祖谷渓谷と平家縁の地・安徳天皇火葬場
日本三大渓谷と云われる祖谷の秘境を紹介します。 もちろん当ブログのことですから歴史的な伝承も付け加えるのですが、ここ祖谷渓谷は秘境として名所になっているだけではなく、平家の落人で有名な地域でもあります。 前々から安徳天皇火葬場があることは知っており、讃岐うどんを食べに香川へいったり、屋島地区へいったときなどは頑張って足を伸ばそうと思いつつ、ことごとく断念してしまいました。 ということで今回はこの秘境にターゲットを絞って立ち寄ってみました。 JRで伊予三島駅を降りて木梨軽皇子が眠る東宮山古墳を経由して一路秘境へ向かいます。眼下に広がるのは大歩危・小歩危で知られた祖谷渓谷です。 小歩危を横切るJR土讃線の橋梁の勇姿を望みながら祖谷そば・もみじ亭にて昼食をとりました。 もちろんほとんどの人は祖谷そばですが、私は何故か讃岐うどんを注文。
祖谷は安徳天皇を匿った忌部氏の本拠地
・阿波忌部、讃岐忌部、紀伊忌部
・中臣とともに祭祀を行う家柄であった
・天照大神が岩戸隠れのときに祝詞を唱えたのも忌部(天太玉命)と中臣
・天太玉命神社@奈良橿原市忌部町(忌部氏の本拠地)
・四国阿波を開拓(讃岐平野)して養蚕、灌漑を広める
・乙巳の変で中臣の権勢が振るったことで忌部は消滅していく
・平安時代に忌部から斎部
・斎部広成により古語拾遺著される@808年以前
・ 祖谷川上流の祖谷に入った忌部氏(日本三大秘境 椎葉村 白川村)
・剣山
・末裔には織田氏----織田軍の軍服には六芒星
・大麻比古神社@徳島鳴門----麻の葉紋
・大嘗祭につかう麻のあらたえ(神服)を作ってきた阿波忌部氏の三木家----現在は第28代当主・三木信夫氏
・平家の落人伝説の地----平知忠が安徳天皇を庇護、忌部氏が匿う 小屋の内裏
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大歩危小歩危
数キロに及ぶ渓谷を過ぎると土讃線・大歩危駅に到着します。 ここから西祖谷の方へ向かいます。 かの有名な「かずら橋」のある方向です。 また奥へ入ると平家縁の地となります。 途中には「ホテル・かずら橋」というケーブルカーで露天風呂へ案内されることで知られたホテルがありました。
人混みの かずら橋を過ぎると、一変して平家縁の地となります。 ここは平家落人伝説探訪出発点とする武家屋敷「阿佐屋」です。 現在は平家の末裔の方が住んでおられ、話を聞いてみるとこの辺一帯には約40箇所の縁の地があるとか。 ご本人は23代目の平家であるということでした。 お話の内容はといいますと・・・・「屋島の合戦に敗れた平国盛率いる面々は、安徳天皇をお護りして、讃岐山脈から阿波・吉野川を経由して、井川町(徳島)に入り、そこでしばらく逗留していましたが、さらに奥深い四国山脈の祖谷山に入ったということです。 祖谷に入った平国盛は、安徳天皇のご守護と平家の三種の神器の一つである「草薙の剣」を守りつつ、平家の再興を企ておりましたが、安徳天皇の崩御とともに、一切を断念し天皇と平家一門の冥福を祈る毎日を祖谷の雄大な自然の中で送られたと伝えられています。 国盛と共に落ち延びてきた人たちは自分たちが、平家の裔であることを隠し、自らの墓・子孫にも石碑を建てることを禁じたと言われています。」
武家屋敷・阿佐屋
阿佐屋からしばらく西へ車を走らせると安徳天皇御火葬場があります。 ここは私にとってのメインの場所です。 安徳天皇は祖谷にたどりついた後、京上に御所を完成させるが台風により流されます。 悲運の安徳天皇は「朕の行くところは、蛙の声のするところである。」と言い、平国盛は、その地にふさわしい栗枝渡という場所をさがし新御所を建立します。 安徳天皇はこの地を大変気に入りますが、平穏な日々もつかの間、病に犯されこの地で亡くなります(9歳)。側近で安徳天皇を護りつづけてきた人々は生前に楽しく遊ばれたこの地で遺体を火葬によって清め奉ったそうです。 栗枝渡八幡神社横のほこらにはしめ縄が張りめぐらされ、安徳天皇のご火葬場と言われています。
安徳天皇御火葬場