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大河清盛・高階基章の娘・明子

2012年02月19日 | 平家物語

 海賊討伐で京に凱旋した清盛の前に登場した人物の一人が高階基章の娘・明子である。 史実では名は不詳、父である近衛将監(令外官)・高階基章の生没も不詳である。 当時の高階家の身分は近衛将監でもわかるように低いものであったが、系統は藤原為時に遡る。藤原為時といえば源氏物語の作者・紫式部の父であり、紫式部は藤原宣孝との間に藤原賢子をもうけた。藤原賢子は女流歌人で女房三十六歌仙のひとりで、藤原通兼の次男・兼隆と結婚して一女をもうけるが、後に高階盛章と再婚して1037年に高階為家を産んでいる。そして高階為家の娘は源家実の室となって生まれたのが高階基章、つまり明子の父なのである。 高階基章は身分が低く、明子は清盛の妻になることをためらったが、そういう謙虚なところに清盛はひかれた。1138年に清盛との間に嫡男・重盛をもうけ、1139年には次男・基盛をもうけているから、二人が結婚したのは海賊討伐の凱旋のすぐあとである。 高階基章の娘は早くに亡くなっていることから詳細は不明なところが多く、次男・基盛を産んだ1139年以降、宗盛誕生の1147年までに亡くなったと思われる。

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