【英によるアフリカ占領 ; 縦断政策】
1875 英によるスエズ運河権利購入
1882 英によるエジプトの保護国化
1884 ベルリン・コンゴ会議(By ビスマルク)ではアフリカ先占権が決められる。スコットランドの探検家リビングストーン1813-1873によりアフリカ大陸を横断、英のジャーナリストで遭難したリビングストーンを探しに行ったスタンリー1841-1904らの探検でアフリカの資源の豊富さが明らかになったのがきっかけである。エチオピア帝国とリベリア共和国以外はすべて植民地化される。
ベルリン・コンゴ会議(By ビスマルク)
→ ベルギー(国王:がコンゴに介入) VS ポルトガル(大航海時代から沿線の港を支配)の均衡維持会議
アンゴラ、モザンビーク → ポルトガル領
コンゴ → ベルギーの私有地
アフリカ先占権 : 先にアフリカに入った国がその地域のインフラに責任を持ち、そこを支配することを認める
1898 英によるスーダン占領
16世紀 ポルトガル@南アフリカ → オランダ@17世紀(蘭移民:ブール人) → 英@1815(ウイーン会議)
蘭人は北側へ移動@1652(トランバール共和国建国/オレンジ自由国 Byブール人:蘭系)
1889 金/ダイヤモンド産出 → 英はローデシア建国
1899 南アフリカ戦争 : 英・ローデシア(ジョセフ・チェンバレン1836-1914)が金を巡ってブール人の国を侵攻 ~1902
息子ネヴィル・チェンバレン:英首相@WW2
息子オースティン・チェンバレン:外務大臣 ロカルノ条約@1925
現在の南アフリカ連邦
チャールズ・ゴードン1833-1885 :アロー戦争では常勝軍を率いて活躍@1860
マフディーの反乱@1881 @マフディー帝国@スーダンの首都ハルトゥームで起きる
を鎮圧のためにエジプト軍の救出に向かう エジプト総督 1885 敗死
英植民地化に反対したムハンマド・アフマド1844-1885
仏植民地化に反対したサモリ・トゥーレ1830-1900@サモリ帝国:西サハラ
ひ孫セク・トゥーレはギニア共和国の初代大統領
【仏によるアフリカ占領 ; 横断政策】
1830 アルジェリア侵攻
1881 チュニジア侵攻
1898 ファショダ事件 : 英の縦断政策とぶつかった地ファショダ ~1904
1902 日英同盟 :
1904 日露戦争 : 露と仏@1894露仏同盟が背景にある
英仏協商 ファショダ事件でぶつかった英は英仏協商を結ぶ(独侵攻の情報を得て英仏が和解)
1905 モロッコ事件 : 独がモロッコへ侵攻したが、英仏に撃退された事件
1911 モロッコ事件二回目 : 二回も撃退された独は他に植民地を求めることとなる → 第一次世界大戦の要因
1984 エチオピアの大飢饉
・100万人が餓死
エチオピアの政治家は1年ちかく放置
隣国ケニアは南部が穀倉地帯だったから助かった
・1984-12-3 Do they know its Christmas?----英チャリティーコンサート
呼びかけはボブ・ゲルドフ1951-
・ 1985-3-28 We are the world----シングル 英チャリティーコンサート
作曲:マイケルジャクソン1958-2009、ライオネル・リッチー1949-
ドラムス:ジョン・ロビンソン1954-
呼びかけはハリー・ベラフォンテ1927-2023
プロヂューサー:ケン・クラゲン
録音:1985-1-28@ロスA&Mスタジオ
指揮:クインシー・ジョーンズ1933-
スティーヴィーワンダー1750- :スワヒリ語を提案----却下
レイ・チャールズ 1930-2004 :
プリンス 1958-2016 :ドタキャン マイケルとは犬猿の仲
シーラ・E 1957- :プリンスの恋人
ヒューイ・ルイス 1950- :プリンスの代役ソロ録音
クリッシー・キニャンジュイ :ケニア出身---エチオピア難民が多数だったケニア
エチオピアの実情に詳しいとして招待される
・ 1985-4-23 We are the world----アルバム
プリンス 1958-2016 :新曲提供
・ 1985-7-13 ライヴエイド
2020 エチオピア北部のティグレ州で市民が虐殺や性暴力の標的になっている(国際人権法違反、人道法違反)。これはエチオピア国防軍によるものとみられる。これらを強く非難したのはアメリカ国防省、プライス報道官である。エ チオピアは80以上の民族が暮らす多民族国家で、首相は最大民族・オロモ出身のアビー、2019年にエリトリアとの国境紛争を終結させたことでノーベル平和賞を受賞している。アビーと対立しているのはかつて首相をだしていたティグレ人民解放戦線TPLFである。2020/8月コロナの影響で選挙が延期となりティグレTPLF側は対立が深まった。そして11月武力衝突に発展し、2020/11/4にティグレ州に駐屯する国防軍がTPLFに攻撃を受けたとして、アビー首相は軍に反撃を命令した。この戦闘にエリトリア人も参戦してティグレの死者は数百人から数千人に及んでいるという。かくして6万人もの難民がスーダンに逃れている。
2020/11/28、アビー首相はティグレを完全掌握したと宣言したが、どうやらゲリラ戦に移行し、無法地帯になっているようだ。そして2021/3/26、アビー首相はテリトリア軍の撤退を発表し、テリトリア政府も当事者兵士への強い措置を取ると明言したという。エチオピア外務省は2021/4/4にエリトリアの撤退開始を発表したが真実は不明だという。