カメラを振り回す生活をしていると、
その辺の事情をよく知らない方から言われることがある。
好きなことやって収入を得られるんだから仕事にすればいいんじゃねと。
カメラを振り回しているからと言って写真が好きとは限らない。
カメラを振り回しているからと言って撮影が好きとは限らない。
私の場合は、今できないことをどうやったらできるようになるか?。
それを突き詰めることそのものが好きなのであって、
今はその目的を果たす手段が、たまたまカメラを振り回すことになってるだけで、
それがない場合はカメラを振り回す気にもならない。
同じ場所であっても課題があるうちは通うが、
新しい知見が得られなくなれば、その場所に興味は無くなる。
それがいかにきれいな景色の場所であってもだ。
撮り慣れてくるとルーチンワーク化してくる。
いわゆる作業と言うやつだ。
カメラを振り回すことが作業の域を出ないようになったら、
すっぱりカメラ趣味を辞めるかもしれない。
話が逸れたが
自分が好きに撮った成果物を勝手気ままに売って食えればいいが、
皆さんの家に他人が撮った写真があるかな?
ないっしょ。
日本人はお金を出して他人が撮った写真は買わない民族なのよ。
従って、このやり方では相当凄い人でないと食えない。
それに、このやり方で成功しているプロであっても好き勝手には撮ってないと思うよ。
だって買い手が欲しがるような絵面・写真を撮らなければならないでしょ。
例えば自分はキタリスの鼻っ面だけ撮りたいと思っても、
キタリスの鼻っ面だけの写真なんて誰も買わないだろう。
一方、顧客のニーズに応えて撮る場合は顧客のニーズが全てだ。
自分が嫌いな被写体だろうが嫌いな撮り方だろうが嫌いな仕上げ方だろうが、
とにかくニーズを満たしお金をもらわねばならない。
お金を得る手段なんてもんは割り切ってやるもんである。
好きでもない割り切ってやれるどうでもいいことだからこそ、
自分を殺し、ひたすらニーズに応えることに全力を尽くせるわけだ。
(それがプライドってもんである)
これが好きなことが仕事だったら、やり方の違いとかいちいち癪に障るだろう。
カメラを振り回してお金を得るようになったら、
嫌になってカメラを辞めるだろうね。
とにかく写真(映像でもいいが)を撮ることが好きで、
誰かの希望を叶えることが自分の幸せにつながるような人なら、
あるいはカメラで飯を食っていけるかもしれない。
自分は下手なので、はなから蚊帳の外だが、
ちょっとくらい撮るのが上手くたってプロにはなれない。
むしろ撮ること以外の人間力があってなんぼ。
飯のタネにするってのは、生半可なことじゃないのよ。
ということで飯のタネにもならないことに血を流してます。
人はこれを自己満という。
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