





道を出れば、田んぼ。そして森へ。いいですね。住めば都でしょうか。

上の言葉
(昨夜TVで戦争の実話を放送されていました。二人の贖罪というテーマです。真珠湾攻撃を指揮した淵田さんと、その攻撃に会ったアメリカのリシェイザーさんの実話です。二人とも、当時は鬼畜メ、皆殺にしてやる!という憎しみのるつぼにいました。リシェイザーは名古屋を攻撃し、やがて中国で日本兵の捕虜になります。多くが処刑され、彼と少人数が惨い仕打ちを受けながらも生きて、仲間の葬儀を赦されました。聖書が要り様で、日本兵の青田という人が聖書を貸してくれました。リシェイザーはむさぼるように聖書をよみました。そこで、このルカの福音書から十字架上のキリストの言葉「父よ、彼等を赦したまえ。彼等はなにをしているのか解らないのです」の御言葉でした。

そうだ、我々も日本人も何をしているのか解らないのだ!と解り、罪を悔い改めました。憎しみでなく愛で接していけば日本兵も変わっていきました。終戦になり、彼は神学校へ行き、宣教師として日本伝道に努めたのです。何と真珠湾の指揮した淵田も過去の英雄は、終戦になれば、反対に職業軍人が指揮したから、我が国が滅んだと非難されるしまつ。異人へのそして日本人への憎しみにさいなまれていました。奇遇にも淵田も聖書に会い、この「父よ彼等を赦したまえ」の御言葉に会い、日本もアメリカも解らなかった。自分を悔い、アメリカへわたり、謝罪と伝道の旅をして伝道者になっていました。

やがてリシェイザーと淵田は会い、同じ「父よ彼等を赦したまえ。彼等は何をしているのか解らないのです。」の御言葉で伝道者になったこの神様の導きを喜び、感謝しました。

無理解は増悪を生む。。。その通りです。
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