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萌えるゴミ

幸せの概念

2006年11月14日 | 舞台・映画・ツ氏
古くからの友人が色々あったけど今は幸せだと言っていた。

その友人とはまだその子が小学生くらいからの付き合いで、本人が「色々あった」と言うだけの苦労をしてきた子だ。本人にはどうしょうもない環境、それに基づく周囲の対応。子供は敏感で時に残酷だから幼い頃は特に辛かった事と思う。
辛い毎日に自暴自棄になった事もあっただろう。
でも彼女は乗り越えた。

それは自らの不幸な環境に胡座をかかずに内省しつつ出来る範囲で自らと環境を少しづつ変えた彼女の努力だと思う。

成長するに従って環境も少しづつ変化したし、躓きながらも心開ける友人も出来た。

今の彼女の生活がただ安穏としている訳では無い。
今でも色々な事で悩んだり苦しんだり、涙したりしている。

でも彼女は幸せだと言う。
どんなに恵まれた(と他人には見える)環境に合っても本人が納得していなければそれは幸せとは言えない。恵まれている事に気が付かなければそれまでだ。

~して欲しい。
~してくれないから。
ては無く
~してあげたい。
と思える人は幸せのカケラを上手に見付けられるみたいだ。

そこに在るかもしれない幸せのカケラに気が付かずについ遠くの絵に書いた見たいな幸福を渇望してしまいがちだけど、いろんな事に感謝する気持ちを忘れずに辛かった事を糧に出来るような、そして大切な人を大切にできるって事が幸せなんだろうな。
僕にはそう感じられた言葉だった。