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うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

宵の内、まだ三日月が見えぬ・・・・・⑲

2006年09月24日 19時02分14秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 日が落ちると、わが家の庭のこぶしの大木ではこおろぎが喧しい。そのな
 かで、はて三日月はと探すが、見えない。そうか、もう少し待ってみるか。
 ところで、下の句は20数年前に親戚の叔母の葬儀にあわただしく帰郷し
 た時のもの。東北本線の小駅での感慨を表現した。

 故郷にて
 ・萩咲きて 鈍き鉄輪今は昔


 きょう、今度、自然観察会に予定している会場を5時過ぎに廻る。
 稲刈りはほぼ終了、田んぼの畦道には、そこかしこに赤い彼岸花が群生す
 る。今はすっかり日本人の農村景観の原風景になり、なじんでいる。
 これはたしか、救荒・薬用植物として中国から移入されて日本全国で繁殖
 したとされている。完全な帰化種のはずである。
 以下の句はかつて作ったものだが、そのエリアだけ見ていると絵画的なイ
 メージを与えるのは今も同じである。

 ・ひしゃげて陽を落とさん 彼岸花

 ・秋色に 真っ只中の曼珠沙華


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仕事の途中に・・・・・⑱

2006年09月20日 04時20分18秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
  夏も終わり、すでにうらぶれていく秋の寂寥の影を感じて、センチメン
  タルな気分で詠む。

  ・ビルの前 鈴懸の葉を散らし 暑き朝

  ・窓外に すすきの穂いでし 憂愁
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彼岸の入りを前に・・・・・⑰

2006年09月17日 05時42分49秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

   子供の運動会にて
  ・子等の背に 葉鶏頭燃えて猛き声

  ・児のもの言いに冷や汗かきて秋深まる

  ・真空に平原の稲穂稔り 生きてひとり微笑まん

  ・夜道往く 何を惑うか下弦の月

  
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旅先でのつぶやき・・・・・⑯

2006年09月03日 18時49分44秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
  先日、出張先での業務が早めに終わり、数日来続いているひどい雨降りの
 中を市中心部にある美術館へ足を運んだ。

  「ぼくらの小松崎茂展」を見るためである。これは日本各地を巡回展示中
 のものでたまたま開催期間のタイミングが合ったのである。
  小松崎茂という名前は、太平洋戦争直後生まれからいわゆる団塊の世代周
 辺には懐かしい響きを持つ。少年時代の漫画雑誌の表紙、口絵、絵物語、プ
 ラモデルの箱絵、特にSF未来物,戦記物では戦闘機・戦車・軍艦などに大
 きな夢を与えられて育ったものだ。
  東京の南千住に生まれ千葉県柏市内に移転しているが、そのあいだに大量
 の作品群を残していたが、大変、ご長命で2001年86歳になくなるまで画業は
 続けた。

  会場では、スケッチや原画などをを5階から4階へと見てまわる。わたし
 はそうだよなあ、となつかしく甘美にその描写・タッチをながめ昔を想い起
 こしていた。
  やはり、過ぎ去ったものはいつも美しいのだろうか。


  唐突ながら、ここで収録洩れの駄句2句。

  ・窓の闇 相恋うがごと さぎ草

  ・京都、桂離宮を訪れて、
   嵐山 川辺にて三十年吾が言に驚く
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爽秋のよしなしごと

2006年08月27日 07時23分10秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

  今朝はめっきり涼しい。わたしの机のそばの文書決済函にわが家の猫、ぼ
 んちゃんがひさしぶりに四角くはまり寝そべっている。動物は正直だ。いつ
 もは暑苦しいのでリビングの木貼のフローリングで寝るくせに。しかも珍妙
 な体勢で。

  この間、やっとここ一ヶ月のスケジュールがかたまった。業務的には8/31,
 9/1と北九州の本社、 6,7,8の三日間は福岡市内の展示場での説明員役、初め
 てである沖縄県浦添市に屋上緑化デザインの打ち合わせで12から14日の間に
行く。また27日にはリーダーをつとめる大阪支店でPJ会議開催の予定。
  地元では理事長職として、9,10 に施設管理組合の地上波デジタルテレビ
 放送対応に関する説明会と定期理事会がおこなわれる。30日には「八街まちづ
 くり市民会議」があり、今回はわたしが講師となり近くの谷津田を会場にして
 ‘里山の暮らしと自然’をテーマで野外観察活動がある。

  へそ曲がりのわたしのことだから、忙しいとかスケジュールが詰まってい
 ることが良いことだなんて思わない。また、仕事が全てだなんて思わない。過
 去に数々の職歴を経ていたり、また自営してみたりの経験もある故か、年齢的
 にもそう思う。今さら、いきがる立場、性格ではないだろう。
  自分でアイデアを出して決めた行動なり与えられた目標に、ただ、その都度、
 最善の方向性を検討しこつこつ積み上げていくだけである。

  タバコ喫みには厳しい世の中になっているが、勤め先の近所に喫煙場所があ
 り、早朝、わたしはいつもそこに立ち寄る。そこに7,8種類の品種の朝顔が30株
 程度植えられた白いプランターが道路に沿って置かれている。おなじみの紫・
 ピンク・水色の花の色のほかに純白のが混じっていて気に入っている。結実し
 熟したあかつきにはぜひ種子をいただきたいと思っている。
  そうかもうすぐ、実りの秋になるのか。
  まとまりの付かない日常を送る、わたしにとっていささか心騒がしい心境で
 ある。

  ・一服し 朝顔そそりて 肌温し

 


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本村洋さんのこと

2006年08月20日 19時16分16秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 本村洋さんのことに触れてみたい。
 7年前に、瀬戸内海に面した山口県光市にお住まいの、新婚生活を送っていた本
村洋さんの家庭でその事件は起きた。未成年の男性に、真昼間に奥さんと一歳前の
の赤ちゃんがいきなり殺害された。やがて、刑事裁判が始まり、ひとり残されたご
主人は控訴審である裁判をを傍聴し、あまりにも理不尽な対応(法律、裁判、被害
者救済)に社会的な活動を始めている。
 今日のYAHOOニュースによると、本村洋さんが書かれた本、「天国からのラ
ブレター」を脚本にして、山口円という若い女性監督によって映画製作が進行中と
いうことである。
 わたしは本村洋さんはテレビの画像でみているだけであり、もとより面識がある
わけではない。

 このブログでは北朝鮮、靖国神社など、時事・社会問題に類することは触れない
ように避けてきた。というのは身近な問題じゃないと確かなことは言えないという
考えがあったからである。私的な領域でさえ解決できずにいる問題があるのに。

 しかし、この事件には少々関心があるので、これから折りをみて、顛末をたどり
取り上げていきたいと思う。

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往く夏、惜しむ夏・・・・・⑮

2006年08月19日 10時19分39秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
  
  北国生まれのせいか、わたしは、春夏秋冬のなかで一番夏が嫌いなは
  ずなのに書きなぐった過去の詩歌集ではどういうことなのか夏を主題
  にしたものが多い。下の句はまだ感性がのびのびしていた頃のものか。
 
  ・愛しきを 胸とどろきて昼花火
 
  ・突き抜けし青空にほうづえ 昼花火

   お台場海浜公園にて、
  ・若き語らい 見晴るかす未来の
         くらき磯砂を踏みしめる
             すおう色の夕暮れ


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終戦の日に・・・・・⑭

2006年08月15日 19時08分05秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
  この間、立秋を過ぎて今日は終戦記念日。はっきりしない空模様である。休み
  の日ではあるがだらだらといぎたなく、リビングと2階のベッドで過ごす。
  今日の生産的なことと言えば、庭に出て、サルスベリの幹皮剥がし・不用枝の
  剪定、佐野桜の伸びすぎた枝の切り詰め、シダの除去など、それに花茗荷14ケ
  の採取の小作業のみである。

  先日、畑村洋太郎の「起業と倒産の失敗学」を読み終えたが、上手くまとめてい
  るなあ、と味気ない感じがした。数ヶ月ぶりに、いったんやめていた山本七平
  の戦争物「一下級将校の見た帝国陸軍」を読む。この本はなんども読み返した
  ようでもあるのだが、次第にのめりこむように読む。相も変わらず、わたしは
  山本七平フリークのようだ。読書時間不足もあるが、最近中身のない本が多す
  ぎるせいだ。
  しかし、こんな休みの日々にも、戦争に限らずどんな悲劇が起きるかも知れな
  いし起きないかも知れない。

  以下に、過去に詠んだ駄句、3句を掲載する。


  ・碧空 永遠にとぞ思う哉入道雲


  天王洲アイルにて
  ・百日紅 焔あげたり台場跡
 
  ・潮満ちて 合い間にざわめく納涼船


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残暑見舞い・・・・・⑬

2006年08月14日 06時01分16秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

 ・うろこ雲 見果てぬ夢を念じおり

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ある忘れ物のお話

2006年08月13日 06時17分52秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
  電車内の網棚に忘れ物をした。そこで昨日の10時過ぎ、二つ先の終点のN駅
 まで受け取りに行く。
  ものは設計メモ、資料・その小道具を入れてある空港売店でもらった紙袋ひと
 つである。自宅に着きクルマから降りた時に気付いたもの。

  以前に同じケースがあったのは、わたしの記憶では5,6年ぶりだろうか、他
 人様(ひとさま)には分からないだろうが当人にとってややショックである。

  10年以上前に、当時の会社で都内大田区の洗足池の畔で,御茶ノ水の専門学
 校の造園デザインを専攻した女性新入社員の歓迎会を兼ねサクラの花見会をおこ
 なった。その帰り道ひどく酔っ払い、前後不覚になりショルダーバッグを失くし
 た。翌日になり気付きあっちこっちと駅などに連絡したがとうとう出てこなかっ
 た。中にあった単行本やファイル、手帳、カード類、小銭入れは別にそれほど惜
 しくはなかったが、実は大学ノートに日記風に記録したものの紛失が残念であ
 る。現在、二十才台から連綿と続けてきて12冊目になるが、その時の年代のも
 のが欠けたままである。
  ところで、それから、ちょうど携帯電話が出始めの頃、3年ぐらい経過した夏
 のはじめに都内の代々木上原で見つけた人から預かっている旨連絡があり、お礼
 用にビール券を用意し慌てて駆けつけたら、その質素な身なりをした、実直で小
 柄な自営しているらしく見える中年男性が用務先の近所のごみ置き場で見つけた
 ものらしい。わたしは感激していたが、埃まみれになったショルダーバッグには
 メモ程度しかなかった。
 (わたしの仕事上の癖で当時は何かあった事態に備える為に、常時持参してい
 た、封筒入りの退職届は残っていたのですが。しかし、これにはさすがに窃盗犯
 罪的には手を付けかねたらしい。)
  という訳で、それ以来、電車内では鞄は身につけるか膝の上に置き、荷物は両
 脚の間に置くなど必ず身体に触れさせている習慣ができていたのだ。

 

  突然ですが、あるべきランドスケープデザインについて、経験上感じたことな
 どご意見がありましたらお寄せください。お待ちしております。
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夜明け前に・・・・・⑫

2006年07月28日 04時54分01秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

  思いついて、夜明け前に昔作った3句を採録する。
 
  
  ・授業参観にて
   教室にわがいとし児等うつむきし
          風吹き渡りて顔膨らみたり

  ・登別温泉、
   宿の湯気 まみえし竜胆犇とたつ

  ・古里にて
   山羊たちの 鉄路を跨ぎ 夏草を食む
  
  
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今日は大暑、梅雨明けはまだか

2006年07月23日 07時40分58秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
 
 
  今日は大暑、梅雨明けはまだか。
  昨日は九州からとんぼ帰り同然だ、相も変わらず片付かない日々が続く。連綿
  とした日常に折り重なるように新たな用務がかぶさってくる。つまり、慣れな
  いでいる。

  昨日は早朝3時に起床、ホテルのメモ用紙に書き付ける。
  「一番、大変なこと、苦痛であることは自己に立ち向かうことだ。それに向き
  合うことだ。
  アイデンティティクライシスと言うものか。納得することと同意義だが、それ
  を解決するにはある特殊な人生経験が要るようだ。
  日常の瑣末事(生活に必要なことではある、無論)に紛らわせればいいが、な
  かなかそうも行かない。
  回復、自分の生き方(G・W、仕事も含む)と現在の仕事とのあいだの遠近法を
  整備すること。
  薄い日の出とともに、東南東の方角に朝もやと低くかぶさったむら雲に連なり
  小さな山々が窓外に見える。空路、北九州の小倉まで来て、やわらかい山の端
  に、はたしてここは信州の盆地かと錯覚する。手前には山陽新幹線の線路があ
  り、わたしは時折り行き交う六両編成の情景、その走行音に耳を欹(そばだ)
  てている。
  去年の今頃は一体何をしていたのだろう。」

  所詮は、うわごとである。

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七夕も始まり小暑を過ぎて・・・・・⑪

2006年07月09日 06時51分34秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
  
  
  明日から四泊五日の出張だ。相変わらずわたしの頭の中は混濁し明瞭ではな
 く、生活のリズムは安定していない。とりわけ頭の中と財布の中身が忙しい。
 パソコン用語で言うデフラグ、カードのご利用明細書の照合整理、のあわただ
 しい状況を呈している。
  ということは、既に心は浮遊していることになるのか。
  今日も、休日だというのに検討事項をいっぱいかかえた施設管理組合の理事会
 がある。
  さてさて、それはさておき、めぐって来る季節の折節では、七夕も始まり小暑
 を過ぎている。人事も時節につれ変転する。今年の梅雨明けはいつぞや。

  かつての俳句5句を書き出す。その内、3句はオーストラリアで詠んだ。
 時期は腰椎椎間板ヘルニアなる病気で退院直後のことで、コルセットを装着し
 て旅行に参加した。一種異様な感情の高揚感にあったことが想い出される。ち
 なみにオーストラリアは南半球なので季節感覚は反対になる。

  ・くちなしの宵闇の駅へ降り立つ
         アラビア語の綴りてあり 待合室


  ・山深き 熱気たゆたう 合歓の花


  ・オーストラリア海外研修、パースにて
   スワンの畔目を凝らして立つ サザンクロス 
        
  ・フリーマントルにて
   かつての騒ぎを印し 白き砦

  ・メルボルンの街中にて
   たそがれて鈴懸の葉を踏めるメルボルン

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梅雨の合い間のつれづれに・・・・・⑩

2006年06月25日 08時00分48秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
  
  梅雨の合い間のつれづれに、過去につくった俳句を四つ披露する。

  ・五月闇 このようにあれ黄泉の国

  ・諏訪に招かれて
   さわらびの大社を訪うせせらぎのもと
           莞爾とうべなう万治の石仏

  ・十勝川モール温泉にて
   湯治場に十勝の川風や
         漆黒の闇を従いつる蝦夷山桜

  ・鹿児島、屋久島にて
   濃き静寂 賢げもなくおられたり
         どんと迫れる縄文杉
   
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夏至の当日・・・・・⑨

2006年06月21日 04時50分01秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ
  
   6月15日早朝、東北の一寒村で百姓の小倅として育った遠い記憶を、
  前回と同様のロケーションとタイミングで一気に三句を詠む。

  ・梅雨冷えやわだかまりを捨つ 家を出る

  ・泥の香へ 水面につくばう あめんぼう

  ・青苗の すっくと立つ 夏至近し

      
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