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鍋島斉正の学制改革

2011年04月26日 | 幕末

 佐賀藩の藩士はすべて藩校弘道館に行くことができ、教育の充実こそが近代化につながると考えていたのは佐賀藩の鍋島斉正である。 儒教と武術しか教えない他藩と違って洋学を教え、子弟のための蒙養舎を設置した。 身分の低い伊藤博文や坂本竜馬は藩校に行く資格がなかったことを思えば大違いである。 佐賀藩では他国からからくりの専門家である田中久重を精錬所にまねくなど出身・身分にとらわれない実力本位の人材登用を行うなど、まさに幕府は佐賀藩を見習うべきであった。 しかし江戸幕府は外国船を打ち払え、という命令しか諸藩にはださなかった。 このようなときを少し遡ること1837年にアメリカが友好を求めてきた。 アメリカの民間船主チャールズキングは開国を求めるために日本へ向かった。 その船をモリソン号という。 そのときにキング氏が考えた手土産というのが日本人の漂流民であった。 鎖国体制の日本では、外洋航行可能な船の建造を禁じていたため、嵐などで外洋に流された場合には帰ってこれない。 こうした漂流民を手元に引き取ってモリソン号に乗せてやってきたのである。 ところが幕府はこの民間商船を砲撃して追い返した。 このようにアメリカが日本に対して初めて折衝してきたのはペリー来航の16年前のことである。 幕府の愚劣な外交政策に対して異を唱えた人たちもいた。 蘭学者の渡辺崋山らである。  彼らの主張は幕府の弾圧を受けて、著書が原因で命を落とすこととなる。 これはちょうど天保の改革の直前の頃のことである。 

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