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【イスラム-3】 13世紀 モンゴル イル・ハン国はイスラム化~17世紀

2020年12月04日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【13世紀:モンゴルの世紀】   1258年フラグがアッパース朝を滅ぼしカリフ制度が消滅する。マムルーク朝(スンナ派)はモンゴル勢力を撃退することによって、イラン近辺にイル・ハン国が誕生する。ところがイル・ハン国はイスラム化する。この時期にイスラムは東南アジアに進出し、イスラム文化ではギリシャヘレニズム文化がアラビア語に翻訳されてシチリア島やイベリア半島でラテン語に翻訳されて西ヨーロッパへ伝わる。

【14世紀:ティムールに打撃を負ったオスマン帝国(スンニ派)が復活】    この頃中央アジアではチャガタ・ハン国の軍事指導者ティムール1336-1405率いるティムール帝国が領土を広げてアンカラの戦い1402でオスマン帝国を壊滅寸前に追い込む。ところがティムールの死後はウズベク族の侵攻を受けて滅亡するとオスマン帝国は復活して。

【16世紀の全盛:サファヴィー朝は(シーア派12-イマーム)--イラン人国家】  1501年イスマーイール1世1487-1524(スーフィズムのサファヴィー教団:イスラムの神秘主義)によりサファヴィー朝が建てられアリー派を認めるシーア派に改宗し「シャー」を名乗った。絶頂期はアッバース1世1571-1629が1597年にイスファハーンという都市を建設し、絹織物やペルシャ絨毯(幾何学模様は偶像崇拝を許さず、信仰の対象となる)を流行させた。この頃が大航海時代でポルトガル人の侵攻に悩んだ。

【17世紀:アッバース朝の時代】   アッバース1世がポルトガルを撃破(オランダ全盛の時代)して都イスファハーンを建設、これが現在のイランに通じる。

以降1736年にはアフシャール朝、1796年(フランス革命の頃)にはカージャール朝が始まり、この頃にはイラン地域は英国(インド植民化のルート途上)、ロシア(南下政策の対象地域)などの大国の関心の的となる。カージャール朝はシーア派で主都はテヘラン。この頃1828年はトルコ・マンチャイー条約でアルメニアをロシアに割譲したことで産業革命の英やロシアの影響下に置かれることとなる。1848年のバーブ教徒の乱や1891年のタバコボイコット運動を経て1905年にイラン立憲革命が起きて1925年にパフレヴィー朝ができて現在のイランに至る。

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