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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

菟道稚郎子皇子

2007年05月26日 | 平安時代

菟道稚郎子皇子墓(宇治墓)

京都・宇治橋のすぐ北にある宇治天皇の陵 (撮影:クロウ)

 

 

 

                                                  春日大娘皇女
但馬清日子孫┓    宮主宅媛                    ┣橘仲皇女 
  葛城高額媛     ┣雌鳥皇女    荑媛(葛城蟻臣娘)     ┣白香皇女 
    ┣神功皇后170-269┣菟道稚郎子皇子   ┣飯豊青皇女440-484 ┣武列天皇 
息長宿禰王┃      ┣矢田皇女      ┣億計王(24代仁賢天皇)袁祁命449-498 
     ┣15代応神天皇-394(誉田別尊)  黒媛 ┣弘計王(23代顕宗天皇)意祀命450-487
14代仲哀天皇 ┣荒田皇女         ┣市辺押磐皇子(忍歯王)-456
 ┣麛坂皇子 ┣16代仁徳天皇257-399    ┣御馬皇子
 ┃     ┣根鳥皇女┃        ┣飯豊青皇女(記紀) 
 ┣忍熊皇子┏仲姫命  ┣ 17代履中天皇319-405(阿智使主、平群、物部が舎人) 
大中姫   ┣高城入媛 ┣ 住吉仲皇子(安曇連、倭直の海人族が舎人)
 品陀真若王┛┣大山守 ┣ 18代反正天皇336-410
       応神天皇 ┣ 19代允恭天皇  -453
       ┏━磐之媛命   ┣木梨軽皇子 ━━━━━━━━━━┓
  開化天皇 ┃ 仁徳天皇   ┃長田大郎女           ┃
   ┣和気王┃  ┃    ┏┃┻眉輪王┣           ┃
  鸇比売  ┃  ┣大草香皇子┣20代安康天皇(穴穂皇子)401--456┃
垂見宿禰┛  ┃  ┣若日下部命┣軽大娘皇女 ━━━━━━━━━━┛
 ┗□□┓   ┃ 日向髪長媛   ┃┣境黒彦皇子   和珥童女君
甘美内宿禰  ┃       ┗┃━┓       ┣ 春日大娘皇女
武内宿禰   ┣葛城葦田宿禰  ┣21代雄略天皇(大長谷王)418-479
 ┣葛城襲津彦-347┣葛城玉田宿禰┃ ┣磐城皇子  ┃
 ┃       ┃ ┣葛城円 ┃ ┣星川稚宮皇子┃
 ┣蘇我石川宿禰 ┃ ┗毛媛  ┃吉備稚媛    ┣ 22代清寧天皇444-484
 ┣平群木菟宿禰 ┃吉備臣┃┏━┃━┛      ┣ 稚足姫皇女
 ┣紀角宿禰   ┃  ┗田狭 ┣ 八釣白彦皇子 ┏葛城韓姫
 ┣羽田矢代宿禰 ┣黒媛 応神┓┣ 坂合黒彦皇子 葛城円  
 ┗巨勢小柄宿禰 ┗葛城蟻臣 ┣忍坂大中姫      
   ┃       ┗荑媛 ┗衣通姫(そとおりひめ)
   ┗□-□-巨勢男人-529
        ┣胡人-巨勢徳太-658-巨勢黒磨
        ┣紗手媛 (安閑天皇妃)
        ┗香香有媛(安閑天皇妃)

 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、記紀に伝えられる古墳時代の皇族で、『播磨国風土記』では宇治天皇とも云われています。 応神天皇の皇子で、母は和珥臣祖の日触使主(ひふれのおみ)の女 ・宮主宅媛である。 同母妹には八田皇女・雌鳥皇女がいる。 父・応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたが、異母兄の大鷦鷯尊(後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる皇子です。  皇太子となった翌年に天皇が崩じたが、太子は大鷦鷯尊に皇位を譲ろうとして即位せず、両者互いに譲り合っっていました。 一方、応神天皇と妃・高城入媛(仲姫命の姉にあたる)との間に生まれた大山守皇子(仁徳天皇とは異母兄弟にあたる)は、 自らが太子に立てなかったことを恨み、太子を殺そうと挙兵するのであるが、大鷦鷯尊により察知され、太子の謀略に遭って殺されます。 この後、太子は菟道宮(京都府宇治市の宇治上神社が伝承地)に住まい、大鷦鷯尊と皇位を譲り合うこと3年、永らくの空位が天下の煩いになると思い悩んだ太子は決着をつけるべく自ら果てることになります。 尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に招魂の術を施したところ、太子は蘇生し、妹の矢田皇女を献ずる旨の遺言をして、再び薨じたといいます。  同墓は現在、宇治市莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定されています。

「菟道」は宇治市の地名で、一般には「とどう」と読み、稚郎子が住んだ菟道宮は、今の宇治神社のところといい、上社も共に応神、 仁徳、稚郎子を祭神としています。 近くには源氏物語ミュージアムがあり、自然歩道のコースにもなっています。

稚郎子皇子が住んだ菟道宮があったといわれる宇治上神社(撮影:クロウ)

 

                                  宇治橋の近くにある稚郎子皇子の墓石碑    

 

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