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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

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妻鳥陵墓参考地

2008年05月05日 | 陵 古墳 墓 遺跡

妻鳥陵墓参考地(木梨軽皇子陵墓)

 第19代允恭天皇に関わる古墳を色々と巡ってきましたが、今回の訪問地は四国縦貫自動車道三島川之江インターチェンジのすぐ東に位置する木梨軽皇子の陵墓です。  東宮山古墳と呼ばれる妻鳥陵墓は允恭天皇の第一皇子である木梨軽皇子の墓として伝えられたもので、 急な石段を登った、山の頂上にあります。 石段入り口には木梨軽太子が詠んだ歌(古事記)が刻まれた石碑があります。

天飛ぶ鳥も使いぞ鶴が音の 聞えむ時は我が名問わさね

 

 

  被葬者である允恭天皇の皇子・木梨軽太子は、古事記では、同母妹の軽大娘女との道ならぬ恋の末、伊予に流され、太子はあとを追って当地にやってきた大娘女と心中したと伝えています。 また日本書紀では、太子が物部大前宿禰の屋敷で自決、軽大郎皇女が伊予に流されたとしています。

 東宮山古墳はまた、内行花文鏡、金銀透彫帯冠、衝角式甲、馬鐸等々目を見張る副葬品が出土し、王墓が武具の生産ないし流通に深くかかわった王族墓ではないかという意味でよく知られた古墳でもあり、陪塚とみられる近くの古墳から弥生期の銅鉾などが出土しています。


 

 

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