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うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

松本清張の「小説日本芸譚」

2013年01月01日 06時08分14秒 | 活字中毒の日々、そして読書三昧
あけましておめでとうございます。1月1日の今日は、まず、読書ネタから始まります。
 ここでは、松本清張の短編集である、「小説日本芸譚」のなかから 世阿弥 のことを取り上げる。内容は極めて分かりやすい、これも松本清張の才筆の賜物と言えるかもしれない。今まで現代物はいざしらず、わたしは、時代考証とは別にその人間模様の真実味に疑問を感じ松本清張の時代物の小説は忌避していたものである。ついでに言うと、あの、司馬遼太郎のベストセラー小説も平板であり猥雑で複雑怪奇なリアリティが描かれておらず、ほんとかいなといかがわしいものだと以前から感じている。読んで分かりやすくて面白ければいいってものでもないだろう。
 それはさておき、世阿弥の「花伝書」は世間の一般常識的には大仰な話題に思われるかもしれないが、以下の記述には、技をなりわいとする人間の老年期に至った心境に触れていたので抜き書きしておく。素直に理解できて、なんとなく、熟読玩味したいセンテンスだ。 
 

 「花伝書」
  能はさがらねども、力なく、ようよう年闌け行けば、身の花もよそ目の花も失する

 もしこの頃まで失せざらん花こそまことの花にてはあるべけれ

 まことの花の残りたるしては、いかなる若きしてなりとも勝つことあるまじき也

          
 

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