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【中東戦争-6】2020 米がイランに対して経済制裁

2020年12月04日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

1961年 英資本の支援を受けてイランは西欧化政策を実施するが、石油の恩恵をあまり受けていない国民の不満が高まった。  
     そしてモサデク首相1882-1967は石油事業の国営化を計画した。  
     ところがこれに反対の米はCIAを使ってクーデターを計画実行、モサデク首相を失脚させたのである。  
     かくして米はパフラビー国王1919-1980による傀儡政権を樹立する。  
     これを【白色革命】という。  
     この頃のイランは親米であったが・・・革命家のホメイニ1902-1989は白色革命を批判したことで国を追放された。

1979年 いよいよ米傀儡政権に対して国民の不満は高まり、ホメイニ氏を立てて【イラン革命】を起こす。  
     パフラビー国王政権のみが富を得て、一般国民に分配しなかった  
      ホメイニの呼びかけによりイラン国民は国王打倒を掲げる  
      やがてホメイニは国外追放 デモ隊が王宮を囲んで国王は逃亡  
      これによってイランと米の関係は悪化  
     コーランに従う新政権誕生 :イラン・イスラム共和国   
       
     1980年にはアメリカの画策でイラン-イラク戦争が勃発。  
     米はイラクの支援をすることでイランを攻撃した。  
     2002年には米艦隊がイランの旅客機を撃墜。(米は誤発射と言っているが謝罪はしていない)  
     2002年にはイランを北朝鮮と同じく悪の枢軸と呼び、イランに対して経済制裁を実施した。

2014年頃   2001年の同時多発テロ以降、イランとイラクは良好な関係となっていた。また2014年のISIL(イスラム国)が台頭してくると、イランはイラン革命防衛隊を結成してISILに対抗し、イラクは米兵5000人の支援を受けてISILに対抗した。つまりこの時点では米とイランはISILという共通の敵を相手にして問題を起こすことはなかった。そしてイラン核合意に米は参加したが、しかしISILの勢力が弱くなると、2015年米オバマ大統領はイラン核合意を離脱する。そして経済制裁を再開したことでイラン経済は不安定となり、失業者は30%、インフレ率は140%を超えた。2019年には、イランは間接的にサウジアラビア・アラムコ石油の施設を攻撃した。そして米はイラン革命防衛隊をテロ組織に認定した。

2020年    かくして米は核ミサイル開発に関与したとしてイランに対する経済制裁を強めた。この時イランのザリフ外相は自国への影響はたいしたことはない・・・、と言っていたが、1月3日 米はバグダッド空港に於いて、イラン革命防衛隊のソレイマン総司令官及び首脳陣を射殺した。テロ組織の司令官だというのが理由であるが、ソレイマン司令官はイランでは英雄であり、このときはさすがにイラン・ザリフ外相は憤り、1月8日、イラン革命防衛隊は米軍が駐留するアルアダドのイラク基地をミサイル攻撃した。米-イランで一触即発の事態になったが、米側は軍事報復はしない、経済制裁を強化すると会見している。またイランの出方によっては平和裏に解決する用意もあると言っていた。

サウジアラビア石油施設が攻撃された直後の絵

 

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