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みどり@沖縄ウドゥイガマ 1日前
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龍馬伝では初回から登場するあまりにも汚い男、それが岩崎弥太郎 後の三菱財閥創始者である。 その描かれかたが汚すぎる・・・ということで三菱のTopからNHKに講義があったとか。 龍馬と弥太郎の明暗を協調するために汚さを誇張したのがある意味で成功、反響を及ぼしたようであるが、実は岩崎弥太郎はそんなに貧乏の家に生まれてはいない。 ある記事に面白い事実が記載されていたので紹介です。 岩崎家は上農で、弥太郎が15歳のとき田地は50石以上あったという。 年収でいうと約900万円であった。 そして弥太郎が土佐商会の参事のときには42石(1300万)、36歳の時には100石(3000万円)、39歳で三菱商会の社長になったときには月給800円(年収9600万円)になっている。 年収1300万円のときに土佐藩の公金横領3000万円を半年でしているから、その贅沢さは想像できる。 ちなみに此の後、妻・喜勢以外に6人の妾がいたが、ほとんど家に金をいれていなかったとか。 一方1850年の頃、坂本龍馬12歳の頃の坂本家の俸禄収入は10石(300万)、田畑小作収入は40石(1200万)で、これは弥太郎家とほぼ同じである。 しかし坂本家では資産収入があり、2億円相当の金をもとに利息10%で金貸しを営み、その収入が2000万円あったという。 つまり合計すると3500万の年収が坂本家にあり、土佐藩に融通していたほどである。 現代、それだけの収入がある一家はほとんどいない。 龍馬自身は亀山社中時代に1300万、海援隊時代に1800万の年収を得ていたというから、坂本家とあわせると想像を絶する収入となる。 そういった地下浪人の弥太郎、下士の龍馬が貧困であったからこそ幕末の世を変えた・・・という話はいかがなものかと感じる。 貧困の問題ではなく、その人間自身の資質の問題であるといったほうが良い。
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