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仁和寺

2007年04月08日 | 平安時代

御室御所とも云われた仁和寺

2007年春

 昨年の秋に続いて桜の季節に訪問しようと思っていましたので、有名な「御室桜」を鑑賞しようと来てみましたが、残念ながら御室桜は蕾でした。 下の写真の向こう側の背が低い桜が蕾状態の御室桜です。 仁和寺の桜が満開になるのは4月中旬のようです。

 

 

 

2006年秋

 京都で一番平安時代を感じることが出来るところが仁和寺のような気がします。平安院政期の豪華絢爛なさまが晩秋の紅葉と相重なって絶句します。  ここ仁和寺は、宇多天皇が仁和4(888)年に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれました。 御室というのは、「皇室の住居」という意味です。 朱塗りの中門をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂の他、五重塔や観音堂等が見えてきます。 門跡寺院として格式が高く、また、「徒然草」「方丈記」など古典にも数多く登場します。

 鳥羽天皇の皇子で後白河天皇の弟・覚性入道親王は仁和寺の門主をしていましたし、兄弟の崇徳天皇は讃岐に流される前に、ここ仁和寺へ逃げ延びたこともあります。また、源義経が奥州へ下るまえに仁和寺を訪れ、門主覚性親王に会い至極のひとときを過ごしています。 そして平家都落ちの際に、経盛の嫡子・皇后宮亮経正は仁和寺の御所にいました。 ここは彼が幼い頃から修行を重ね、勉学にいそしんだ所でもあったのです。 そして経正は琵琶・青山を形見においていった。 そのときのはなむけの一首がこれである。

あかずして別るる君が名残をば後のかたみにつつみてぞおく

 仁和寺の正門にあたる二王門は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたといわれており、京都の三大門のひとつです。(撮影:クロウ)

 「大玄関」を入ると直ぐに「白書院」があり、その廊下の東側には「南庭」、「南庭」の北側には「宸殿」が建てられている。 「南庭」は右近の橘、左近の桜を配し、白砂を敷きつめただけの簡素な庭であるが、落ち着いた感じが紅葉でひきたっています。

 

 

 宇多天皇 ━┓ 
       ┣ 藤原温子 女御(藤原基経・娘)872-907東七条后、七条后
 (59代)  ┣ 藤原胤子 女御(藤原高藤・娘)  -896敦仁親王(醍醐天皇)敦実親王(孫は倫子)産む
       ┣ 橘義子  女御(橘広相 ・娘)?    斉世親王を産む
       ┣ 菅原衍子 女御(菅原道真・娘)? 
       ┣ 橘房子  女御            
       ┣ 源貞子  更衣(源昇  ・娘) 

       ┣ 徳姫女王 更衣(十世王 ・娘)
  人康親王娘┣ 藤原保子 更衣(藤原有実・娘)

     ┣ ┗ 藤原褒子(ほうし) 尚侍(藤原時平・娘)六条御憩所
   ┣━時平   

   ┣━穏子(醍醐天皇に入内)保明親王  
  基経

 また、宇多天皇は寵妃温子に出仕していた伊勢姫を奪ったことでも知られます。伊勢姫は行明親王を産むことにより一躍名誉を得ることになるのです。

        藤原温子
      ┣━━   均子内親王890-910
     宇多天皇867-931   ┣ 
      ┣行明親王 敦慶親王888-930(宇多天皇皇子・母は藤原胤子)
      
        ┣中務912-991
    ? ┃ ┏━━━━━━  元良親王(歌人)890-943
    ┣
伊勢姫872-938       ┣源信明   
  藤原継蔭    
 

 紅葉に埋もれた「白書院」、「黒書院」を「宸殿」から眺めています。 まさに皇室御所にふさわしい絶景です。 平安時代にこの絶景を最初に眺めたのは宇多天皇に違いありませんが、皇后をはじめ、多くの妃たちも眺めたのでしょうか。

 

 

 

「黒書院」から見た「宸殿」「北の庭」の眺め

 

 「宸殿」から見た「北の庭」と五重塔の眺め。五重塔の手前左には旧御室御所内の著名な茶室「飛濤亭」が見える。 因みにもうひとつの茶室・「遼廓亭」は50mほど西側に紅葉にうずもれていました。

 

 

 中門をくぐると紅葉に囲まれた正面には金堂があります。 「金堂」は慶長18年(1613年)に建てられた御所の紫宸殿を移築し、寛永の再建時に屋根を葺く材料を檜皮から寺院風の瓦にするなどの改修を加え、完成したものであるといわれている。

中庭には五重塔、観音堂、御影堂、拝殿などが配置され、紅葉にうずもれた様は心を魅了するばかりでした。(知らないお嬢さん、写ってしまってすみません)

 

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